価値を伝える-書いてガイドする京都「文化的」景観-
はじめまして。
私は京都で建築企画・設計をしたり、大学で非常勤講師をしています。
2ヶ月読んだnoteの記事の内、圧倒的に「スキ」を押す頻度が高かったのが、メイキング(創作の舞台裏)でした。分野の垣根を越え、心動かされたり、励まされる記事も、少なくはありませんでした。
そこで自己紹介を兼ねて、自分の建築設計事務所に紐付けて始動したばかりの具体的な試みに沿って、私のもう一つの仕事、英語ガイドを通した「価値のプレゼンテーション」のメイキングについて書いてみようと思います。
京都「文化的」景観ガイドブック
The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes,
but in having new eyes.
真に発見のある旅とは、新しい景色を求めることではない。
新しい見方を手に入れることだ。
– Marcel Proust originally from ‘La Prisonnière‘
私的京都「文化的」景観をインスタグラムでご紹介しています。
京都の地形と文化との関係がそこはかとなく感じられる、素敵な場所の素敵な部分を掘り下げて、英語での読み切りエッセイに仕立ててあります。
結果、あまり人の行かない寺社多めとなっています。
もともとは、自分プロジェクト‘CULTURE loves LANDSCAPES’ の一環の、京都「文化的」景観ツアー用リサーチ備忘録として始めました。
そんなあるとき、インスタの特性である、画像が一覧できるポートフォリオな雰囲気が、ガイドブック向き?と気付いたこともあって、リサーチのプロセス自身をみせる、私的京都「文化的」景観ガイドブックに方向転換し、今に至ります。
平たくいえば、スライドショーでみせる、ローテクの英語版ブラタモリ的バーチャルミニツアーです。
たとえば7月13日に投稿した、石清水八幡宮の記事
「If necessity is the mother of invention(必要が発明の母だったとしたら)」はこんな感じです。
...ここで、自分でハードルを正します。
2020年7月現在は、こんな感じ。
①テキストの先頭にタイトルを入れる
②インスタで投稿可能なマックスの文字数(約2000文字)のテキスト
③インスタで投稿可能なマックスの画像数(10枚)の写真
これまで70記事投稿して、フォロワー数は25人、❤️は40〜50程度です。(エンゲージメントは、約200%の計算?)
私の写真は、夫曰く、どこかピントがずれているクオリティーです。
英語については、アメリカの大学院を卒業していますが、海外在住経験はその2年ばかり。語学は、日本での大学+大学院の6年間、外国人観光客をボランティアガイドするサークルに入って、実地で身につけました。最近は、1年半、プロのガイドとして英語のフードツアー会社に在籍していましたが、今でも英語できちんと書きたいときは、ネイティブチェック必須です。(インスタはネイティブチェック割愛のざっくりとしたものです。)
インスタを始めたのは、今年2020年の3月末の桜の時期です。
実際行う予定のツアーでは、ローカルならでは旬な文化価値をプレゼンテーションしたく、満開時の桜の場所と日付を記録する、一枚の写真とキャプションからスタートしました。
すると、桜が散った瞬間、迷子に。
そうこうするうちに、アメリカのポートランドの友人にアカウントを聞かれて、彼らにフォローされるようになりました。日本をはるかに超える外出制限の厳しさに、まいっている様子でした。何かできることはないのかな。
意識が変わったのは、ここからです。
この時期の旅ものは、扱いが難しい。
みんな外出を控えているので、旅行したいーと心底思っていても、実際に出かけた報告が嫌みに聞こえて、かえってモヤモヤがたまることもあります。
また、現場の体験を共有していないので、未体験の感覚というのがまた、伝わりにくい。
そんな前提で、具体的に彼らの状況を思い浮かべながら、彼らに届くように、日々改良を重ねるようになりました。
画像で伝わらない、現地でしか体験できない香り、味、音に対する感覚を、彼らが現地調達できるように、身近な状況に置き換えて伝えてみたり。
又、ずっと家にいて脳が環境に飽きていると思うので、マインドセットが少しだけ変わる、ささかやな脳内リフレッシュ支援のつもりで書いてみたり。
そこから、少しずつ世界中の色々な文化圏の方や、日本人の方の訪問が増えるようになりました。
では、7月13日の投稿から、具体的な工夫や気づきを紹介します。
①下見する
京都限定の情報ですが、京都ナビを愛用しています。
オーバーツーリズムは、「時間」「場所」「季節」をずらすのが有効だとされています。確かに季節限定公開の寺社は多く、本当に調べた人しか来ないので、わさわさ感が少ないです。
あたりがついたら、Google Mapで、地形と周辺施設を確認します。気になる場所のレビューがすぐ見られるところが、便利です。実際行ってみたら、お隣の方がずっと面白かったということは結構多いので。調べすぎは現場での見方を偏らせるので、さらっと。
②写真を整理して、現場で感じたストーリーのあたりをつける
現場では、偶然の成り行きに任せ、ハプニングを楽しみながら、心が動いた瞬間にシャッターを押します。
帰ってきたら、目的地だけでなく、旅の全体像が分かるように、15枚程度まで、写真を整理します。今回、最終的には、この10枚を選びました。
画像の整理をするのは、テーマのあたりをつけるためです。
そして、行った当日は写真を整理して、テキストは書かず、寝かせます。勢いに任せて書かない方が、客観的に魅力が観察できて、「趣味じゃないけど、魅力の理由は理解できる」という状況に持ち込めると考えるからです。
-男山ケーブルは短時間だったけれど、眺めもよく楽しめた。(2)
-お宮詣りの家族が多く、目についた。(3)
-おみくじや、御朱印などが充実。デザインレベルが高い。(5・6)
-山頂に地元住民による里山を守るNPOがあり、そこが竹細工のおもちゃなどを販売していて、子どもが大喜び。(8・9)
-お昼で食べたうどんセットの、焼き餅や鳩のアイコン付最中の皮などの、老舗和菓子屋さんならではのアイディアが秀逸だった。(10)
今回のテーマは、石清水八幡宮のエンターテイメント性に方針決定です。
③概要を客観的にまるめる
Located on the border of Kyoto and Osaka, Iwashimizu Hahimangu is a large shrine complex on top of Mt. Otokoyama (Mt. Guy) dedicated to both Buddhist and Shinto practices. The shrine was built in honor of Hachiman, the God of War in 860, according to an oracle who informed the priests that the god atop of the mountain would protect the capital and the country.
石清水八幡宮は、大阪と京都の境に位置する、男山の山頂の巨大神社複合施設です。山頂の神が都と国を守るという御神託を受けたことから、八幡神という戦の神をまつる神社として、860年に建てられました。
テキストには必ずタイトルをつけますが、書くのは後回しにします。テキストの究極の要約であるタイトルは、最後にしないと書けないからです。
全体の構成として、最初にアウトラインをしっかり描くことを心がけています。ここをはしょると、続く一切の説明で迷子になり、長すぎると退屈して読む気が失せるのが、難しいところです。極力客観的に、数字を使って。
④テーマにかかわるエピソードで輪郭を描く
今回の石清水八幡宮では、前日の雨で、ハイキングルートが封鎖されていて、男山ケーブルカーに乗ることになりました。そこで、ハイキングルートを行かないと普通は寄れない、ふもとの高良神社にもお参りしました。ここが素敵で、徒然草のエピソードをからめて、ぜひ紹介したいと思いました。
徒然草の原文はこれです。
徒然草第52段
仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、
心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、
たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。
極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
(口語訳)
仁和寺にいた、ある法師が、
年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、
ある時思い立ち、一人、徒歩でお参りにいった。
(山麓の)極楽寺と高良神社をお参りし、
(八幡宮へのお参りは)これだけだと思い込み帰路の途についた。
帰った後、傍輩に向って、「ずっと(心に)思っていたこと(八幡宮へのお参り)を果たせた。聞いていた以上に尊さ(八幡大神の御神威)を感じた。
ところで、他の参詣者が皆、山へ登っていったが、
何か山上にあるのだろうか。行ってみたいとは思ったが、
お参りすることが本義であるからと思い、
山上までは見に行かなかった。」と言った。
小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである。
*石清水八幡宮のサイトから引いています。
史料(神社由来と徒然草)にあたった段階で、860年に創設、1350年前後で大賑わいって、めちゃくちゃ昔から人気のある、一大アミューズメントパークだったんだなぁーとびっくり。ここで、石清水八幡宮のエンターテイメント性+サステイナビリティという、一歩突っ込んだテーマが浮かび上がってきました。そこに力点をおいてまるめたのが、次のブロックです。
We worshipped Koura shrine at the foot of the mountain anyway. A famous tale in the 14th century called ‘Essays in Idleness’ tells about crowds of this mountain in those days. One day a certain priest from Kyoto Ninnaji temple set off alone on foot on his pilgrimage to worship the famous Iwashimizu Hachimangu. Seeing crowds at this Koura shrine to suppose that was all about Iwashimizu, he returned to Kyoto without climbing up to the mountain.
まずは、ふもとの高良神社にお参りしました. 14世紀の「徒然草」には、往時の男山の賑わいが描かれています。ある日、京都仁和寺のお坊さんが、石清水八幡宮に一人でお参りに行きました。そして、ふもとの高良神社の混雑ぶりをみて、あぁこれがかの有名な石清水八幡宮か!と納得し、男山に登ることなく京都に帰ってきてしまいましたとさ。
⑤具体的なアイテムを並べて個性を描写し、テーマを肉付けする
ここからは、私自身のパーソナルでリアルな体験を、具体的なアイテムを並べて描きます。このブロックの説明に対応するのは、次の9画像です。
It’s nice to hike up listening to the songs of wild birds, however on the visit, we chose to ride the Otokoyama Cable Car and enjoyed a panoramic view of both Kyoto and Osaka.
In the main hall many people took their infants to be ‘baptized.’ Traditionally the Japanese children worship their local shrines at the age of 3, 5 and 7. Given a fortune teller of pigeon, a mascot for this shrine and a special stamp for our religious passport, we found a nice bamboo toy store run by neighbors at the summit. The good-quality bamboo produced here is world-famous for its significant contribution to the world of science. Thomas Edison used bamboo from the shrine area to create filaments for his first light bulb.
We happily ended the tour with lunch at a 250-year-old restaurant /sweets maker. A simple bowl of noodle can be claimed as a lazy-mom’s Sunday lunch, yet the crispy savory Mochi rice cake made the dish special. A pigeon icon on a pink wafer was nice too.
野鳥の声を聞きながら、ハイキングするのも気持ちいいんですが、その日は男山ケーブルカーに乗って、京都と大阪が同時に知謀できるパノラマビューを楽しみました。
本殿では、お宮参りの赤ちゃん連れが多く見られました。日本では、3才、5才、7才に地元の神社に詣でる習慣もあります。神社のマスコットである鳩のおみくじを引いて、ちょっと特別な御朱印をいただき、山頂では素敵な竹のおもちゃ屋さんも見つけました。ここでとれる竹は、優れた品質で有名で、実は世界の科学に大きく貢献したことでも有名なのです。トーマスエジソンは、この周辺でとれた竹をフィラメントに使って、電球づくりを成功させました。
そして、創業250年の老舗うどん屋/和菓子店で、幸せにその日のツアーをしめました。日曜日のお母さんの手抜き料理とも言われかねない素朴なうどんは、焼きたての香ばしいお餅がのっかることで、特別な一品に仕上がっていました。最中の皮の鳩のアイコンも秀逸でした。
ここで書いたように、実は、石清水八幡宮はエジソンとつながりがあります。(実際、山頂にエジソンの記念碑があります。)このエピソードは面白い上に、世界中の人が大体知っているであろうエジソンという人物とリンクすることで、一気に親近感が湧くはず、とねじこみました。
書けなかった部分まで踏み込んでみると、最初につくった電球のフィラメントは耐久性に乏しく、実用化に向けて思いあぐねていたある日、研究室に置いてあったどこかのおみやげの扇子の骨が竹だったのを見て、竹!と思ったエジソンが、中国から日本から、いろいろな竹を収集して実験した結果、男山産の高品質の竹で、100時間を超える記録を打ち立てたというもの。
ここは概念的な一般論がつづくと間延びするので、五感をフルに刺激して、読み手になじみのある状況とリンクさせながら、ストーリーを伝えます。
また、具体的なアイテムを並べることで、石清水八幡宮の個性をふわっと浮かび上げるのと同時に、サステイナビリティあるエンターテイメント性という全体のテーマにも一歩踏み込みます。
⑥伏線を回収し、主観でしめる
「楽しかった」「面白かった」といった感想は、知ってる人だったら温かなまなざしが向けられるものの、知らないだったら「あっそ」の一言で片付けられるのが、人間のさがではないでしょうか。
なので、これまでの話を一気に回収しながら、ほんのひとさじの私見をトッピングして、しめにかかります。
This kind of sustainable cultural is so entertaining and family friendly. Shinto shrines are strongly connected to our birth and have created necessity to worship regularly, that makes the places even more sustainable. If necessity is the mother of invention, she may be the wife of sustainability.
この手のサステイナビリティのある文化施設は、エンターテイメント性が高く、ファミリーフレンドリーです。神社は日本人の「生」に深く関与し、おりにふれた参拝の必然性をデザインすることで、一層、場がサステイナブルになるように設計されています。必要が発明の母だったとすれば、その母は、サステイナビリティの妻なのかも。
最後の最後に、私のオリジナルな見方を出します。
由来書のきれいなまとめだったら、こなれた英語で書かれている、プロの写真付きのガイドブックがいい、って話になると思うので。
私の強みは、自分がデザインする側の人間だということで、どういう仕組みで、どのようにつくられているのかという場所に対する観察眼が、他のガイドにはないだろう、「売り」です。ですが、私のレクチャーではないので、売りすぎるとただの押し売りになります。だから、まるめてまるめて。
ここでは、必然性のある行為を場所に埋め込むことで、サステイナビリティが自ずから循環するそのシステムのデザインこそが、こうしたご長寿文化宗教施設に共通する特徴だと思い、その考察を書きました。
そこで、エジソンが残した明言(元ネタはプラトン)「必要は発明の母」の必然性の擬人化に一歩踏み込んで、一人の女としての彼女の像を妄想しながら、「必要はサステイナビリティの妻」としめました。
⑦出オチにしないタイトルで、まるめにまるめる
やっとタイトルです。出オチにならないよう、「必要が発明の母だったとしたら」で止めました。
タイトルとトップ画像のギャップがありながらも、テーマの真芯にあたるようなタイトルが理想的だと思っています。
Cultural Literacy(文化の見方)は誰のため?
ときに、京都がオーバーツーリズムで大変なことになっていたことは、記憶に新しい方も多いかもしれません。
在20年あまり。大好きな京都にも文化的景観はあります。いや、認定を受けた文化的景観以外にも、命の洗濯にぴったりな、とっておきのマイ「文化的」景観はいくつもある。
でも、観光客は判を押したように、同じところにばっかりに集まる。どうしてなんだろう。
Cultural Literacy = 文化の見方 とは、E.D.Hirsch Jr.が1987年に刊行した本のタイトルで、物事の読解には理解力にも増して、言葉の背景的知識が必要だと気づいたことから生まれた概念です。
つまり、ある言葉とセットに、その言葉の背景にある知識を持ち合わせていないと、真のコミュニケーションは生まれないということ。
人は生まれ育った文化のCultural Literacyは身に付いているものの、新しい文化に足を踏み入れるとき、そのCultural Literacyがないと、うまく理解できないという状況を説明しています。
一方で、インバウンドの観光客が、Cultural Literacyを持ち合わせていないにも関わらず、「何をみるか」の情報だけが溢れかえっている現状が、オーバーツーリズムの根本原因ではないかと考えました。
「何をみるか」ではなく「どうみるか」。
..と、冒頭から説明ほったらかしの文化的景観は、私の研究テーマです。これから、事務所でも主軸としたいテーマでもあります。
文化的景観とは、文化庁の文化財や、UNESCOの文化遺産の新しい概念で、地形や風土と人々の暮らしとの間の見えない関係性が、具体的に目の前にあらわれているのが景色なんだという、鶏と卵の関係を逆さにしたような景観の認識法です。
私たちがある景観が美しいと思うのは、建物がきれい、自然がきれい、といった部分的な評価ではなく、そこに暮らす人の生活、歴史、風土を全部引っくるめて、あぁいいなと感じられているんだという現象だということです。
文化的景観と名前がついたことで、世界中から関心が寄せられるようになり、文化的景観を次世代に継承しようとする人達が、世界中至るところで活動を始めました。
ですが、そこに生きる住民の生活あっての文化的景観の未来を考えると、これまでの建築物の文化財保全のように、オリジナルの姿を凍結するように維持するのが最善、とはいかないところに、難しさがあり。
そこで、私自身、こうした生きた文化的景観を、さまざまな立場の人が納得する方法で未来につなげるお手伝いを、自らのライフワークとすることにしました。
(研究対象地の滋賀県の重要文化的景観「高島市針江・霜降の水辺景観」)
みんなのCultural Literacyをアップデートするのがガイド
文化的景観の多くは農村景観にあります。当初、農村部の文化的景観を未来につなぐことにコミットしたいと考えましたが、よく考えると、これは行き先の一つでしかありません。又、農村部で起こっている、高齢化や過疎化、後継者不足などの問題の根っこにも、このCultural Literacyの問題が見え隠れすることが気になり。
地域の人が、目の前にある地元に魅力を感じなくなっていることが、一番の原因なのでは?と考えるようになります。
実際、今回の新コロナウィルスの自主隔離生活で、自分自身が遠出しなくなり、改めて痛感しました。旅の目的は、遠くに行くことではないんだと。地元であっても、新しい見方さえ身につけば、遠くに行くのと同じ、いやそれ以上の未知の世界が広がることもある。
ガイドすると、風景が突然キラキラして見える瞬間があります。そう、Cultural Literacyが一番アップデートされるのは、本当はガイドなんです。
そこで、インバウンドの観光客も、アウトバウンドで外に売りに行く人も、そうじゃない人も、みんなのCultural Literacyを底上げすることを目標に掲げたのが、’CULTURE loves LANDSCAPES’ なのです。
「ツーリズム」にピンときたのは、学位論文で研究対象地である針江地区の住民のみなさんが、自分たちで企画・運営したツアーを行っていることにあります。この活動で得られた資金は、地区の景観保全にも使われています。ここに文化的景観を未来につなぐヒントがあると思いました。
だったら、学生時代に既に経験のあるガイドを、一度プロとして、ツーリズムの中の人として見てやろうと思ったのが、私の二度目のガイド人生の始まりです。
そう考えてみると、既によく知っていて、観光都市で、インバウンド観光客のパイの大きい京都から始めてみるのも悪くないのかも。
改めて自分がガイドで心がけていることを書き出してみると、9割が、事象の定量化、定性化でした。プロ組織に属してガイドしていたとき、9割主観の超エンターテイメントで攻める同僚がいましたが、私は真逆のスタイルです。(いろいろあっていいと思っています。)
字数や枚数など制限のあるメディアで書いてガイドすることは、考えて価値を伝えること。
私のガイド。
まずは自分自身のCultural Literacyをアップデートする。
現場を感じて、史料にあたる。
そして、結論に目当てをつけながら、史料の切り取り方、並べ方で軸を見せながら伏線を張り、仮説を検証しながら、結に収束させる。
学術論文でも常套手段の方法ですが、人を説得する上で有効だと思います。
又、書くこともデザインの一つだと思います。
デザインの良しあしは、デザインを受け取る側への考えの深さとひびきあっているんじゃないかなぁ。
文章や写真のセレクションや並びにこそ編集力が必要であり、そのデザインセンスを、私は自分のオリジナリティとしたいのかもしれません。
結果、学術論文執筆や、大学の授業、建築の設計にも共通する手法でした。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました!
おまけのちょっと先の予告
noteで書いてみたい話があります。私の学位論文についてです。「景観の関係性」というタイトルで書きました。
この論文では、水路網のある集落のサステイナビリティの設計メカニズムを追っています。750年間の変化が分かる史料によって、集落の景観要素の、何が残って何が淘汰されたかが具体的に明らかで、その既往研究に定量的、定性的な分析をレイヤーすることで、サステイナビリティの秘訣が浮き彫りになりました。
水が関係するため、水上・水下問題が発生し、そこが全体設計のキーになっています。階層的に属性がリンクするところが、「インターネット的」で、サービス設計のヒントにならないかな、とぼんやり考えていました。
ネットの世界でデザインする人にシェアしてみたい..と常々思いながら、書く場所を探していました。学会論文はお作法が厳しく、時間がかかるので(これもやっていますが)、読んでもらいたい人に届きにくいことも悩みでした。
そして、深津さんのこの記事の
サービスの成長は、ある種の宗教的シンボルの周辺に集落が生まれ、都市国家へと変遷していく過程と似ています。直接的なグロースの本よりは、文明の歴史などが参考になるんじゃないかなと、いつも思ってます。
この部分を読んで、noteで書く!と決めました。(他にも書きたいことがあり、先になると思います)
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