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20240318 新鮮

映画は初回の視聴が一番面白い。のか?

音楽でも、映画でも、かつてとても新鮮でエキサイティングだと感じた作品たちが色褪せてしまって、とても悲しくなることを何度も経験したことがある。この驚くほどの色調の変化はどうして生じるのだろうか。僕の方に問題があるのか。作品自体に何かそういうきっかけがあるのか。

意外性は現代のエンタメの構成要素として最も重要である。サブスクリプションサービス、SNSの普及によって、人々はまいにち多量の情報に接触し、陳腐化が急速に進行する。絶対的な時間ではなく、脳が処理した情報量に依存して脳は飽きを感じるためである。映画も同じく、世界各国の映画が次々に上映されていく。一つひとつの映画の持つ貴重さが失われてしまったと思う。このような世間において創作作品が評判を得るために何が効果的かを考えると、今までにない刺激的な表現をすることに誰しもが思い当たるのだ。そしてその意外性というのは初回(あるいは非常に時間が経った後の初回視聴)にのみ効果を発揮する、非連続的グラフを描くのだ。また、作者たちが互いに影響をしあうことで、その作品の新鮮な要素は数年後には使い古された表現ークリシェーに変容していることもままある。

(王道のストーリーはポップコーンがふやかす。シートを居心地悪いものにする。そんな不適切な状態に少なくとも僕は陥ってしまった。悲しいことである。自分からどうすることもできない。)

また、新鮮さは現代の娯楽において必要不可欠な要素であり、一回性は新鮮さの存在する条件である。新鮮さは初回の作品視聴でしか味わうことができない。現代娯楽に接するなかで、現代人としての我々は娯楽に一回性がつきものだと考えるようになった。ここで、色褪せること・忘却することは新鮮さの存立の前提ではないことに気をつけなければならない。かつて新鮮に感じた作品のすべてが後に色褪せて見えるわけではない。一回性は新鮮さの存在条件であるが、その作品がのちに色褪せて見えるかどうかは作品次第であることは明らかである。

新鮮さを与える発想にも苦労するのに、それが印象に残り、永続する記憶に分類されるように創作しなければならない作者はとても大変だ。自分はそちら側に行きたいわけだから、できることはなんでもやらなければならない。頭を柔らかくすること、たくさんの経験を積むこと、自分の思考のバイアスを分析すること。

P.S. どれだけ時間が経てど、あの日のデートの記憶は残存する。あのデートが色褪せることはないのだ。

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