私の芸術運動146書を持とう、町を出よう

近年の芸術がなんか熱の抜けたものの様に感じるのは私だけだろうか?洗練されて行った結果なのだろうか?システムの様なものを私は感じる。

身の回りのこともずいぶんスッキリとして便利になった、人間が生物である意味がなくなって来た様にさえ感じる、生きた機械の様な感覚。

私が思う芸術とはなにか?というとあの時あの場所で吹いた風だったり、流れていた水だったり、花の香りだったり、日差しだったり、雨だったり、鳥が鳴いたり、そういう事なんです。

コンクリートだらけの東京を歩いていても雨が降っただけで私は芸術を感じます、大袈裟でしょうか?歩きながら心の中で「雨が静かに降っていた」と呟くだけで世界はグーンと広がってゆく気がするんです。雨かよー最悪と思うだけならそれまでなんです、鳥や虫の鳴き声なんて耳にも入らなくなったらお終いじゃないですか!!

人間の社会で生きているといろんな人間関係が広がっていきます、これを世界が広がったと言うべきでしょうか?

それが全てでは無いことをみんなわかってはいるはずですが、なぜかだんだんそれが世界の全てに感じて来て、それらの事によって自分の人生が左右されてしまう様になって行ってしまう。

とはいえ私の様な生き方じゃ後数年で破綻します、今はなんとかその日暮らしで生きていけますけど、このままってわけにも行かなくなって来ました。そうやってだんだんと鳥や虫の声、水や風の音なんかが聞こえなくなって行ってしまうんだろうなと思うととても怖くなります。

たまにの休みで旅行に行くってのは最低限の事で、それが贅沢と捉えられてしまうのはいかがなものだろう?

みんな仕事を頑張って死んでゆく

たくさんの勉強をしながら

私も日々の忙しさに流されてダラダラ生きていますけども、芸術を感じ取れる心まで失いたくは無いのです、しかしその芸術がこの社会でなんとか生き延びようとする私を苦しめる要因の一つなのが皮肉です。本来は逆なんだろうと思います。

だから私は、芸術を持って旅をする楽しさを皆さんに知ってもらいたい、改めて再発見してもらいたいと言う思いで、今本を書いているのです。

書を捨てよ、町に出よう

私はその逆を推奨致します!!!!

書を持とう、町を出よう!!!!

芸術のかけらを手に町を飛び出して見つけに行こうという事を考えているんです。

私の描いた絵とそれに関するエッセイを読みながら旅に出る、その旅先で私の絵に描いた景色を実際に見る事で新しい感覚を呼び覚ますんじゃ無いだろうか?と考えます、芸術の足跡を辿りながら、自分の芸術を探す旅となるだろうと私は思うのです。

そうすれば地方に人も行くし、この社会から一歩引いた世界で心をほぐすこともできますし、一人旅に出たい人の背中を押すこともできるでしょう、旅先で巡らせた思いは人生の糧となりますし、自分の人生を新しい視点で見ることとなると私は考えています。

出版社の方々、どうか私にチャンスを🙇‍♂️

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