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あなたの中に映るかっこ悪いわたしが嫌い
今目の前にいるこの人は、わたしのことが好きなんだそうだ。
「筋肉質な人が好きだと言っていたからジムに通い始めた。」
「あなたのお気に入りだと言っていたあれもこの前買ってみた。」
そんなことをわたしに熱弁している。
そう言われても、何もピンとこなかった。
というか、なぜだかそれを聞いたわたしは苛立ちを覚えていた。
また人でなしなわたしが顔を出す。
振り向いて欲しくて、その人に言われたことやその人が求めてそうなことを頑張る?なにそれ。と怒りを覚えた。
ちょっと待って。
でもそれ、わたしだ。
やってる内容はさておいて、その思考回路がまるで同じ。
そうだ、これはきっと同族嫌悪。
何かを持っている人、何かに向かって努力している人を見ると魅力を感じるし、感心してすごいなと思う。
それが自分の興味のあるものとか、自分も関わっていることだとなおさら。
わたしにはできないことをしている人を見ると憧れたし、尊敬した。
その尊敬がいつしか恋になり、好きになった人もいる。
というかわたしが人を好きになる理由って、大体それだ。
その人を見ていると自分も頑張ろうと思えるし、自分ももっとこんなことができるようになりたいと意欲が湧く。
同じように輝いていたい。気持ちが底上げされて日々の糧になった。
そこで頑張る自分も好きになれたし、その人を好きでいることがより嬉しく幸せに感じるようになった。
それなのに、逆の立場になった時のわたしときたら。
なんて嫌なやつなんだろう。
わたしも今まで好きになった人に、そんな風に思われていたのだろうか。
でも、何かが違う。
ものすごく苛立ちを覚える中で、自分はこんなに滑稽だったのかという恥ずかしさと共に何かちょっと違和感を感じる。
気持ちは手を取るようにわかる。
考え方は一緒だ。
唯一違ったのは「では、自分はどうするか」ということ。
自分の勝手に想像した「相手が魅力に思うような自分になろうとすること」と、「相手のように魅力的になるには自分がどんな人間になりたいか」ということ。多分そこが違うのだ。
相手ありきの自分ではない。
いい影響をもらった自分が、どういう自分でありたいか。
わたしはそこにいきたいのだ。
相手に魅力的に思ってもらえるような人間に変わるなど、そんなことができるのならわたしだってやりたい。
密かに、バレないように、なんとか近づけるように。
そうか、ここだ。
このわたしの腹黒さ、恥ずかしさ、隠したい根底の欲をありありと見える状態で目の前でやられたことこそが、おそらくわたしのこの苛立ちのような怒りの正体だ。
自分のアウトプットの仕方との違い。
本当はその気持ちもわかるけど、それは違うしそれをやっては台無しだと、自分が見えないように必死で隠していた恥ずかしい部分を目の前で体現されたことにわたしは嫌悪し、まるで恥ずかしい自分を見ているようで、苛立っていたのだ。
相手にも、そしてなにより相手から透けて見えるようなかっこ悪い自分にもげんなりする。純粋な人からの想いを、素直に感謝し受け取れない自分にもさらにうんざりする。
自己嫌悪と、同族嫌悪。
好意からなぜ嫌悪感ばかりを生まなければいけないのだろう。
わたしは今、「幸せ」を探してぐちゃぐちゃになっている。
いつまでも形にもなっていない夢のようなものを描いて、そのくせ人の想いや願いを斜に構えて軽く捉えて。
でも、何が幸せか、自分の描くゴールとはなんなのか。
それがわからないから、きっとわたしはぐちゃぐちゃなのだ。
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