私の芸術運動69一等星

もう今年も終わりですか。
はやいはやい、まだ年末なんて何ヶ月も先なんじゃないと思うくらいです。

そんな事を考えながら今日もまた仕事の休憩中に上野の浅草通り沿いのドトールで珈琲を飲みながらこの記事を書いているところです。

ここ2ヶ月くらいはめっきりインスピレーションも静まり返っていて私自身心を無くしてしまったんじゃないの?と思うくらいに静かです、情熱的な人生とはとても言えないものになっています

前回書いた記事にも書いたのですが、真っ暗な宇宙空間を漂うようなそんな気分です

地に足つかず、他の人のようにはなかなかうまくゆかぬ事も多々あり、しかし真面目な性格なために、なんとか社会人としての体裁を整えた様な感じです

しかし実際はバイトをしながら油絵を描いていて、描けない時は、常に何かを探しています。

正直に話すと、描いた絵画に価値があるのか?そもそも価値が本当に必要なのか?私はわからないでいます。

インターネットの普及で世界中の人が誰でも一躍有名になる事も難しくはない世の中になってきたと思います、価値があるから有名になるのでしょうが、その有名というものにはどれほどの価値があるのでしょうか?

SNSでアップした絵画がものすごい反響で、世界中からリアクションが来たとします、その絵は後世に語り継がれる絵画になるのでしょうか?画家としてどういう価値を得た事になるのか?

後世に継がれる絵画とはどういうものでしょうか?どういう価値があるのでしょう?

後世にも語り継がれず、インターネットで一躍有名にもなれない絵画は?

価値とはなんなのか

私はその価値が本当に心から欲しいと思っているのか?

それは追いかけていくべきものなのか?

つまり私は画家として何を欲しているのか?という事がわからなくなっているんではないか?と思うのです。

というか、わからないです。

ただ、描こうと思っているのです

これがなかなか人には伝えづらいもので、何かと目標は?とか、どうなりたいの?とか、そういう話になるのです

絵を描いて有名画家になりたいという動機なら、ありとあらゆる手を尽くして自分を売り込んで、他の人がやらなそうな事を片っ端からやってゆくでしょうし、画家としてのキャラ設定もして、画家として以外のルートからも名を売るための種を蒔いてゆくのでしょう

TikTokや、YouTubeや、グッズの販売、コラボ、ツテを頼って色んなところに展示する、認知度を高める方法は確かにたくさんあるのです。

しかし私の頭の中には"消費"という言葉が浮かんできます

それは悪いことでは決してなくて、私自身もそうして知名度を伸ばしている知人を、羨ましく思います

しかしなんと言いますか

私はそれを望んでいないのです。

私の絵に価値が無くとも、私は私で良いのです

周りの人に意味を示すために私は画家をしているのではありません

私は価値がある人間だと周りにお伝えしなくとも、私自身が自分に価値があると思っています

自己肯定感を高める必要が私にはありませんし、自分が自身持っているという事を周りにお伝えする必要も感じません

ぶっちゃけ画家としての私自身の価値は私が決めますし、私がどうとかこうとか正直どうでもいいのです

私が絵を描いている、しかも生涯をかけて描き続けてゆく、その心を自分に示している

空に浮かぶ一等星も自分を知らせるために光ったのでは無いでしょう

ただ輝いているんです。

それを見た人が勇気づけられたり、慰められたり、するのです

価値を提供しようと切り売りするのではありません、揺るぎない価値がただそこにあるだけです。

これは全ての事に言えます、日常に押しつぶされそうなあなたにもです

私はただ画家として生まれて画家として死んでいくだけです、私の芸術運動が誰かにとっての一等星、とまではいかなくとも、輝いて見えたなら、光を届ける事ができたなら、素晴らしいなと思います。

とは言え!!ね?流石に自分の人生についてある程度かんがえとかねーとそろそろやばそうなんですが、まぁー生きて描いて行けるように最善を尽くします。😂笑

困ってたら助けてあげて下さい。笑

顔がわかる様に下に自画像乗せておきます🙇‍♂️

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