【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 後編 15
通り雨の後は、満天の星空だった。
弟成は、船底に転がって眺めている。
先程まで雨水が溜まっていた船底は冷たい。
板に染み込んだ雨水が、背中に染み出してくる。
冷たすぎて、眠ることができなかった。
冷たさだけではない。
海の夜は、あまりに静か過ぎて、船縁を打つ波の音が彼には耳障りだった。
いま、海の上で起きているのは自分と見張りぐらいだろ。
そう思うと、無性に寂しくなる。
まるで、ひとり小舟に乗せられて、海の上を漂っているようだ。
彼は、黒万呂と話したくなった。
話さなければ、本当に、一人で漂流しそうな気がした。
「黒万呂?」
彼は、隣で同じ様に寝転がっている黒万呂の名前を呼んだ。
返事はない。
もう寝ているのだろうか?
それにしては静かすぎる ―― 弟成は、黒麻呂が死んでしまったのではないかという恐怖に駆られた。
もう一度、彼の名前を呼ぶ。
「黒万呂、もう寝た?」
「なんや?」
返事が帰ってきた ―― 安心した ―― ただそれだけなのに、なぜか嬉しかった。
「もう寝てたん?」
「いや、背中が冷とうて、眠れへんわ」
「俺も、そうやねん」
「そやけど、寝らんと明日辛いで。そういや、弟成、船酔いせへんの?」
「いまはな。せやけど、大船に乗ったら駄目やで。すぐ吐きそうになる」
「ああ、俺も同じや。あの船、なんか揺れ方変やからな」
2人の話している大船とは平底箱型の船である。
弟成が、初めて船に乗ったのは、もちろん難波津であったのだが、その最初の船が平底箱型船であった。
その日、弟成は船に荷物を積み込む仕事を仰せつかったのだが、船だと聞いて彼が想像していたのは、大和の川で使われていた丸木舟か、筏のことだろと考えていた。
しかし難波津で見た船は、彼の予想を遥かに上回る大型船であった。
彼は、その勇壮な姿を見て意気揚々として乗り込み、半時ほどは左右の揺れを楽しんでいたのだが、しばらくすると頭がぼんやりとしてきて、胸も息苦しくなった。
そのうち顔も真っ青になり、2、3度大きく深呼吸をするのだが、ついに堪え切れずに舷側へ体を乗り出していた。
その後は、何度となく舷側から顔を出し、とても荷方として役に立つ状態ではなかった。
難波津から長津へ下る時も平底箱型船に乗せられたのだが、妙な左右の揺れに付いていけず、ずっと寝転がっているだけであった。
そして、上陸しても大地が揺れている感じがして、しばらくの間は立てなかった。
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