閑窓随筆 ~『法隆寺燃ゆ』お寺にも階級制度があるんですよ、何だかな!
人というのは、とかく官職や位階というものを気にします。
軍隊は、階級がものをいう世界ですので、ひとつでも位が上だと、その人の命令は絶対です。
たとえ同じ階級でも、経験年数や成績で順番が決められています。
あいつの命令なんか絶対に聞きたくない! といっても、この順番は絶対です。
でないと、戦場において上官を失った場合、次の席にあるものが速やかにその職務につかないと、部隊に混乱が起こるからです。
この話は軍隊だけではありません。
一般社会においても、同じですよね。
会社の中は平社員より係長、係長より課長、課長より部長……と上下関係があります。
会社同士でも、名刺を渡す際に、
(この人、課長かな? それとも部長かな?)
などと相手の職位を推し量り、自分より上の職位の人がでてきたら、
(この契約は本気だな!)
とか、自分の下だと、
(こっちをバカにしやがって!)
などとなります。
本当に面倒くさい世界ですよね。
ああ、こんな面倒くさいの嫌だ! いっそ出家して、俗世を捨てよう!
そうすれば、階級のない、平等な世界で自由に生きていける……などと思うのですが、実のところ宗教にも階級はあります。
これ、どこの宗教でもそうです。
人類みな平等などと言ってるくせに、好きなんですよね、みんな上下を付けることが。
なんだかな……(阿藤快風に……といっても、分かる人にしか分からないでしょうが)と思ってしまいます。
もちろん、仏教でも階級はあります。
日本における仏教の階級のはじまりは……といいますと、推古天皇まで遡ります。
推古天皇の治世32(624)年4月3日に、1人の僧侶が、祖父を斧で殴るという事件が起きます。
これを聞いた大王の怒りは凄まじいもので、当該の僧侶だけでなく、その他の関係のない僧尼まで罰しようとします。
その時、百済の僧観勒(かんろく)が「僧尼が未熟である」という理由で赦免を求めたので事なきを得ました。
大王はその数日後に、僧侶の乱れを懸念して、僧正(そうじょう)・僧都(そうず)・法頭(ほうず)を任命して、寺の建立の由来や僧尼の入道理由・得度の年月日を詳細に調査させます。
これが、我が国における僧官の始まりで、この時、観勒を僧正に、鞍部徳積(くらつくりのとくしゃく)を僧都に、安曇連(あずみのむらじ)を法頭に任命しました。
僧正とは僧尼の過ちを正す最高官位で、僧都とは僧尼を取り纏める職です。
法頭に関してはその職がはっきりしませんが、僧都が僧尼を取り纏めるのと対照的に、法頭は法を、即ち、法物(寺の財産)を取り纏めたのではないかと考えられています(田村圓澄『飛鳥仏教史研究』塙書房)。
律令下では、僧官はすべて僧侶から任命されましたが、この時代、僧尼と財産を取り纏める職に官人を置いたのは、国家が寺を取り纏めるという強い表れがあったのでしょう。
兎も角も、この僧正・僧都・法頭制度は、大化改新まで続くことになります。
これは国における僧侶の階級ですが、それでは各寺の組織は如何なっていたかというと………………
律令下では、上座(じょうざ)・都維那(ついな)・寺主(じしゅ)の三綱制によって寺務が管理されていましたが、政府が各寺の寺主を任命したのは大化改新の時が初めてです。
それ以前は、どのように寺務を管理していたかを知る直接の資料はありませんが、古代中国の仏教教団も三綱制以前は、寺主だけが寺務を管理していたらしいので、大化前代のおいても、各寺によって寺主が置かれ、これが寺務を管理していたのでしょう。
ただ、僧侶は財産を持たないのが常識です。
そのため、財産を管理することは理屈上できません。
『聖徳太子傳補闕記』には、「寺法頭」が家人や奴婢を統率していたように描かれていますので、俗人が「寺法頭」となって、財産面の管理をしていたのでしょう。
『法隆寺燃ゆ』でも、奴婢たちの管理は寺法頭がしています。
人が多くなっていくと、それを管理していくためにやはり階級というものが必要でしょう。
ただ、年数がたつと、階級待ちの人が多くなって…………………
係長代理とか、課長代理とか、次長とか、部長付とか……その階級や職位は何の仕事をしてるだ? というのが散見されてきます。
あなたの会社にも、
(あの部長代理、なんの仕事してるんだろう?)
などという人はいないでしょうか?
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