ツナミヒロタカ

文章を練習しなければならない。 一つの概念について適切な構造で説明を組み立てなければ

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卒業について [20240323]

卒業についてぼくたちは死んだ。世界一の魔術師が命をかけて蘇生術を実行しても生き返らないくらい、完全に。ぼくたちは「ぼくたち」になることはない。剥製にされた動物の内部が二度と意志性を示さないのと同様に。 学生生活とは、奈落へ通じるトロッコ列車のようなものなのかもしれない。予定された通りの期日・筋書きで生命は剥奪されるのだ。それも、決定的な致命傷を負うわけではなく、われわれの生活を形成していた種々の事柄がゆっくり順番に終焉を迎えることで、知らぬ間に意識が奈落の底に落ちてゆく。そ

    • 欲しい服 1 [20240531]

      更新が途絶えたまま5月もつごもりを迎えてしまった。指と頭の運動、作文を再開しよう。この2ヶ月間で思案の手法を少しばかり学ぶことができたから、その実践として何かしらの対象に対して考え文章にまとめるという作業に、定期的に取り組みたい。 とは言っても、今は旧劇のエヴァンゲリオンを視聴し終えたところであり、鬱屈とした気分が体内を充満しているから、何かを文章にするという行為が自分の首に鋭利な刃物を向ける行為になってしまう強い予感がある。トピックをメモしておくくらいにして、とりあえず欲

      • キャラメル・ポップコーン -1- [20240427]

         モノクロームの四季のなか、僕は真実の休養が眠る場所にたどり着いた。一番近くの、ありきたりのコンビニエンスストア。  コンビニは、いつもと変わらず、あれば嬉しいがなくても困らない、流行りのポップソングのような商品が機械的に陳列されていた。商品たちは自己主張をしてこない。自らの立ち位置を彼らは自覚しているのだ。プラスチック包装たちは寡黙に並んでいる。  あるいはコンビニエンスストアは交差点に似ている。季節を持たず無機的に存在すること、人々が匿名でひとときの交差を経験する。真

        • 表現の思想性について 高3直後ver. [20240324]

          はじめに、当記事の内容はあくまで今現在(2024年3月)の考えであり、今後同様の思考を保持していることを保証するものではないことを注記しておく。 表現する行為の必要条件として一貫したテーマ・思想が必要だと考えている。一貫した思想を持たない「表現」はただの張りぼてである。そう断言できる。この世の中には緻密で精巧に造られた美しく、同時に呼吸を持たない造花がありふれているし、そのような造花と並ぶと遥かに稚拙に見えるが、たしかな息吹を持つ草花がたくさん存在する。 空虚な造花が生命

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        卒業について [20240323]

          象徴の破壊 [20240322]

          象徴の破壊はじめに 今日は物語の構造についての考察である。現在の僕は、物語において、最も大切なのは象徴とその破壊であると考えている。日常生活のなかで人間はいくつかの対象に対して、象徴性を付与する。それは対象の性質を増幅して主観によって変型させた、主体の観念的創造物である。それにもかかわらず、私たちは象徴性に反する行動を対象が取ったとき非常に大きな落胆を覚える。主体的に生きている限り、主体としての自己を意識することはできないということの表れかもしれない このような象徴の象徴

          象徴の破壊 [20240322]

          さびしいものが好き [20240321]

          さびしいものが好き 寒風のなか、ひとり。音も立てずじっとしていれば、自分が無色透明になって、ふだん認識から排外されてしまう、僕の人生の意味をなんら変えることのない生命体たちの営為の輪郭が立ち上がってくる。  主体の支配権を理性が他者に手放すことによって、他者の主体性が増す。これだけだと微弱なものにも思えるが、この贈与は相対的なものである。向こうが増え、こちらが減るのだから実質の授受の2倍の変化を体感することになる。  僕は部長をやっていた経験のなかで、代表者がいなくても全

          さびしいものが好き [20240321]

          DEADLOCK [20240320]

          DEADLOCK画像を作った。 色味について全然完璧ではない。ラストのコンポジットという作業に一人独立した人間が任命されることも頷ける。これはシビアな作業だ 今日は会話したせいでなんかやる気が失せてしまった。これからも会話はするよなあ、文章を出力するスピードを上げること、話題を探すこと、なんなら書き溜めておくことが大事かもしれない。 毎日投稿という一種の称号を獲得するために、23:50を回ってから大急ぎで記事を執筆している。ということで今日はこんな記事でおしまいである。

          ジャンルは神聖であり、浅薄でもある [20240319]

          ジャンルは神聖であり、浅薄でもある今日は「遊ぶシュルレアリスム」の全てと「芸術学を学ぶ人へ」の冒頭数章を読んだ。 シュルレアリスムの解説を見たのちに解釈学批判を読んだ。この順序は偶然ではありつつも、適切だった。作品がどのような意図を持って、どのような手法で作成されたかをシュルレアリスム解説者や最も重要視していた。シュルレアリスムの作品と認定するか否かは、ブリコラージュ的に作られたかどうか、つまり作者の思想と無縁な偶発性の集合体かどうかということに依存するという言い分だった

          ジャンルは神聖であり、浅薄でもある [20240319]

          20240318 新鮮

          映画は初回の視聴が一番面白い。のか? 音楽でも、映画でも、かつてとても新鮮でエキサイティングだと感じた作品たちが色褪せてしまって、とても悲しくなることを何度も経験したことがある。この驚くほどの色調の変化はどうして生じるのだろうか。僕の方に問題があるのか。作品自体に何かそういうきっかけがあるのか。 意外性は現代のエンタメの構成要素として最も重要である。サブスクリプションサービス、SNSの普及によって、人々はまいにち多量の情報に接触し、陳腐化が急速に進行する。絶対的な時間では

          音楽観 20290324 ver.

          きっと音楽の捉え方は時代、年齢によって変わっていくだろう。 だが、いや、だからこそ 今の音楽観を記しておかなければ、と思う。 Twitter の再掲になるが、 岡田暁生氏の著書「音楽の聴き方」は 音楽を単純に明快に知的に捉えていると思う。 ポップスは音楽ではない等云う積りはないが、 音楽として全く完成はされていないと強く思う。 音楽は手段でも方法でもない。 ただ、音楽である(上手に言語化出来ない)と考えている。

          音楽観 20290324 ver.

          鮮明化 20200320

          ふと無くなった筈の定期演奏会を思い浮かべる。 やりたかったなあ、、 太鼓叩けていなくて前から欲しかった ドラムのスネアの練習パッドを買ってしまった。 まあ確実に自分にとっていい選択であったことは 間違いないと確信はしているのだが。 話が逸れた気がする。 定期演奏会の次の演奏予定は 次の演奏は新入生に向けて演奏する部活紹介だった それが決行なのか中止なのか縮小なのかは 見当もついていないが、 今日はそれの準備をした 問題は全員が入れるような広さではないことだ。 どのようにすれば

          鮮明化 20200320

          創作 20200318

          自分のしたいことはなんだっただろう。 したかったこと、できなかったこと Can/can’t と do/don’t の違いに苛まれている そもそも、著名な音楽家達は人を応援する曲をあまり書いていない 例えば椎名林檎さんのNIPPONにあるように、 自分の感情を代弁する代弁者の音楽 (山上憶良の代詠の様に) はポピュラーシーンの中で数多く登場していると思った 自分のしていることはあまり踏み入れられたことのない 命令形の音楽だ 詩はどうだ?歌はどうだ?曲全体はどうだ? 全然先が見え