本当は大人もしてほしかった読み語り
「暮らす」と「旅する」はどう違んだろう?
Airbnbが「暮らすように旅する」をキャッチコピーに掲げてから、
「暮らす」ことと「旅する」ことの距離が、どんどん近くなる今、
大学の授業で、こんなテーマのディスカッションをしてみました。
面白いと思ったのは、誰も「距離」の違いだとは言わなかったこと。
遠くに行けば、旅ではなく、
「暮らし」の中でも、意識にスイッチを入れるだけで「旅」はできる。
「暮らす」に潜む「旅」の可能性を、改めて考えるきっかけになりました。
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在米の絵本作家さん・Mapleさんと、マレーシアのヨガティーチャー・エイミーさんによる、note発のzoom朗読会に参加しました。
きっかけは、昨年春、私以外の生物と対話の機会のなくなった我が子を見て、親族や友達をネットワークしてのzoom読書会を思いついたこと。結果、スケジュール調整の段階で、まさかの企画倒れという事態・・・。
自分自身、昨年初めてzoom授業をする機会があったのですが、パサパサとした乾いた感じ、独特のぶつ切り感が、どうしたもんか・・と思い悩んでおりました。だからお知らせを見て、ぜひ!と、飛び込んでみた訳で。
Mapleさんの絵本「Yuki in the Snow」と、エイミーさんの短編小説「こぼれる」を、ご本人自身が朗読してくださる90分の朗読会。
想像していたのとはひと味違う、「不思議な」体験でした。
そこで、会を主催してくださったMapleさん、エイミーさんへの感謝の気持ちも込めて、私なりに、不思議体験の理由を振り返ってみたいと思います。
なにはともあれ、緊張をほどいたのは早記さんの涙
まずは、自己紹介から。
noteが双方向になって日の浅い私は、ほぼはじめまして状態でしたが、ヨガのエイミーさんの生徒さんが参加されていて。
早記さんもそのお一人。
そして、それは突然に。
私の記憶が定かなら、「はじめまして」と同時に涙がこぼれていた?
こういうzoomでの企画に飛び込むの、怖いっておっしゃってました。
・・いえ、みんなそうだったと思います。
私こそ「場違いな参加だったかも!?」と内心ガクブルでしたが、
早記さんの正直な涙で、一気に緊張がほどけました。
新しい体験を受け入れるには、まず心を開くこと。
エイミーさんが指摘されたように、この時点で空気が変わりました。
まずはMapleさんの声から
Mapleさんがご自身で絵本を出版したきっかけは、国際モンテッソーリ協会のアシスタント養成プログラムでの「語り聞かせ(narrative story)」にあったとのこと。
初めて雪を見てはしゃぐ主人公のゆきちゃんは、Mapleさんであり、日本を離れ、異国の地で生活するMapleさんのお子さんでもあります。
オーストラリアでの留学時代に感じた偏見から、子どもたちの本棚を多様化したいという活動に共鳴され、ストーリーを組み立てられたそう。0〜6才の子どもに善悪の区別はなく、環境が偏見をつくるという言葉に、わが子を想います。
確かに、環境は人を育てます。特に、感受性の強い子どもへの影響は絶大。だから、親がさまざまな文化に彩られた本を本棚にしのばせておく必然性は、日本でもあると思いました。
このMapleさんのそもそも話に、共感。
その後、パワーポイントに起こされた絵本を画面共有してもらいながら、Mapleさんの透明な声にナビゲートされつつ、内容を追います。
時間にして、ほんの5分〜10分程?新鮮な体験でした。
ターニングポイントは中間部の感想の交換だったかも
そして、「こぼれる」に移る前に、みんなで感想の交換を。
Mapleさんのこの本を書いたストーリーと内容が、ツアーみたいだったと私が発言。(私ツアーガイドしてました。詳しくはこちら。)
順に回していきます。
すると、私みたいな聞き方している人はいない。
たとえば、音。
私、内容を追いすぎて、意識がついて行ってませんでした。
Roll Roll Rollという言葉の連呼があるんです。
モンテッソーリの読み語りでは、音が重要視されるとのこと。実は、ここはMapleさんの推しポイントだったと解説されて、なるほどーと唸ります。
確かにこの響き、日本語の「うぉうぉうぉ」みたいで、子どもの雪だるまづくりの躍動感とつながります。
人は聞きたいようにしか、聞けていない。
シンプルに音を楽しむ。言われてみたら当たり前だけど、皆さんの感想を聞くまで気付かなかった。だから、前半の終わりで、他の人の聞き方を受け入れたことで、私の耳にスイッチが入りました。
こうして、私の後半の聞き方はがらりと変わるのでした。
「こぼれる」を聞いて、こぼれ始める
そして、エイミーさんの小説「こぼれる」へ。
主人公は、お弁当をつくるお母さん。
偶然こぼしたおかずと感情がリンクする小説の中の人物は、誰もが「私」。
こちらも時間にして5分〜10分程だったかな。
今度はエイミーさんの語りに、音に、集中します。
すると、かみしめるようなエイミーさんの「間」から、情景が拡がります。
・・決して、終わった瞬間に皆が号泣し始めた訳ではありません。
「はっきり言葉にできなくてもいいから」というエイミーさんの言葉をきっかけに、みんなが、とつとつと語り始めました。
感想というより、自分の「こぼれた」ストーリーを。
それから、こうなりました。
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以前、本当に良いお菓子とは、どういうお菓子なのか、老舗和菓子屋さんのご主人にインタビューしたことがあります。
たとえば、「桜」というお題のお菓子があったとして。
まさに桜そのもの!みたいな、技巧で打ち負かすようなお菓子が素晴らしいかというと、決してそうではないそう。
むしろ、「桜」の話題を引き出すお菓子、それがいいお菓子なんです、
そんな風におっしゃっていました。
「こぼれる」から、さまざまな「こぼした」話が連想される光景を目の当たりにして、このお菓子職人さんの話を思い出しました。
朗読の時間が長くないところが特別だった朗読会
家にいる時間が長くなった今。
映画を観るのも、飲み会するのも、仕事に行くのも、オンラインでひとっ飛び。どこでもドアってこういうものだったのか。
年末に、家族で映画を観に行きました。
家でNetflixで観るのとはひと味違う体験でした。
ここはこうだったよね、あそこはどうだったよね、と語り合える、帰り道の贅沢さ。
便利になり過ぎて、スムーズに瞬間移動できるようになって、あらゆる行為の境目がなくなっちゃった気がします。一息ついて、外からの視点に「わざわざ」耳を傾ける機会も、ぐっと減ってしまったかも。
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冒頭の旅のお話。
「暮らし」が、よく知った範囲内での安定した活動だとすると、
「旅」は、自分の安全だと感じる範囲から飛び出す行為だという学生さんがいました。
この言葉をヒントに、「暮らす」に比重が偏りすぎて溜まったストレスから、ガスが抜ける瞬間を図にしてみました。
みなさんがおっしゃる「気持ちの蓋を外す」とは、こんな感じではないでしょうか?
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私が一種のツアーだと感じた、今回のこの朗読会。
Mapleさんとエイミーさん、お二人がモデレーターで、上下関係が生まれなかったのが良かった。だから、Mapleさんとエイミーさんお二人だけでなく、最後は、全員がガイドになった気がします。
自分で黙読した時、脳内で聞こえる声は、自分の声だという人がいます。
人の声で読んでもらう体験って、そのことが既に新鮮なのかも。
Mapleさんは「読み聞かせ」でなく「読み語り」という言葉を使われていました。確かに、読むのと同じくらい、感想を交換することが大事なのかもしれません。感想を交換し合うことで、安定した自分の範囲を飛び出す準備ができる。だから、ほんとは大人もしてほしかった「読み語り」。
わざわざ立ち止まって、自分の感覚をチューニングする時間。そしてその時間を、始まりがあって終わりのある「旅」として仕立てた体験は、これから求められるのかもしれません。
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テーマは
くらしの半径3m→循環をリデザイン→新しいカルチャーの場を建築する
キーワードは
母 x 本(マンガ)
①とっておきのマイ「文化的」京都案内(月一予定。マガジンはこちら↓)
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②とっておきの子どもの本ガイド(このサークルとリンク↓)
②noteでの企画・その感想
④私の建築的デザインの仕事や自力企画について。
本の力を借りた自力学童を妄想中。「窓1.8mギャラリー」近日実施予定。
⑤半径3mでリアルにつながる、
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