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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 中編 20

 —— 6月12日夕刻

 甘檮丘には、漢氏を始めとする蘇我の眷族が詰め掛けていた。

 しかし、その中には蘇我倉麻呂の姿も、敏傍の姿もなかった。

 麻呂は飛鳥寺にいた。

 敏傍は古人の屋敷から引き上げる途中に、巻き添えを恐れた物部一族によって、屋敷に幽閉された。

 集った兵士たちの士気も揚がらなかった。

 蘇我征伐の勅命が下っている —— すでに蘇我は賊臣だ。

 おまけに、頼みの綱の敏傍と古人大兄は幽閉されてしまった。

 加えて、蘇我家の中でも大王に恭順する者も出てきた。

 何より、総大将となるべき蘇我蝦夷が、入鹿の遺体を抱えてずっと泣き明かしている。

 戦をするような雰囲気ではなかった。

 これを嘆いた高向國押(たかむくのくにおし)は、

「明日にでも豊浦大臣も処罰されることであろう。戦をして、無駄な血を流したところで何になろう」

 と、武装を解き、兵を連れて丘を降りて行ってしまった。

 これを手始めに、蘇我の眷属たちも、一人二人と兵を連れて丘を降り出し、大王軍の使者が蘇我の門を潜った時には、すでに屋敷を守る兵はおらず、残るは蘇我本家の妻子と長年仕えてきた従者数人だけであった。

「大王のお言葉を申しあげます」

 蝦夷は、使者の言葉を平身して聞いた。

「蘇我臣、国家転覆は斬首に当たる罪であるが、長年の大臣としての功績に鑑み、自縊を命じます。時は、明後日。よろしいですな?」

 蝦夷は、深く頭を下げた。

「なお、妻子については罪を減じ、流刑と致します」

 使者は大王の言葉を述べると、早々に立ち去った。

 朝方から降り出した雨は、日を跨ぐ頃には上がっていた。

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