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コンプレックスを克服してトップ営業になるまで①

こんにちわ!HIROです。
1989年生まれの31歳。現在は海外人材育成コンサルティング会社でマネジャー職として働きながら、国家資格キャリアコンサルタントや新規事業開発に取り組んでおり、年の1/3は東南アジアを飛び回るような生活をしています。

https://twitter.com/khiromichi02

読んでほしい方
・自分に自信がないと「感じている人」
・何か今後チャレンジをしていきたい!けど分からないと「感じている人」
・自分にコンプレックスがあると「感じている人」
目次
【1】現在の仕事内容
【2】これまでの経緯
【3】正しく自信をつけるためのポイント
【4】今後実現したいこと

【1】現在の仕事内容

・海外に進出したい企業の支援(現地調査、人材活用スキームの企画提案等)
・人材活用に課題を感じている企業(国内)に対する人材戦略スキームの企画~実行までの一気通貫支援
・国家資格キャリアコンサルタントとして、社内外・国籍問わず支援実施
・知人会社のseles、企画支援

【2】これまでの経緯

①小学校時代

・人間関係に悩む。人付き合い苦手
・姉に影響を受け、とりあえず受験勉強を始める。ただ、当然受からない
・弱い自分がすごい嫌い

運動が得意ではない小学校時代。
そして、今思えば靴を隠されたり、いじめを受けていたこともある。
また、「そうだ!何かで一番になればモテる!人間関係も楽になる!」と思い、受検勉強に取り組む。その結果、学校の成績自体は優等生。ただし、友達?という友達はいまだに記憶がないという寂しい小学時代。
そんな、弱い自分がとても嫌だった。

②中学・高校時代

・剣道で才能が開花。全国大会出場
・急にモテ始める
・仲間の大切さを学ぶ

小学校時代のコンプレックスを変えるため、「強くなる!」と決意。
近所の道場(当時神奈川県で一番厳しい)に通い始める。そこでの体験が僕の今の原体験になっている。
なにかというと、「3年間で未経験だけど全国大会に行く」という目標設定をした。その当時の師範に「人の3倍努力しなさい」と言われ、無我夢中で本当にその通りに朝から休みなく剣道漬けの日々。結果、2年連続で全国大会に出場することができた。
高校時代も強豪校を倒し、団体で県で5位まで結果を残す。

・自分の可能性って、諦めていたのは自分だけ。本気でやってみたらできることたくさんある
・一人じゃ大きな目標達成できない。チームだから大きな目標が達成できること

人生の中で大事なことを経験した中・高生活。

③大学時代

・自分はどうなりたいのか?を真剣に考える
・本気で遊ぶ(その結果5年間大学にいました)

高校時代も剣道漬けのため、中学までは優等生だったのに高校になり一気に偏差値が下がる(40以下)。
受検を控え、中高で培った「努力」と「努力の仕方」を受験勉強にも応用させ、第一志望であった、明治大学法学部に入学決定。

入学後は


・母校で剣道を教える→1年くらい
・剣道サークルに入る→すぐやめる
・映画製作研究部に入る→ここでの出会いも人生を変える。幹事長として歴史ある部を引っ張る
(憧れの先輩がいたから)
・留年する
・ヒッチハイクで四国まで行く→徳島の阿波踊りが好きになる
・旅をする→九州での一人旅。ここで出会った人が今の僕の保険担当(外資系保険全国1番)
・両親と喧嘩をする(反抗期が相当長い)
・色々なバイトをする(清掃員、コンビニ、警備員、居酒屋、派遣スタッフ、、、etc)
・teach for Japan に参画する→当時代表だった松田さんの「気づいた人がやらないでどうする?」という言葉に感銘を受け、ずっと大事にしている言葉としてインプット。
https://teachforjapan.org/

上記のように、本当に色々なことをしました。
その中で、就職活動中に「自分はどうなりたいの?」を真剣に始めた際、家庭環境が僕の中で一番原体験としては強かったのかもしれない。

・母親は某大学登山部でインターハイ出場
・姉は超優秀。某大学の医学部→イギリス留学→現在東大大学院
・父は東大大学院→某一部大手上場企業

これだけみると、「すごい肩書きの家族」と思われるかもしれない。
ただ、実際はそうではなく、ずっと家庭内別居、暴力、借金等本当に辛い環境。。
その中で、なぜこれだけのキャリアを歩んでいるのにそうなってしまうのか?をずっと考え続け、出た答えが


「みんな人それぞれストレスは当然ある」
「ただ、人生の8割は職場」
「職場環境=マネジメントが良くなれば悪いストレスではなく、良いストレスになる?」
「人の能力を活かす環境を作るのもマネジメントの概念。人の可能性をつぶすのもマネジメントの概念」
「自分自身可能性が開花したことを知っている。可能性を諦めない組織作りをしたい」

ということ。
また、Teach for japanでの体験も大きい。
NPO法人だったため、ボランティアに近しい領域。その際に一番もやもやしたのが、

・自分が余裕がないのに、本質的に支援はできるのかな?
・本当に困っている人を助けるには、NPOとしての支援もあるが、持続的に・自立していくためにはビジネスの方が良いのではないか?

上記2点、の家族環境とNPO法人との出会いが僕にとっての当時の就職活動の軸となった。

④社会人1年目~現在

・すべてにおいて自信がなくなる
・人間関係も全てがズタズタ
・シェアハウスで親友達、同士ができる

■社会人1年目~3年目
組織開発、人材開発領域のコンサルティング会社に入社し、1年目からクライアントの新卒採用プロジェクト等の推進を任せて頂きました。
当時、土曜もほどんとが企業向けの研修かつ日曜日はインプットに当てないと即死する状態だったので、ほとんど休みなく働く。
ただ、

・上司に何を話していいか分からない
・自分はみんなに嫌われてると感じてしまう
・何をしてもうまくいかないと感じてしまう

等の感情で、全てにおいて自信がなくなりどうしようか悩んでいました。
その時、同時学生時代の映画制作部の幹事長の先輩に、とある社長から「一緒にビジネスをしよう、仕事やめるか?」と誘いを受け、退職。
当時思えば、「逃げでしかない」と読者の方も感じるだろう。
ただ、僕の中では精一杯のそれが選択で、そして辞めるまで僕を見てくれた会社には本当に今でも感謝しているし、僕の今の仕事の大切な価値観(コンサルタントがいていい会社はいい会社じゃない。統治でなく自治の組織でないと本当に強いとはいえない)になっている。

■先輩との起業時代
ここでの期間は約半年しかなかったが、毎日が濃すぎて、新鮮だった。

・先輩と本気でどんな人になりたいのか?を毎日語りあう
・2名で数百万の融資をあつめ、商品を仕入れる
・販売のために、テレアポ・飛び込みなんでもやる
・オフィスなんて借りれる資金ないため、新宿御苑・皇居など「公園」がオフィスとなる

正直ここでは書けないようなこともなんでもしました。
ただ、ここではビジネスとしては正直失敗。二人とも生活が持たないということで一度解散をした。

この時、デートすらできない・電車に乗る金もない状態で、
昼間は派遣社員、肉体労働。夜中はゲイバーのバ-テン(笑)をしました。(僕は女性一筋です)

特にゲイバーでの経験が非常に生きていて、どんな方に対してもビビらない度胸、自分が楽しむでなく、相手を楽しませること(役に立つ)に全集中すれば、自分が「恥ずかしい」とかの気持ちは消せる、ということを非常に学びました。

真面目な話をすると、

・人はどういう人、モノだと買ってくれるのか?
・テレアポはどのようにしたらアポが取れるのか?

は非常に学びが深く、現職で即結果が出せたのも、この起業時代のおかげ。
また、自分は「新規開拓なんでできない」と思い込んでいただけで、トップ営業マンである先輩も売り上げでは抜くくらいまでできるように成長していた。
当時は正直「お金」しか見えていなく、だから自分自信も持続しなかったと非常に反省している。
だからこそ、「世の中・個人に対してどのように役に立ちたいか」をもう一度考えて活動した結果、今の会社に拾ってもらえた。

■現職

・最短受注記録更新
・最年少管理職
・現在マネジャー職

今の会社に入社させて頂き、上記のような結果・成果が出ているのは間違いなく、「環境に活かされている」というのが根本にあると思う。
ここでなぜこのような成果を出せたのか?は続きの正しく自信をつけるために、で考察していこうと思う。
























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