#18 チューニング
先日、小説「スプートニクの恋人」を読みました。
この小説は、小説家で生計を立てよう頑張っている女性「すみれ」とすみれと付き合っている、職業は教師の私と、すみれが突然恋をしてしまう既婚女性「ミュウ」の3人の関係性を描くお話です。
すみれは、同性愛に目覚め、しかしミュウはある事をきっかけに性的衝動を全く失ってしまう。
自分の近しい人が全く別の価値観を獲得したことで、ぼくという存在は、どこか置いてけぼりになります。
そして、それまで考えもしなかった「正しい」ということを問い始めます。
ただそれとは別に、「すみれ」の世界にも不思議なことがおきていく。
これはラブストーリーと呼んでいいのか。
そして、ぼくという主人公の内面だけではなく、すみれとの対話の中で物語は加速するのだけれども、最後まで、呼んでいる私も不思議な感覚に落ちていきました。
率直な感想だけれども、村上春樹さんの世界は、教訓めいたうるささがなく、水木しげるさんの漫画やサリンジャーなどの第一人称の海外文学の世界に近しい如実に一人の人間像を描いている点が好きです。
自分の中にあるものを、外に表現しようとするとき、その時に内側には、何か新境地や新天地、もしくは何かに満たされているときは、うまく物事を表現できなくなってしまう。
少し、回りくどいかもしれないけれども、恋だけではないということでした。タバコが吸いたいと思う気持ちもその一つ。
あと、小説家としてまだ芽が出ていない自分を、客観的に見て「人生のその選択の正しさ」を問うあたりも、最近見た、ルックバックを思い出しました。
少し長くなりましたが、私がこの小説の中で好きなセリフです。
小説家としての正しさから人の感情の浮き沈みをここまで、「すみれ」という人格の肉付け、まるで内側からそういう人がいたんじゃないかと思ってしまいます。
感想になっているかどうかも定かではないが、
とにかく、私は、この本を読んで、
他人と私は同じ空気を吸っているけど、違う世界をいきているんだという感覚が中学校のころからすごい感じていたことを思い出した。
別に人種差別でもなんでもないが、ただ、離婚や、家庭崩壊という言葉は中学校1年生のころから私の背中にはこびりついて離れなませんでした。
まるで当時放送していたTVドラマの「夜行観覧車」を現実に見ている気分でした。
それは社会人になるまで、付き纏い、家の中は、散々なほどで、1秒でもながく家にいないようにしたかった。
そんな中で、自分を保とうとした結果、すみれのような強さを獲得したのかもしれません。
自己啓発では、それを正当化するが、この本はその強さは正しいのかと問います。
だけれでも、それが正しいかどうかなんてのは、このすみれのようにいくとこまでいかないと、覚悟を持って進み切らないといけないんだって。
言われている気がしました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。