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未来予想図

今、何かものすごい発見をしたような気がして
車駐めてパソコン打ってます。

CDが売れないなぁ。ライブする機会がなくなったなぁ。
仕事がないなぁ。お金がないなぁ。
これらが無くなっても
在るものって?

キャッシュレスの時代。情報化社会。らしい。

物がたくさんあるよりも、データがたくさんあった方が良い。
な雰囲気。

CDをたくさん買って、たくさん良質な音楽を聴きましょう。って時代だった。

今は、そんなにCDが家にたくさんあったって、困っちゃうよ。
ってくらいCDは手に入るから、もっとコンパクトに、情報だけ。
音そのものが耳に届けば良いわけですね?

耳に届くってことはどういうこと?
「あぁ 気持ちいいなぁ」とか「しあわせだなぁ」とつくづく感じたり、元気が出たり。
要は心が感じて動くわけですよね?

ということは、心が動けばいいわけですね?

音が無くても、音を想えば、心は動くわけです。

街を歩いてても、
「みんなスマホの画面ばかり見て、人と人とのコミュニケーションが取れない若者が多い」
なんて現代批判の声を聞きますが、
現実、彼らは、僕らは、
スマホの画面が現実となっているわけだから
別にどこに居ても関係ないんです。

パソコン1台あれば仕事ができるリモートワークとか、ノマドとかいうライフスタイルを
憧れのように感じているのも「いまどき」の価値ですかね?

どこに居ても関係ない。
どこに居ても画面の中が現実?

久しぶりに実家で聞いていたNHKラジオの専門家が言っていたことが引っかかった。
「スマホの画面ばかり見ている」ということに焦点絞っても意味がないんです。

スマホの画面を通して繋がっている人たちとコミュニケーションをとっているわけです。

だからそんなスマホの情報化社会が問題なわけではなくて、
今も昔も相変わらずの、僕ら人間の光と影が、いつもどおり世の中に反映されているわけで
何も変わってないんです。

だから相変わらずあなたたち専門家の仕事があるんでしょ?

この仕組みがわかって、どんな風に生きていこうかと考える。
そんな相変わらずのビジネスというネットワークに窮屈を感じているなら、
やめてもいい。

さっきも言った
要は「想い」があれば良いわけですよね?

CDが無くても音があればいい。
音が無くても想いがあればいい。

金(きん)が無くても銀行券があればいい。
紙幣がなくてもカードに数字があればいい。
カードに数字がなくたって・・・
カード、為替、相場・・・
誰かの創った仕組み次第なんですよ。

カードに数字が無くても、仕組みを操る知恵、力があればいいなぁ
と想うわけです。

でも、知恵、力が無くたって、自由な想いを生み出せるんなら
それが生きてるってことなんじやないかな?

今、
時代の変化を感じています。

10年くらい前から想像はしてたけど、やっぱり
10年前の「街」ってやつは消えていってるような気がするんだ。

街に出たら何かがある、ような気がする。
そのワクワクの幻だけが僕の中に残っていて、
実際出てみると、欲しいものが何も無くて。

でも、在ったんだよね。
在るんだよね。
胸のワクワクが、胸に。

インターネット社会になっていると想う。
今の僕はそう感じている。

ネットの拡がりの方が、たくさんの人と繋がっている。ような気がする。
可能性を感じる。

でも、そう感じているのは僕。
そしてそう感じている人たちの波長で歩くとそういう人と出会って
そういう現実を歩むだろう。
だから、そう感じなければ、また別の現実が開かれてゆくことは、
今までの気づきから考えると、在る。

携帯電話が社会を変えた。インターネットが社会を変えた。
このスピードで考えると、インターネットの時代も、そう長くは続かないと想っている。

この流れの先には、
そんなにたくさん情報もってなくても
そんなにたくさんお金もってなくても
そんなにたくさん「いいね」もらわなくても
そんなにたくさんフォローされなくても

想えば届く。創られる。
そこに気づけば
お金の先の
スマホの先の
数字の先の
テクノロジーの先の
僕らが豊かな想いで生きられる社会を共に創っていけるんじゃないか。

「先」ではなくて「元」かもしれない。

「我」を見失うような社会創っても仕方ないじゃない。
僕らが創るんならね。
支配者に与えてもらう暮らしに満足ならば、君たちとはサヨナラだ。
死なないように生かされて、不満があるなら降りよう。

幸せじゃなくてもいい。
安らがなくてもいい。
力が湧かなくてもいい。
叫び暴れてもいい。
優れていなくてもいい。
幸せになっていい。

何でもいい。
ただ、想いがどこかからやってきて
今という「本当のこと」が創られている。

それら一人ひとりの想いが、綾なして、響き合って、
またさらなる想いを生み出して。
あ、まさに最近知った「インフルエンサー」ってやつですよ!

今、お金という固定された観念より、
たくさんの人にフォローされて「バズる」ことの方が
クリエイティブに価値があるように思われ始めている。
「I love 〇〇」と敵対国の名前のカードを持った写真が拡散されることで戦争の始まりが遅れるほどにね。

きっとひと昔前の「お金」ってやつも、「いいね」みたいに曖昧な感じで
もっとふわふわとかる〜く、クリエイティブ、そしてつぶさに隅々まで、ちょっと語弊があるとしても「平等に」存在していたのかな?って想う。

日本の感覚ね。
路上で音楽やったりしてると、完全に「投げ銭する」「お金を入れて施してやる」
みたいな風潮も消えたような感じがする。僕自身も含めてね。

そこで想ったのは
昔はお金の価値は曖昧だった。
なぜならお金よりも海幸山幸、自然と共に生きる暮らしをしていたから。
お金を出して種を買うのではなく、実から種は採れるもの。

当たり前だったことが、お金の価値が巨大化して失われようとしている。
すると今は
「お金」ってやつが、かつての「海幸山幸」。
「いいね」ってやつが、かつての「お金」のようになってきているんじゃないかと想像する。

だから今は「いいね」「フォロー」とかがクリエイティブに価値を持ち始め、
そのうち価値が絶対的なものに固定されると
息苦しくなって、次の「価値」を人々は求め、生まれてくるような気がする。

またその新しい「価値」に一喜一憂していくのかな?

まあそうだろうね。

でもそのサイクルがわかったから。

大丈夫。

価値は僕ら一人ひとりが感じる心だ。

要は「想い」が在れば
古今東西、それでいいのだ。

これでいいのだ。

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これを書き終えて、車から聴こえてきたのは
スマッシングパンプキンズのtravels。

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