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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 7

 その帰り道、誰かにつけられているような気がした。

 はじめは気のせいかなと思った。

 これだけ人が行き交うお江戸である。田舎と違って、背後に付かれても可笑しくはない。

 気にせず歩いていたが、やがて人通りの少ない大名屋敷に囲まれた道に入ると、それでもまだ後ろから付いてくる気配があった。

 さすがに、付けられていると思った。

 もしや、あの寅吉であろうか。

 いや、寅吉が神田から付いてくるわけがない。

 とすると、北町の同心か。

 それとも、おかるの亭主文吉か。

 さては、おかる自身かもしれない。

 惣太郎は、足を速めたり、緩めたりして、相手が本当にこちらを付けているのか確かめる。

 彼が足早に歩くと、後ろのやつの足音も早くなる。ゆっくりと歩くと、その歩調に合わせるように足音も落ち着く。

 間違いない。

 完全に狙っている。

 惣太郎は、まさかに備えて、ふっと丹田に力を入れ、そっと脇差に手を添える。

 もうじき奉行所である。

 このまま逃げるか。

 それとも、一度相手を確かめるか。

 時は夕刻、冬の日は落ちるのも早い。暗くなっては相手の顔も見えまい。振り返るなら、いましかない。

 門が見えてきたところで………………惣太郎は一目散に走った。

 命あっての物種である。

 矢張り相手も走り出す。

 距離が段々縮まっているようだ。

 ―― 殺(や)るつもりか!

 その前に………………惣太郎は奉行所の門に飛び込んだ。

 が、すぐさまくるりと向き直り、駆けてきた相手と面と向き合った。

 相手は、まさか惣太郎がそのような手にでるとは思っていなかったようだ。慌てて止まったが、目と鼻の先、惣太郎は相手の顔をしっかりと見ることができた。

 40過ぎであろうか。鰓の張った、目玉のぎょろっとした、厳つい男であった。背丈は小さいが、がっしりとしていて、肌蹴た胸元からはむさ苦しい毛が見えた。

 惣太郎の知らない男である。

「何者か」

 と、誰何したが、男は何も答えず、じっと睨みつけたまま。

 そのうち、ゆっくりと後退りし、間合いの外に出たかと思うと、さっと向きを変えて、暗くなり始めた道へと消えていった。

 いったい、何者であろうか。

 惣太郎は、この先、何か良からぬことが起こるのではないかと、少々不安であった。

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