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京都東山 ありがとうの花園たち


サクラチル(←not 不合格)+ゴールデンウィークが目の前!


新緑深まる中、季節外れもいいところですが、
京都に住むこと20年の私が
私的京都をブラタモリ的に「書いてガイドする」月一シリーズ。

遅すぎだよ< 桜咲く4月編!をお送りします〜

今回は、京都市北東部
哲学の径沿い南端から銀閣寺へ
、北上

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一粒で三度おいしい(椿・梅・桜)大豊神社を起点に
ゆる熱!?
な浄土寺界隈をぶらりの後
遅咲きの八重桜
咲く(←これ待ちでした)
日本画家の邸宅美術館、橋本関雪記念館へ。

いざ/

ことの始まりはこちら↓



小っちゃくたって命拾いマウス



はい、ワープ!(←最初から編集都合をフル活用


全国で唯一「狛ねずみ」が鎮座する

哲学の径最南端
大豊神社に到着しました!

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887年(仁和3年)に、宇多天皇の病気平癒を願い、建立されたお社。

医薬の神である祭神の少彦名(すくなひこ)は、
大国主命(おおくにぬしみこと)の国造りを手伝った、バディ神様!

少彦名(すくなひこ)←<友情>→大国主命(おおくにぬしみこと)

そのため、お社内にある摂社・大国社には「狛ねずみ」が鎮座。

チュッス 大国主命(おおくにぬしみこと)の命拾いマウス!

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30秒で「古事記」ダイジェスト:

すったもんだあって、難を逃れた大国主命(おおくにぬしのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)の娘、スセリビメと出会います。

秒速で恋に落ちた二人は前のめりで
スセリビメ父・須佐之男命(すさのおのみこと)の元へ。

神様といえど、年頃の娘の父、須佐之男命。

・・・なぁにぃい??と、ジェラシーをメラメラ

毒蛇の洞窟で寝かせる!

無事だと分かり次第、ムカデと蜂の洞窟で寝かせる!

さらに無事だと分かると、
野原に連れ出し、矢を射て、取ってくるように命じた隙に火を放ち
焼き殺そうとする!

ひゃー大変!

と、炎燃えさかる野原で、あわや危機一髪の事態に、一匹のネズミ登場。

「チューチュー、こっちですよ」と巣穴にご案内
命拾いた二人は一緒になりましたとさ、めでたし、めでたし。

弱者に目配りを忘れない優しさが
思わぬ形
で報われるという、典型的な神話の定型

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おいらだって、祀られたいニャー

では、境内をぐるっと探検してみましょう/

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だけど、桜 と 梅 が同時に見られるって、見たことないし。

・・ほんとなの!?!?(←言われたことを鵜呑みにしたくない

だから、検証してみました

×梅 ○桜 (3.27) vs    ○梅 ×桜 (3.14)

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・・・推定、3.20頃がピーク??

結果、暖冬の桜開花スピードについていけず
ダブルヘッダー 見逃し三振。


ですが、こちら、椿の名所でもあるんです!

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背後の山の名は、「椿ヶ峰」

もともと椿ヶ峰山中にあったお社が
寛仁年間(1017~1021)現在の位置へ移されたとのこと。

さまざまな品種の椿が長期に楽しめちゃいます。

3月末だけ、特別な秘密の恩返しの花園。
本当に素敵でおすすめです・・・!


クリエイティブのるつぼ 浄土寺




ここで、桜咲く哲学の径をご案内!

ただ、今年の桜は早かった!
あいにくの曇天 (3.28) しかも、すでに一部葉桜が!

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寺社仏閣巡りだけではもったいない、京都の旅

ちょっと寄り道して
浄土寺の素敵なお店をのぞいてみましょう/

浄土寺とは銀閣寺に近いエリアの名称。
もともとは創建不明の天台宗寺院があったとか。

平安末期に広大な寺域があり
後白河法皇寵妃の山荘と持仏堂があった
そう。

応仁の乱の後、戦火で大半が消失してしまうものの
この地を気に入った足利義政が、慈照寺(銀閣寺)を建立してしまったため
もとあった浄土寺は移築され、名前だけが残った
とのこと


はい、到着しました!


田中美穂 植物店さん

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振り返れば15年以上の仕事仲間
田中美穂さん
(←現場帰りに一緒に温泉も入ったよ)

初訪問時
「博物館のよう」と夫を
釘付けにした、2坪あまりのお店

盆栽的なものや、エコバッグ、靴下(suzuriで販売中)など
植物に軸足を置いた、フリースタイル


個展もしちゃう田中美穂さん
イラストレーターとしての腕もピカイチ
とにかく、すばらしいセンス!

お口チャックしますので、しばしご高覧を

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(本業は建築の設計)、
庭づくりはいつも田中美穂さんにお願いしています。


たとえば、こちら。
私が改装デザインを担当した、京都のとある干菓子屋さん。

かっちり形の整ったお干菓子のイメージでデザインされた
トピアリーなお庭

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そうそう、暑い夏の日に打ち合わせにうかがうと
「お隣の電気屋さん」に案内されるんですね。

クーラーも効いてて、広いから、どうぞどうぞ〜って
・・・・お隣なんですけど!?

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ご近所さんと仲良しの田中美穂さん

夕飯の食材をどうぞ はいはいありがとう と
いつもだれかが行ったり来たり

その空気感が伝播して
ここ数年 人気店が続々と!


たとえばホホホ座さん(旧:ガケ書房)

新刊、古書から、作家ものの雑貨、文房具、衣類
なんなら一棟貸しの宿も手がける、浄土寺のカルチャー拠点。

ちょうど開催していた展覧会が、面白かったからご紹介!

イラスト&英語でガイド
世界に教えたい日本のごはん
"WASHOKU"
An Illustrated Guide to Japanese Food
川村淳平(イラスト)/沢田眉香子

プロのフードガイド経験ありの私だから
首がもげそうなぐらい共感の
インバウンド目線の「WASHOKU」解体新書

懐石、寿司、天ぷらだけじゃない
ラーメン、餃子、駄菓子もあっての「WASHOKU」

展示も斬新で超興奮!

こちらもお口チャックしますので、しばしご高覧を。

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写真で撮るとリアルすぎて、凄さが霞むのですが
これ、ぜーんぶイラスト
なんです!

さらに
顔出しOKなら、その方が売れると思います、という私の無茶ブリに
いただきました!

はい チーズ!
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捜索の結果、著者の沢田さんをnoteで発見!↓


浄土寺の雰囲気をお伝えしたい欲張りマンボな私は、もう一軒

【Ren】
さん(金工)

よくパトロールしてる界隈なのに
突然オープンしていて、ビックリ!

聞けば、1年近くかけ、コツコツ改装されたとのこと

そのプロダクトのセンスの良さはもちろん
空間づくり含め、セルフプロデュース能力の高さに腰抜かしました!

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展示会のときだけの不定期オープンとのことですが
ご予定あえばぜひ。

他、握り立てオンデマンドおにぎりの【青おにぎり】さんもおすすめ!


それぞれが独立しながら
ありがとうを交換しあうアットホームな浄土寺

寄り道してみては?



ありがとうの桜並木



最後はとっておきの場所へ
まずは哲学の径へ戻りましょう!

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言わずと知れた桜の名所、哲学の径。

元は1890年の琵琶湖疎水完成時にできた、管理用道路でした。


当時、京都大学で教鞭をとっていた哲学者・西田幾多郎が
好んで散策し、思案を巡らしたことから命名された
というのが通説です

ですが、西田先生が散策されていたのは、
もう一本東の法然院前の小径だった
とか・・・!?

京都は、北が高く、南が低いため
鴨川などの自然河川は、「北から南」に流れますが
人工的水路の琵琶湖疎水は、「南から北」へ。


そうこうするうちに

哲学の径の北の端
銀閣寺付近に到着しました/

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タクシー乗り場前の
日本画家・橋本関雪自筆の石碑が目印

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「七言絶句漢詩碑」

朶雲圧水一渠斜
春伴潺湲遶我家
悩殺幽人残夜夢
風々雨々不離花

朶雲水を圧して一渠斜によぎる
春は潺湲(せんかん)を伴い我家をめぐる
悩殺す幽人残夜の夢
風々雨々花を離れず

1883(明治16)年、
旧明石藩の儒者(藩若年寄クラスの文学研究者)を父に持つ
和魂漢才の文人画家
、橋本関雪

写実的で、繊細でかつ迷いのない筆遣い、
漢学への深い理解を礎とした
、独特の構図

既存の流派が廃れ始め、個人画家の台頭したその潮流の中
画家として成功をおさめた日本画家

その邸宅が、橋本関雪記念館として一般開放されています。

さあ、中へ入ってみましょう/

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3000坪あまりの敷地
には
邸宅、3つの画室、茶室、持仏堂が点在

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古美術の蒐集家としても高名な関雪
そのコレクション
である平安から鎌倉の石像美術
そこここに。

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橋本関雪記念館として知られる白沙村荘

もとは一面の田畑だった白沙村

1914年 関雪33才の年 

明治政府により発令された上知令により
農耕していた田畑が再編され
生きる手だてを失ってしまった地域農民を雇用し
彼らの力を借りて、
ついに完成

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さあ
2014年9月にオープンした

美術館に到着
です!

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展望テラスのある二階展示室
にあがってみると・・・

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ほら、如意ヶ嶽(通称 大文字山)が!


これこそ、関雪が当初計画していた白沙村荘の最終形
東山山麓に描いた壮大な山水 文人の理想郷

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橋本関雪記念館のある銀閣寺付近から
南端の大豊神社あたりまで
1.8kmに続く哲学の径
その600本以上の桜並木 


- 神戸出身の自分の理想郷を作るにあたって
力を貸してくれた、京都の皆さんに御礼がしたい

- 第一次世界大戦後の疫病(スペイン風邪)の蔓延や
経済の悪化で暗い気持ちに沈む、人々の気持ちを晴れやかにしたい

その思いから
、150本の苗木を植樹したのは
他でもない関雪と妻・よねでした!




京都人も知らないこのお話
実は、私も知らなかった!!!


というのも、関雪の曾孫にあたる
公益社団法人 橋本関雪記念館 代表理事・橋本眞次さん
とご縁があり
桜吹雪舞う、記念館西側のイタリア料理店NOANOAさんで、
ひいおじいさまたちの「家族の桜」の秘話をうかがう
ことに。

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NOANOA(ノアノア):
1929年に関雪が西洋美術のコレクションハウスとして建造した
イベリア様式の洋館 有形文化財
現在はオープンテラスのあるレストランとして

お話から、見えてきたのは
このストーリーを理解するために必要な、現在とは全く違う時代背景

まずは、一画家が私財を投じて
そこまで大規模な公共土木事業が可能なの!?と疑問に思った
のですが
当時の日本の文化レベルの高さあって
関雪の絵画の価値は、現在の画家に並ぶものなし
とのこと。(←納得)

とはいえ。

何がそこまで関雪を駆り立てたのか
その動機付けが、最大の謎だった。


これについては
大河でおなじみ、渋沢栄一父に通ずる幕末藩士の精神性
「公に仕える」の教えが大きいそう(←これも納得)




眞次さん曰く
悲しいのは、この桜を京都市に寄贈後
1986年の日本の道100選の登録時に
京都市が「哲学の道」そして「哲学の道の桜並木」と命名したことから
地元の人に親しみをこめて呼ばれた「関雪さんの桜」の名と
ストーリーが失われてしまったこと、
と。


だから、微力ながら
どうしても、この「ありがとうの桜」のお話を伝えたい、と思いました。





いかがでしたか?

今回は京都市東北部、哲学の径を
南端から北端まで
歩きました。


京都に、古今東西、通底する
地域コミュニティの「ありがとう」文化



そのストーリーを
「地上の天国」桜のアーチと共に体感いただければ何より
です。

橋本関雪記念館の案内では
3/28, 4/3, 4/10訪問時の写真が混在しています。

特に、美術館前のしだれ桜(4/3)、八重桜(4/10)は遅咲きなため
哲学の径の桜並木と同時に満開にはなりません。あしからず!


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