物事を断定しがちな人ほど見えている世界は狭い
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物事を断定しがちな人ほど見えている世界は狭い

先日、ぼんやりとTwitterを見ていたら、こんな言葉が飛びこんで来た。

「最近TLに、つぶやいたあと『※あくまでも一個人の考えです』『※必ずしもそうだとは限りません』みたいに但し書き付けてる人が多いんだけど、そういう人って、SNSに向いてないんじゃない?」

確かに。

ネットで力を持つには、おしなべて断定してしまう必要がある。

特にTwitterのように短い言葉で強い印象を与えるには、冗長なく簡潔であることと当時に、強い表現であることが求められる。やや誇張され過ぎとも言える程に。

「~したほうがいいんではないか」では、ほとんどの人に届かない。
「~すべきである」「~しなくてはダメだ」でもまだ遠い。

「~しない人間はクズ」くらい書いて、ようやく伝わる。


そう言い切り、言い切ることで叩かれることに耐えられる人でなければ、SNSの荒波を乗り切るのは難しい、とこのツイートは言っているのだろう。
(ちなみに私はチキンなので、SNSには向いていません(笑))


それをしない「クズ」が身近にいないから言えること


他人のことを「クズ」と簡単に言える人の周りには、その「クズ」に該当するような人物がほとんどいないのだろう。まったくいないか、いても数人。

自分の周りにおいて、「クズ」な行動をする人が多数派であれば、それが「当たり前」となって、叩いていい対象ではなくなる。

だから彼(彼女)にとって、少数派であるその「クズ」は、叩いていい「クズ」なのだ。

だから、断定しがちな人というのは、恐らく、とても狭い世界の中で生きているのだと推測する。だって、「クズ」(とその人たちが呼ぶような人)は意外とどこにでもいて、普通に生きているものだから。


人によって見えている世界は違う


「狭い世界の中で生きている」というと、専業主婦や田舎に住んでる人などをステレオタイプに想像しがちだけれど、そうとは限らない。「世間が狭い」というのは、社会に出ていないという意味ではないからだ。

都心に住み、日々どれほど多くの人と会い、大きなビジネスをしていたとしても、会う相手が常に「自分と同じ属性」の人ばかりだったら、その人の世界はとても狭いものだ。

いわゆる名家に生まれ、エリートコースを歩んで、ご学友も名家の出で、家同士の決めた結婚をしたような人たちは、私たち庶民とは、明らかに見えている世界が違う。

けれど、私たちには見えているものが、彼らには見えないのだ。

政治家がとんでもない失言をして失脚するケースが後を絶たないのは、その一例だ。彼らには本来、政治を行う者に見えていてしかるべき「弱者の視点」が欠けているからこそ、起こることなのだ。


世間が広がるほど見えてくるもの


そういった「世間の狭い人」の特徴は何か。彼らは、「そんなことがあるわけがない」「そんな人がいるわけがない」という言葉を言いがちだ。

けれど、そこそこいろんな人と知り合ってきて言えるのは、人と知り合えば知り合うほど「世の中って、本当にいろんな人がいるものだ」と感じるようになること。

私はイラストレーターだけど、フリーランスは同業者とだけつるんでいる訳ではない。(そもそも、絵を描く人間には変わった人が多いのだけど)

同じ属性といえるマスコミの人や作家以外にも、政治家、学者さん、大企業の社長、占い師や投資家や公務員や普通の会社員などなど、様々な人と知り合う機会がある。

マスコミでも、テレビと広告と出版では属性は異なるし、同じ出版社でも大手と小さな会社では、視点がかなり違う。

多くの人と知り合うと、人間ならばどんな人にも共通するような「普遍的なモノ」も見えてくる。それと同時に、ひとくくりにはできない風変わりな人が、世の中には本当に多い、というのが実感として感じられるようになる。

人と知り合えば知り合うほど、もっともっといろんな人がいるのだろうと思うのだ。

だから、そうそう人は人を簡単に断定しないほうがいいし、断定する言葉を真に受けない方がいいのだよ、本当に。


パンがなければ何を食べるか


フランスの悲劇の王妃・マリー・アントワネットが、国民が飢えて、今日食べるパンもないと聞いたときに言ったという有名な言葉
「パンがなければ、お菓子を食べればいいではありませんか」

フランスの王妃として、日々謁見や舞踏会で多くの人と顔を合わせていたであろう彼女と多くの庶民の間は「分断」されていた。彼女が顔を合わせるのは限られた階層の貴族たちのみ。それ故に彼女は恐ろしく無知だったとする例えに、この言葉はよく引用される。

彼女は無知の象徴のように言われるが、それは今の社会にも普通に起きていることなのだ。


※余談だけれど「パンがなければ~」という言葉には諸説あって、そもそもこれは彼女の言葉ではないとも言われている。

また、日本語では「お菓子」と訳されているけれど、実際には「ブリオッシュ」と呼ばれるパンの一種で、当時は保存食とされていた。つまり、日本に合わせて訳すなら「米がなければ、(乾パンなどの)保存食を食べればいいのではないか」と言う意味だということ。

そうなると、もともとの意味合いが全然違ったものになるのだよね。



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陽菜ひよ子 / イラストレーター・取材&コラム二スト

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著書「ナゴヤ愛 」(秀和システム)好評発売中。2006年ダイヤモンド社・2015年PHPより出版。中日新聞広報誌にて取材+コラム連載中。代表的なイラストのお仕事はNHK Eテレ「すイエんサー」。インタビューとひよことプリンとネコが好き。http://www.hiyoko.tv/