私の芸術運動128希望と絶望

未来への希望が膨らめば膨らむほど、同程度の恐怖が膨らんでくる

その恐怖とうまく付き合ってゆく事ができれば人はどこまでいったって自由で生きていられる

ここで大切なのは、希望を思うと同時にそれにとらわれない事だと私は思う

希望があれば絶望もある

希望と同時に絶望も生まれてきている

しかしその絶望に気づけないから絶望は静かに近づいてある日目の前に突如として現れる

希望と絶望を天秤にかけているわけでは無いが、その絶望も快く受け入れる器がなければどのみちその希望は叶えられることはない

私は画家の道を選んだ

しかし、鳴かず飛ばず

だけど絶望じゃ無い、そんな事は初めから知っていたから

何より私の中に鳴かせよう、飛ばそう、という思いがあるのか?すら疑問である

画家として、私は真摯に向き合い、自分なりのいい絵というものを描いてきたし、これからもそう

画家の他にも人生を通して大きく二つのやりたい事が、つまり希望が私にはある

一つ目は前述の通り画家として生きる事

二つ目は本の出版

三つ目は自分の場所を持つ事(これはマイホームというよりは自分の棲家、拠点という意味合い、例えば画家としてのアトリエや本の執筆の書斎やそして自分の喫茶店である)

この三つの希望もやはり同時に絶望を孕んでいる

絵が鳴かず飛ばず

本も出版できず

自分の場所すら持てない

上にあげた三つの希望と、三つの絶望は、どれも多いに可能性がある

何が起こってもおかしく無い

全てが絶望に包まれても納得できる

だから自由なのだと今の私はそう思っている。

不自由なのは、失敗を恐れて始められない事

自由に海外旅行したいのに、不安に負けて飛行機のチケットすら取れない事

だけどチケットを取って仕舞えば全ては始まるわけです、私はもうチケットを取って飛行機に乗っている

人間産まれた時にはもうチケットを握りしめていると言っても過言じゃ無いでしょうね

行きの飛行機の中をどう有意義に過ごし、現地でいかに満喫して、帰りの飛行機でいかにこの旅が素敵だったかを振り返ったりする

経験をしなければわからない事しか無いこの世の中で、チケットを使わずにゴミ箱に捨ててしまうのは勿体無い、まぁーそのチケットを使う使わないも自由なのです。

旅の思い出話としては絶望の方が面白い、それでも今こうしてここに居てこの話をしていることの方がずっと素敵な事だったりします。

希望も絶望も車輪の様に回って移り変わって、結局片方の車輪だけじゃ進むことすらできないのでしょう。


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