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「わかっているけどできない」人の気持ちに、どれだけ寄り添えるか。


自分の情報発信に興味を持ってくれる「読者」は、多くの場合、「そのジャンルに興味がある人」だ。

私の場合は、文章の書き方とか、自分を表現する方法とか。

ということは、そのジャンルにおいて、何かしらの「悩みや困りごと」「もっとこうなりたい」という気持ちがあるはず。

もっと伝わる文章が書きたいとか、人の心に刺さる記事を書きたいとか。


こうなりたいという気持ちはあるけれど、それができなくて困っている。

そんな人に対して「こうあるべきだ」「こうしなくてはいけない」というような正しいことをそのまま言われても、「いや、それができなくて困ってるんだよ」となる。

わかってるけど、できないんだよ。
そんなことは、もう100万回聞いたよ。

そうなると、読者の気持ちは冷めてしまう。
この人は、自分の気持ちを分かってくれない人なんだと。

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「できない人の気持ちがわかる」は最強だ。でも人はその気持ちを忘れてしまいがち。


何かを伝えていくときに、「できない人の気持ちがわかる」というのは、最強の武器になる。

たとえば、パソコンのインストラクターが「自分もはじめは、パソコンが超苦手で、用語がさっぱりわからなかった。だから、いちから用語を調べまくった」という経験があるなら、
むずかしいパソコン用語を、誰にでもわかる言葉で説明(翻訳みたいなもの)できるだろう。

たとえば、自分が全く売れないセールスマンから、1億売り上げる人になったのなら、「売れなかった時代に何を工夫したか」を伝えることができる。どうやってマインドセットを変えたのか。何をすればうまくいったのか。

「できなかった」から「できるようになった」までの過程を、再現性を持って伝えられたら、それが自分だけのコンテンツになる。

そして、その時その時で、自分が感じていた「感情」をひとつひとつ言語化し、いま、そのことで悩んでい人に届けていけば、

「この人は私の気持ちを分かってくれる人だ」と感じてもらえるはずだ。

だけど、人は「過去に悩んでいた時の自分の気持ち」を、忘れてしまいがちだ。

上手くできるようになった自分から見たら、過去の自分が感じていた「もどかしさ」も「上手くいかない焦り」も「人と比べて落ち込むこと」も、忘れてしまいがち。

喉元過ぎればなんとやら、である。

だから、
「だって」「でも」ばかり言う人はうまくいかない。
とか

「自分に言い訳ばかりしていませんか?」とか、上から目線で書いてしまう。


自分だって「だって」「でも」と言ったり「自分に言い訳」ばかりしていた時があったかもしれないのに。


「できない人の気持ちがわかる」は、他ジャンルでも応用できる。


先日、コンサルをしているある女性と話していた時のことだ。
その方は、「女性が、心と外見を整えることで、自分の人生に奇跡を起こす」というコンセプトでスクールをされている。

ホームページの文章を一緒に作っていたのだが、そのヒアリングの際に、

「私みたいなやつでも、外見のことはやっぱり気になりますよ」
「いやー、私なんかでも、きれいになりたいと思うもん」

というような発言を、私がしていたらしい。(指摘されるまで気づかなかった)

「さわらぎさん、なんで自分のことを、私なんかとか言うんですか」と言われてハッとしたのだ。

Blue Greyscale Photo Swimming Quote UAAP_NCAA Twitter Postのコピーのコピー (43)

私も、講座やセミナーをしていると、

伝えたいことが書けているのに
「全然書けません」と言う人に

「いや書けているし!」
「自信持って発信していこうよ」と思ってしまう。

なのに、自分だって、いざ、外見とか、家事とか、人間関係とかそういうことになると、
つい「私なんかでも」「私でいいのか」と思ってしまう。

「できない人の気持ちがわかる」は他ジャンルでも応用できるのだ。


「わかっているけどできない人」の気持ちに、どこまで寄り添えるか。
どんな仕事でも大事な視点だと思う。




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