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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 3

 翌日、御手洗主水に挨拶をした。また、入りが遅い、昨日はずっと待っていたのだとねちっこく怒られたが、そこは新兵衛が何とか誤魔化して事なきを得た。

 惣太郎は暇をもらい、板橋へと行くことにした。

 すると、新兵衛も付いてくると言う。

「しかし、お役目のほうは」

「いや、そんなに急ぐ話でもないので。それに、旅の疲れもあるからと、御手洗さまからお暇をもらってきた」

 この人、意外に人垂らしなのかもしれない。

「拙者も手伝いますよ」

 と、新兵衛は言っていたが、板橋に着くと、聞き込みだと称して、あっちの茶店に入って団子を食い、そっちの矢場を覗いて女にちょっかいを出しと、どうみても江戸見物を楽しんでいるようにしか見えない。

 惣太郎が呆れていると、

「いやいや、立木殿、こういうことが意外な結果をもたらすものです。おっ、立木殿、ここ、ここなんてどうです、ちょっとひと休みしていきましょう」

 と、宿にふらっと入っていく始末。

 慌てて引っ張り出すという有様だった。

「磯野さま、宿なら以前おみねが通っていたところに行きましょう」

「おお、そうですな。そこで一杯やりましょう」

「まだ昼間ですよ。それに、これはあくまでも、お調べですので」

「そう固いことは言わない。それで、その宿はどこです」

 おみねが飯盛りとして働いていた宿は、下宿の加賀屋といった。

 宿に入ると、手代と思われる男が、お泊りですかと訊いてくる。随分腰の低い、人好きのする笑顔の男である。

「いえ、以前ここで働いていたおみねという女のことで訊きたいのですが」

 と、その男の態度と顔が、あからさまに変わった。

「そんな女、知りませんね。間違いじゃないですか」

 と、つっけんどんに言い放つ。

「いや、確かにここなんですが。下宿で、加賀屋はここだけでしょう」

「ええ、確かにうちだけです。ですが、おみねとかいう女は知りませんよ」

「しかし、確かにここなんですよ。本人からそう聞いてきたんですから」

「だから、そんな女知らないって言ってるでしょう。客じゃないんなら、出ていってくれよ。こっちは忙しんだ」

 危うく追い出されそうになった。

「いやいや、客だよ、客」と、新兵衛が間に入った、「遊びに来たんだよ。酒を頼むよ、あと、いい女をつけてくれ」

 そう言われては店側も断れず、奥へと通された。

「磯野殿、我々は酒を飲みにきたのではないのですよ、まして女と遊ぶなど」

「まあまあ、ああでも言わないと、店から追い出されてましたよ。それに、こういうことは男よりも女のほうがいい。女っていうのは噂話が好きですからね。特に、色恋話は好物ですから」

「だからって、何も酒まで頼むことはないでしょう」

「いやいや、そうとも限りませんよ。人ってもんは、ちょっと入ると口が軽くなるものです。アサリもそうでしょう、酒蒸しにすると、ぱっくりと口を開く」

 人とアサリを一緒にしないでもらいたいと思った。

 飯盛り女がふたり、酒と簡単なつまみ物を持ってやってきた。

 ともに三十手前の女だろうか。一方はちょっと釣り目がちで、面長の顔。もう一方はのっぺりとした顔で、仕草もおっとりとしていた。

 惣太郎が、早速おみねの話を聞きだそうとすると、それを新兵衛が止めた。

「まあ、まずは一献。ほら、お前たちも」

 と、女たちにも勧める。

「いえ、いけませんよ、そんなお客さん」

 一度目は、断ることになっているらしい。二度目も拒否して、三度目で、「じゃあ、そんなに言うんなら」と、お猪口を口に運んだ。

 釣り目顔の女のほうは、かなりいける口で、新兵衛と飲み比べるように、ぐいぐいと流し込んでいった。

 のっぺり顔の女は、それほどでもないらしい。一杯の酒を持て余している。

 ふたりで楽しそうにやっているのを横目に見ながら、惣太郎はその女におみねのことを尋ねた。

「おみねさんですか。さあ、あたしは知りせんけど。ここに来て、まだ一月(ひとつき)にも満たないものですから」

「誰からか聞いたとかないですか」

 女は首を振った。

 となると、隣の女に訊きたいのだが、こちらは完全に酔っている。

 しかも、

「じゃあ、立木殿、あとは別々で」

 と、新兵衛とともに隣の部屋へと消えてしまった。

 あの人、いったい何をしにきたのだろう。これでは、一向におみねの件が進まないでなはないか。

 そう思っていると、襖の向こうから女の艶かしい息遣いが聞えてきた。

 全く、何を考えてるのだか。

 気を紛らわそうと酒を飲んでいると、女の声がどんどん大きくなっていく。

 その声に、惣太郎の下半身が反応していく。

 のっぺり女も、耳まで赤らめ、上目遣いにこちらを見ている。

 変な雰囲気になってきた。

 もちろん惣太郎も男である。嫌ではないし、興味もあるし、興奮も覚える。

 が、いまはお役の最中である。

 男として耐えねばならぬ。

 女は、そっと身体を寄せてくる。

 障子からは薄明かりが零れ、女のうなじを艶やかに照らす。

 化粧だろうか、それともこの女の体臭か、甘ったるい香りが鼻腔をくすぐる。

 男の膝にそっと手を置く。

 その瞬間、惣太郎は立ち上がり、

「すみません。ちょっと尿意を催したので」

 と、いまにも漏れそうに、腰をかがめながら出ていった。

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