【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 5
味噌焼きの香ばしい団子を頬張っていると、加賀屋のほうから新兵衛がやってきた。
随分満足げで、惣太郎の顔を見ると、よっと手をあげた。
「立木殿は、花よりも団子ですか」
と、意味ありげに笑う。
人の気も知らないでと、惣太郎は黙って団子を食べた。
新兵衛は熱い茶を所望した。
「酒を抜いて帰らないと、さすがに昼間から飲んでいたのかと御手洗さまに叱られますからね」
と、ふうふう息を吹きかけながら茶を啜った。
「ここで、ずっと待っておられたんですか」
「いえ、あの長屋のほうで」
「ほう、それで何か収穫はありましたか」
何とものんびりした言い方に、少々腹立たしかった。こちらは、息詰まる思いをしたのに。
惣太郎は、長屋であったことを話した。
「おみねの亭主 ―― 寅吉でしたっけ、そいつが今度は岡っ引きですか。これも、不思議な縁ですな」
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃありませよ。また、おはまみたいに町方と揉めるんじゃないかと、こちらは気が気じゃありませんよ」
新兵衛は、なるほどなるほどと笑う。
笑い事じゃないと、惣太郎は怒りたかった。
「そうそう、その町方ですが、北町の大澤とか言いましたっけ、あの女から、ちょっと面白い話を聞きましてね。女の話では、大澤という男、じつは以前からある茶屋の女とできていたと言うのですよ。その女、亭主持ちらしいんですが……」
惣太郎の脳裏に、ひとりの女の名が浮かんだ。
「まさか、その女って……」
「まあ、名まではさすがに言いませんでしたが、でも、間違いはないでしょう。女が満徳寺から消え、さらにその亭主まで行方が分からなくなったときは、あの男が自分の悪行が露呈するのを恐れて、両人とも殺(や)っちまったんじゃないかって、飯盛り女の中で噂になったらしいですよ」
「そんな重要な話、どうやって聞きだしたんですか」
「だから言ったでしょう、酒は口の滑りが良くなるって。酔っ払うと、誰彼構わずしゃべりまくるので嫌う人もいますがね」
それは、清次郎のことだろうか。
「まあ、あとは、男として楽しませてやったというわけです」
その意味が分からず、惣太郎は新兵衛にきょとんとした顔を向けた。
「立木殿、もう少し遊んだほうがいいですよ。そうすれば、女というものが少しは分かってくる。女心が分かれば、仕事にも役立ちますからね」
「はあ、そうですか……」
「それと、もうひとつ、おはまがらみで面白いことを訊きました」
「それは何でしょう」
惣太郎は新兵衛に身を寄せる。
おはまに関しては、あれ以来全く音沙汰がない。生きているのか、それとも死んだのか、それすら分からない。
新兵衛は、酒臭い息を吐きながら言う。
「あの女、この江戸で、おはまを見かけたそうですよ」
惣太郎は、「まさか!」と大声を上げた。
茶屋の亭主や、隣で団子を食っていた爺さんが驚いてこちらを見た。
新兵衛は口元に人差し指をあてがう。そして、耳を寄越せと手招きする。
「あの女がいうと語弊がありますね。正確には、おはまを見かけた人から話を聞いた、ということです」
それにしても興味深い話だ。
「それでいったい、どういう話なんですか」
「何でも、あの宿をよく利用する客が、神田で見たって話したらしんですよ」
以前、おはまの商う茶屋を何度か訪れ、顔は見知っていた。最近、店を閉めたので、どうしたのかと思っていたが、こんなところにいたのかと声をかけようと思って追いかけた、そしたら見失ってしまったとの事である。
「その男は、おはまの事情を知らなかったそうで、おはまが縁切寺に駆け込み、そして姿を消したと話してやったら、すごく驚いていたそうですよ」
「で、でも、他人の空似ということではありませんか」
「男は、確かにおはまだったと言っているそうです。ですが、立木殿の言われることも一理あります。自分の覚えていた人相と、現に見た人相が違うことなど、ざらにありますからね。拙者なんて、それでよく女房に怒られますよ。ですが、面白い話だとは思いませんか」
「確かに。しかし、もし生きているとして、どうして江戸なんかに。政吉に見つかることも考えられますし、現にその男のように、知っている者と鉢合わせることだってあるんですよ。私なら、上方か、それでなければもっと田舎に行きますが」
「木を隠すにはなんとやらと言うでしょう。それに、上方や田舎は、余所者が入ってくればすぐに目につきます。あの女は怪しいと噂になって、代官所に通報されますよ。しかし江戸なら人も多いし、長屋だって入れ替わりが激しい、大家だって、それなりの後ろ盾があれば見過ごすことはある。意外と隠れやすいものです」
「それなりの後ろ盾って……、もしかして、北町の同心ということですか」
新兵衛は、頷きもしなければ、否とも言わなかった。
ただ、
「面白い話には続きが、その同心、最近神田界隈によく出没するそうですよ。同心の受け持ちは決まっております。大澤という同心は板橋界隈なんですが、よく神田の辺りをうろちょろしているので、あの辺りを受け持っている同心や岡っ引きが怪しがっているそうです。まあ確かに、八丁堀から近いですし、板橋に行くのに通りがかっただけだと言われれば、それまでなんですが。しかしどうです、この話は」
「大変面白いです」
縺れた糸が、一本一本解かれていくような感じだ。
「残念ながら、おみねの件は口を割りませんでした。ですが、あれは何か知っている口振りでしたので、もう少し押せば、そのうちに割ると思いますよ。ですが、その前に、おはまの一件、調べてみませんか。お父上のこともありますし」
父は、おはまの一件に関して何も言わない。もう終わったことだと、綺麗さっぱり忘れている………………ふりをしているだけであろう。いまでも、きちんと離縁させてやれなかったのが、心残りのようだ。
母曰く、『あの人は、自分の取り扱った事件は必ず覚えています。おはまさんの件だって、忘れるわけないでしょう』
ときどき考え事のように遠い目で外を見ていることがあるが、きっとおはまの一件を思い出しているのだろう。
父の仇をとるではないが、父にはすっきりとした気持ちでお役目を退いて欲しいと願っている。
惣太郎は、はっきりと言った、「やりましょう」