【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 最終章「受け継ぐもの……、語り継ぐこと……」(完)
火は、未明から降り始めた大雨で、昼前には全て消えた。
お寺は、講堂から中門に至るまで、全て灰燼に帰した。
幸い、僧房や家人、奴婢長屋等は延焼を免れ、消火にあたった数十人が火傷を負ったが、死人は出なかった。
しかし、塔内から骨がでてきた。
相当な火の勢いだったのか、骨だけで、誰のものかも分からない。
が、覚知(弟成)の姿が見当たらないので、きっと塔内に籠って仏像を彫っていたので、気が付かずに巻き込まれたのだろうとの話になった。
が、不思議なことが起きた。
骨の数が多い。
よく見ると、もう一体は、どうやら女のもののようだ。
なんでこんなところに、女の骨が?
と、みんなは不思議がった。
聞師は、「もしや八重子様の?」と考えたが、「まさかね……」と思い、言わずにおいた。
結局、その骨の持ち主は分からず、可哀そうだからと、弟成とともに丁重に葬ってやった。
弟成の骨を埋葬しながら、聞師は思った。
―― これが、お前が本当に進みたかった道だったのか?
この後聞師は、斑鳩寺の再建に動きながらも、さらに深く仏の道へと入り、表舞台から姿を消す。
その頃、大伴本家では、娘がひとりいなくなったと一時騒ぎになったが、もとは婢なので、それほど捜索もせず、いなくなってちょうど良かったと、病死として密かに処理された。
そして同じく、ひとりの兵士もいなくなったが、これも奴だったことから、あの行動中に火に巻き込まれたのだろうと、別段気にすることもなかった。
奴婢とは、所詮そんな存在だった。
そんな哀れな奴婢のために、大伴安麻呂は歌を詠ってやった。
そして、
―― やはり俺は、歌詠みとしてひっそりと生きよう、多くの人の想いを残すために……
と誓うのだが、歴史は彼が隠者として生きることを許さなかった。
これよりのちに起こる壬申の乱(672年)では、大伴氏の一員として大海人皇子側に従軍、文部天皇の治世では兄の御行が亡くなった後、家を継ぎ、氏上(うじのかみ:一族の代表)となり、和同元(708)年に大納言となって、同7(714)年に死去、従二位が贈られ、結局は戦と政に生きることとなる。
歌詠みとしては、『萬葉集』に3首残すのみである。
歌人としては、彼の息子や孫たちのほうが有名だ。
『萬葉集』に78首も残し、漢詩にも長けた大伴旅人(おおとものたびびと)は息子であり、『萬葉集』に473首もの歌がのり、その編纂者といわれる大伴家持(おおとものやかもち)は、その孫である。
歌詠みの精神は、彼らに脈々と受け継がれていくのである。
そして、ひとりの男が山にいた。
獣道を分け入り、広場のような場所で寝転がっている。
短甲を身に着けているので、兵士のようだ。
全身煤けて、顔も真っ黒だ。
だが、目だけは異様に白く、瞳が輝いている。
じっと空を見つめている。
子どもの頃、仲間たちと駆けまわった、あの空を………………
―― あの頃のことが懐かしい………………なぜこんなことに………………
そして男は、青い空を見つめたまま………………
こんもりと積もった土の山が、いくつも並んでいる。
そのひとつは、幾分新しい。
女がひとり、その前にしゃがみ込み、手を合わせている。
その周りを、幼子が駆けまわっている。
女は顔をあげる。
風が吹き、髪を揺らしていく。
お寺の方から、木槌を打ち付ける音が聞こえる。
もう再建のための準備をしているようだ。
―― お寺はまた蘇る、でも、人は………………
走り回る子を見て、女は思った。
―― いえ、人もまた、こうやって受け継いでいくんやね、その想いを………………
女は、髪をかき上げ、子どもに声をかける。
「廣女、もう行くよ」
幼女は駆け寄り、女の手を握る。
歩き歩き、
「ねえ、うた! うたうたって!」
と、つたない言葉で催促する。
「歌? そやね……、うちはしの……」
―― 天智天皇の治世3(670)年5月
巷で、こんな不思議な童謡(わざうた)が流行る。
打橋(うちはし)の 頭(つめ)の遊びに 出(い)でませ子
玉手(たまで)の家(へ)の 八重子の刀自(とじ)
出でましの 悔いはあらじぞ 出でませ子
玉手の家の 八重子の刀自
(板を渡した仮橋の、たもとの遊びに出ておいでなさいな、お嬢さん
玉手の家の八重子さん、
出ていらっしゃって遊んでも、悔いはないですよ、出ておいでなさいな、お嬢さん
玉手の家の八重子さん)(『日本書紀』天智天皇九年夏五月条)
『法隆寺燃ゆ』(完)
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