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【小説】先生も走るんだから、気分だけでも忙しくしなきゃいけないような・・。

 年を取るにつれて、時間が経つのが早くなっている気がする。
いや、まあ、体感的に「早くなっている気がする」だけであって、今から何年、何十年と経っても一秒の長さが変化することはないのだけれど。

 そういえば去年の今頃は「受験よ、早く終われ」なんて半ば呪いのように呟きながら人生初の受験、高校受験に向けて必死で勉強していた。
これまでの人生で勉強なんて「授業中に聞いたものをなんとなく覚える」だったのに、ある日突然「範囲は中学校三年間で習ったもの+α!一年間すべてが試験期間!」なんていういわゆる「受験生」にされてしまった。ぶっちゃけ「なんでやねん」って思った回数は底知れず。
 だけど何とか勉強して、ここかな、と思った高校を受験して合格して迎えた入学式の日。
「長かった受験生としての日々も終わって、花の高校生!やっと遊んで暮らせる~」なんて思ってた。本当に。心から。
友達作って、彼氏もできたらいいなとか思って浮かれてたその時、厳しそうなおじいちゃん先生がマイクの前に立った。
そして開口一番、「早く希望の大学を決めて受験生になりなさい」といった。
え。待って待って。私たちはついこの間まで受験生だったんだけど。
いや、高校生活始まったばかりだし何よりあと三年もあるんだよね!?
なのに、・・・なのにもう受験なの!?
なんてもう、驚きを通り越してポカンとしてしまった。
あの時の私はたいそうアホ面だっただろう。誰も見てなければいいけど。
てかみんな同じ顔になるだろう。

 あれから八か月。
中学生までとは打って変わって予習、授業、復習のサイクルの渦に放り込まれイベントといえばテストテストの毎日に溺れないように必死にかじりついていたら季節は冬になっていた。
多分文化祭とか体育祭とかあったんだろうけど人前に出るのもあまり好きじゃない私はなんとなく参加してたからもう覚えてない。
まあ、自称進学校のこの高校ではそういうイベントらしいイベントは「勉強の邪魔にならない程度に」なんて言って準備も含めて一週間程度で片づけてしまうからよほど情熱をもって参加しない限り記憶の断片にすら残りにくい。
 そんなこんなでいつの間にか長袖になっていた制服に身を包む私は今日も勉強の渦に溺れないよう流されるだけ。
その合間の休み時間、教室の窓からぼんやりと中庭を見ていた。
あ、入学式の時のおじいちゃん先生。
私たちを再び「受験生」にしようとした人。
私の授業を受け持つことにはならなかったからあまり会う事は無いけれど、見かけるときはいつも厳格な老紳士風にゆっくりと歩いている。
そんな先生が今日はやけに急いでいる。・・ああ、そういえば三年生の授業も受け持ってるって聞いたことあるな。
大丈夫かな・・・あ、とうとう走り出した。ああ、もう、こけないでよね。老人の骨折は命取りになるんだから。
あ、ほら危ないよ。なんだか足がもつれてない?
先生とすれ違った生徒がびっくりして二度見してる。わかるわかる。あれは珍しすぎるもんね。
 あまり顔を合わせることもなく、ただ「厳しそうな先生」「受験生にした先生」と思ってただけなのになぜか応援したくなった。走ってるだけなのに。
でも、珍しい。走ってるだけ。でも、ちょっとかわいい。
これがギャップ萌えとかいうやつかな。あんまり知らないはずなんだけどな。むしろ「受験生になれ」なんて言われてちょっと苦手な部類だったはずなんだけど。

―――と、その時三限目の予鈴が鳴った。
もう少しあの先生を見ていたかったんだけど、致し方なし。
次の授業の準備、しなくちゃな。ああ、寒くて、やる気なんか出ないや。
まあ、でも。
あの寒空の下、おじいちゃん先生も走ってた。
だから私も気分くらいは忙しくしなきゃいけないよな気がする。
少しだけ、気合い入れてもいいかな。
気合い入れて、授業の準備しよう。準備だけ。

なんて思った、高校一年生の師走のある日。

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