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左派の好ましくない側面(後編)【連載】人を右と左に分ける3つの価値観 ―進化心理学からの視座―

※本記事は連載で、全体の目次はこちらになります。第1回から読む方はこちらです。

 次に、左派の好ましくない側面のもう一つ「脅威に鈍感で然るべき対応が取れない」についてですが、これについてはすでに第2章で左派が、中国脅威論を否定していたり、戦争になったら無条件降伏したり抗議すればいいと主張していたことから、極東の脅威に鈍感で安全保障上の適切な対応ができる期待が薄いということを見てきました。第1章で触れたように、もともと左派は恐怖信号を検知し感じる扁桃体が右派と比べて小さい傾向にあったことから、このような対外的脅威に鈍感な傾向にあります。
 本章では、これに加えてヨーロッパにおける移民問題を例にとって、左派の脅威に鈍感な面がもたらした厄災について見ていきましょう。この問題に詳しいのが、イギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレーが書いた『西洋の自死』(東洋経済新報社)という書籍です。

 この書籍によれば、ヨーロッパの左派は宗教的・文化的多様性に対する寛容というリベラルな価値観を掲げて、移民の受け入れを正当化してきましたが、彼らは赤道に近いところから来た、極めて右寄りで前時代的な移民たちだったのです。特に、イスラム系の移民の中には、非イスラム教徒(特にユダヤ人)あるいは女性やLGBTに対する差別意識を改めようとしない人たちが多く含まれていました。このため、移民による強姦、女子割礼(女性性器を切除する風習で、2006年には英国医師会が、英国に住む少なくとも7万4000人で実施されていると報告)、少女の人身売買といったおぞましい蛮行の数々が欧州で頻発するようになってしまったのです。そのごく一部の例を御覧いただきましょう。

(イギリスの)ロザラムでの虐待の捜査だけで、1997~2014年の間に1400人の子どもが性的に搾取されていたことが判明した。被害者は全員が地元出身の非イスラム教徒の白人少女で、最年少は11歳だった。全員が暴力的にレイプされており、中にはガソリンをかけられて、火を付けると脅された者もいた。他にも銃で脅された者もいれば、誰かにしゃべったらこうなるという警告として、他の少女が乱暴にレイプされるのを無理矢理見せられた者もいた。
 加害者たちは全員がパキスタン出身の男性で、組織的に行動していたことが判明した。だが、地元議会のある職員は、「人種差別主義者だと思われそうで、加害者の民族的出自を明らかにすることには不安があった。別の職員はそうしないようにと上司から明確な指示を受けたことを記憶していた」と話す。地元警察も「人種差別主義」だと糾弾されることや、地域の人間関係に影響が及ぶことを恐れて、行動を控えていたことが明らかになった。(『西洋の自死』、99~100ページ)

 2009年にはノルウェーの警察が、オスロでの被害届の出たレイプ事犯はすべて、非西洋系の移民の犯行だったことを報告しています。ドイツのケルンでも2015年の大晦日に2000人もの男たちが、ケルンの中心駅と大聖堂に接する広場や、その付近の街路で、約1200人の女性に対して性的暴行や強盗を働きましたが、これが明るみに出るには時間がかかりました。大手のメディアが事件を報道しなかったため、これが明るみになったのは数日後で、それもブログを通じてだったのです。程なく、同様の事件が北はハンブルクから南はシュトゥットガルトに至るドイツの複数の都市で起こっていたことが発覚しました。現場の動画や写真がSNSでシェアされ、マスメディアに確認されるに及んで、ようやく警察は容疑者全員が北アフリカや中東風の容貌を持つことを認めるに至りました。
 このように欧州の政治機関やマスメディアは、人種差別主義者の烙印を押されることを恐れ、移民による犯罪の事実を極力隠蔽しようとしました。犯罪の被害者すら、加害者である移民を告発することをためらったのです。そして実際に、移民による犯罪を告発した被害者に対して人種差別主義者の汚名が着せられたり、あるいは告発した被害者の方が良心の呵責を覚えるといった、倒錯としか言えないような現象があちこちで頻発するようになりました。

 そのイスラム系の移民たちの一部は、ヨーロッパでユダヤ人をターゲットに人種差別的な攻撃を行うようになります。例えば、2003年に欧州監視センターが発表した反ユダヤ主義についての報告書は、欧州で反ユダヤ主義的な活動が急増したのは、若いイスラム教徒によるユダヤ教徒への攻撃の増加が原因であることを明らかにしました。2006年には、パリでイラン・ハリミという名のユダヤ教徒がイスラム教徒の一団に3週間にわたって拷問され、殺害される痛ましい事件が発生しましたが、これは序章にすぎず、大量移民の時代にはユダヤ教徒に対する攻撃が至るところで増加し始めました。フランスでの襲撃を記録している機関「BNVCA」によれば、フランス国内での反ユダヤ主義的な攻撃は2013年から14年までの1年間だけで倍増し、851件に達していたのです。総人口の1%にも満たないユダヤ教徒が、フランス国内で記録された人種差別的な攻撃の半分近くで被害者になっていました。2014年のフランス革命記念日には、パリのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で祈りを捧げていた人々が、「ユダヤ人に死を」などとシュプレヒコールする移民の一団によって缶詰にされたほか、以下のような殺人が別々のイスラム教徒によって実行されています。

・銃を持ったイスラム教徒が、フランスのトゥールーズのユダヤ人学校で子ども3人と教師1人を射殺(2012年)。
・イスラム教徒が、ブリュッセルのユダヤ博物館で4人を射殺(2014年)。
・イスラム教徒が、パリのユダヤ教徒向け食品店で4人を殺害(2015年)。
・銃を持ったイスラム教徒がコペンハーゲンのシナゴーグで警備員を殺害(2015年)。

 2014年にはフランクフルト、ドルトムント、エッセンなどの街頭に移民が集結し、「ハマスよ、ハマス、ユダヤ人を全員ガス室に送れ」「ユダヤ人はクソッタレ」とシュプレヒコールしました。そこで、イスラム教のイマーム(指導者)は神に次のように嘆願しています。「シオニストのユダヤ人を滅ぼし、最後の1人まで殺してくれ」。
 こうした反ユダヤ主義とテロへの恐怖から、欧州在住ユダヤ人はシナゴーグに通うのを避け、信仰上の務めを果たせない状況に置かれてきました。2016年9月に、二つのユダヤ人団体が、英国からウクライナに至る各地のユダヤ人コミュニティの意識を調査した労作によれば、欧州全域のシナゴーグでは警備が強化されたにもかかわらず、欧州在住ユダヤ人の70%がシナゴーグに通うのを避けるようになってしまったのです。

 イスラム系の移民はユダヤ人だけでなく、LGBTにも否定的です。ギャラップ社が2009年に行った意識調査によれば、調査対象となった英国内のイスラム教徒500人のうち、同性愛を道徳的に容認できると考えていた人は1人もいませんでした。2016年に実施された別の調査でも、英国内のイスラム教徒の52%が同性愛を違法とするべきだと考えていることが明らかにされています。

 移民は経済面でも、受け入れ国の負担になることを示唆する報告もあります。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)による研究で、欧州経済圏(EEA)域外からの移民は、実際に納めた税金を約950億ポンド上回るサービスを享受していたことが明らかにされました。1995年から2011年の間に英国にやって来た(都合のいい裕福な移民だけではなく)すべての移民を取れば、支払った金額よりも受け取った金額の方が相当に多く英国を少なからず貧しくしていたのです。

 移民を受け入れ、民族的多様性が増すほど、社会資本が腐食されることを示唆する報告もあります。ちなみにこの「社会資本」とは、信頼、利他主義、結束、共同体感覚、慈善活動や奉仕活動、共有財への投資、地域社会の設備維持への関心、自覚している生活の質や幸福度のことを指しています。この調査は、政治学者のロバート・パットナムらが実施したもので、アメリカの41地域社会の3万人から集めたデータを対象に分析を行いました。その結果、アメリカの地域社会のうち、民族的多様性の水準が高いところほど「社会資本」の水準が低くなっている傾向があることを見出したのです(注3)。個々人の年齢、性別、教育、民族、所得、言語で統制したり各地域社会の貧困率、所得格差、犯罪率、人口密度、人の流動性、平均教育水準で統制したりしても、こうした効果が確かなことに変わりはありませんでした。社会資本と多様性の両方を支持するパットナムは、こうした結果に唖然として、しぶしぶ公表にふみきりましたが、他の多くの研究者たちも同様の発見を報告しています(注4)。
 民族多様性が社会資本に及ぼすこうした腐食効果は、民族性そのものの効果ではなく、それぞれの民族がもつ価値観、政治的態度、宗教・社会に関する想定、エチケットの体系、社会規範が異なっていることが原因だと考えられています。そのため、このような社会資本の腐食を緩和するためには移民にある程度同化してもらう必要があるということです。

 ただし、こういった同化を進めるために、イスラム教徒を説得しようとしても価値観の壁が立ちはだかります。イスラム教徒は、イスラム教を批判されることに大変敏感で、出版や言論、表現の自由を尊重しないのです。例えば、1990年10月5日にイスラム教のある宗教指導者はアムステルダムのラジオ局の番組で、こう述べています。「イスラム教とその秩序に反抗する者たちや、アラーとその預言者に敵対する者たちは、シャリーア(イスラム法)にあるとおり、殺害し、絞首し、虐殺し、あるいは追放してもよい」。つまり、イスラム教が政教分離を実現していないことや、女性の権利や自由が尊重されていないこと、LGBTのような性的少数派やユダヤ人に対するイスラム教の姿勢などを批判することは極力控え、イスラム教を他の宗教とは違った特権的な扱いをしなければならないということです。実際に、他の宗教を批判する時のような調子でイスラム教を批判した人が、人生を変えるような事態に陥ったり、命を守るために警察の保護を受けることになる事態が頻発しました。その代表的な例がイギリスの作家サルマン・ラシュディがムハンマドの生涯を題材に書いた小説『悪魔の詩』(1988年に発表)です。この小説に対するイスラム教徒の反応は先進国にとって驚くべきものでした。

革命で成立したイラン・イスラム共和国の最高指導者、アヤトラ・ホメイニが「世界中のあらゆる熱心なイスラム教徒」に向けて、ある文書を発布したのだ。それは「イスラム教と預言者とコーランに敵対して編集・印刷・出版された『悪魔の詩』なる本の著者と、その内容を知りつつ発行に加担したすべての者たちに死刑を宣告する」ことを知らせるものだった。
ホメイニはこう続けた。「すべての熱心なイスラム教徒に呼びかける。彼らをどこで見つけようと、迅速に処刑せよ。イスラム教の神聖さを侮辱しようとする者が、他に誰も出ないようにするためだ」
これを受けてテヘランにある慈善財団のトップが、英国人作家サルマン・ラシュディの殺害に300万ドルの懸賞金をかけた(殺害者がイスラム教徒でない場合は200万ドル減額されることになっていた)。英国や他の欧米諸国は「ファトワ(死刑を含む宗教令)」という言葉をこの時、初めて覚えた。(『西洋の自死』、203ページ)

 このような殺意や暴力は、著者にとどまらず、それを翻訳した人や出版社、書店に対しても向けられました。

・イタリア語の翻訳者はミラノの自宅のアパートで刺され、さんざん殴られた。
・ノルウェー版の発行者のウィリアム・ニゴールが、オスロの自宅の外で3発の銃弾を受けた。
・日本語の翻訳者の五十嵐一は、キャンパスのエレベーターホール前で、何者かに惨殺された。首は切断寸前まで深くかき切られ、刃物による複数の切り傷のある状態だった。
・英国では同書を置いていた2軒の書店が火炎瓶で焼かれた。爆弾が仕込まれた店もあった。
・検閲に反対する姿勢を示すためにイスラム教の開祖が登場するロマンス小説The Jewel of medina(「メディナの宝石」未邦訳)を刊行したロンドンの小さな独立系出版社が、3人の英国在住イスラム教徒によって火炎瓶で焼かれた。

 このような移民がヨーロッパでは着実に増えています。それは、彼らの出生率が欧州の人と比べて高いからです。たとえば、ウィーン人口研究所は今世紀半ばまでに15歳未満のオーストリア人の過半数がイスラム教徒になると確信しています。フランスの作家兼哲学者のルノー・カミュが2008年の著作で「大置換」と呼んだ現象(欧州の住民がいずれ出生率の高い移民によって置き換えられること)が現実味を帯びてきたのです。それによって国が移民に乗っ取られるという未来を小説で描いたのがフランスの小説家、ミシェル・ウエルベックです。

 彼の小説『服従』では、2020年代のフランスを舞台に、右派政党と左派政党が選挙戦を争っています。そんな中、フランス在住のイスラム教徒の支持を受けた、穏健なイスラム主義者の率いる政党が出生率の高さもあり、勢力を伸ばしていました。フランスの左派は、右派政党の「国民戦線」に対抗するためにはイスラム政党の下に団結するしかないと考えこの政党を勝利させますが、この政党はフランスの変革に乗り出すことになります。特に教育行政を支配し、すべての公立大学がイスラム化されてしまうのです。オープンで寛容な心を是とする左派の価値観が、非リベラルな文化に対しても適用されてしまった結果、移民に国を乗っ取られてしまい、ついには人権、法の支配、言論・出版・表現の自由といったリベラリズムの中核的価値観を破壊されてしまうというのは皮肉としかいいようがありません。この小説の意義と重要性について、ダグラス・マレーは次のように述べています。

そして同作中で最も真に迫った奇想は、もちろん左右両派のエリート政治家たちが「人種差別主義者」だと見られまいとするあまりに、最悪にして最も急速に膨張する人種差別主義者にへつらい、ついには自分たちの国を手放してしまう点だろう。(中略)ウエルベックが同時代の小説家の中で頭ひとつ抜け出ているとすれば、それは西欧が現在直面している問いの深さと広がりをはっきり認識しているからである。(『西洋の自死』、432ページ)

 1997年以降、中道左派が優勢だった欧州の政治は移民の増加によって右傾化していきました。その最大の理由は、こうした移民による脅威にどう対処するかという最も切実な問題に、中道左派が回答を持っていなかったからです。第1章で触れたように、脅威にさらされると、右派以外の人も恐怖に敏感になり右翼的なイデオロギーに共感したり、それを魅力的に感じるようになることから、2000年代に入るとヨーロッパ各国で、移民排斥、反グローバリズムを掲げた極右政党が躍進するようになります。この中には、増加する犯罪に対処するために、ヨーロッパでほぼ廃止された死刑制度の復活を掲げている政党も多くありました。
 このように左派は、オープンで寛容な心を持っている反面、脅威に鈍感で他国や異民族に付け込まれやすいという欠点があります。その欠点を補い、よそ者に食い物にされないための防衛反応として右派の考えを持った人が社会に一定数必要とされてきたのです。
 左派は、開放性の高さから、新しいものをとりあえず試してみる冒険的な戦略を取ったり、集団を離れたよそものや放浪者を受け入れようとします。これは、新しい食べものを見つけたり、そのよそものから有用な知識や技術を得たり、新たな交易の機会を得ることにも繋がります。ただし、好奇心が強く怖いもの知らずで色々なことに挑戦したり、危険なものに接する機会が必然的に多くなることから、こういった人は右派と比較して短命になる傾向にあります。また、よそものが新しい病気を持っていたり、悪意を持っていた場合には、左派のオープンな心が仇となり、集団に損害を与えることになります。そのため、そういった新しいものやよそものをとりあえず避ける右派の戦略を取った方が、毒物や罠、感染症を効果的に避けることができたというわけです。こうしたトレードオフのバランスが反映されて、世界中のあらゆる人類集団には程度の差はあれ、両翼の考えを持ったヒトが混在してきました。


3. Putnam, Robert D. (2007). E pluribus unum: Diversity and community in the twenty-first century: The 2006 Johan Skytte prize lecture. Scandinavian Political Studies, 30, 137-174; Putnam, Robert D. (2000), Bowling alone: The collapse and revival of American community.  NY: Simon & Schuster; Putnam, Robert D., & Feldstein, L. M. (2003), Better together: Restoring the American community. 
4. Alesina, Alberto & La Ferrara, E. (2000). Participation in heterogeneous communities. Quarterly Journal of Economics, 115, 847–904; Alesina, Alberto, et al. (2003). Fractionalization.  Journal of Economic Growth, 8, 155-194; Costa, Dora L. & Kahn, M. E. (2003). Civic engagement and community heterogeneity: An economist’s perspective. Perspectives on Politics, 1, 103–11; Rosenfeld, Richard, Messner, S. F., & Baumer, E. P. (2001). Social capital and homicide.  Social Forces, 80, 283-310.

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