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「自分が一番」 という気持ち

「自分が一番」という自尊心を持つのは一般的に3~4歳と言われています。
よくある保育園や幼稚園の困り感で「1番へのこだわり」が強すぎるためのトラブルというものが多く見受けられます。

勝敗のある遊びが成立しない。部屋を移動する時など、競争してなくても本人は競ってしまい、1番になれないと大騒ぎ、などなど。
放デイで勤務していた際も、保育園で勤務していた際もどちらも必ず1日に3人ほどは「一番」へのこだわりを見せます。(笑)小学生でもいます。


自尊心というものを知るようになってから色々気づかされたものが多かったのですが

1.自尊心があるから「自分が一番」と思う 
2.自尊心を高めるために「自分が一番」になろうとする

これは行動としては似ているようでまったく別のものだなと思うのです。

思春期に入ると「一番なんてだせぇ」、「最初っから競ってないし」「本気出してないだけ」と言う場面。

これらはどちらにあてはまるんでしょう。

「自分が一番」と言う背景には、他にも2番、3番の人がいるような言い方にも感じます。子どものうちから集団を意識しているということになるのかもしれません。

自分が1番と思えるには1〜2歳児の間に充分に大人から関心を向けてもらい、欲求や思いを受け止めてもらった土台の上に成り立ちます。この時はまだ大人と子どもの二者関係で二者関係で集団にはなっていません。

また、自分を見て欲しい!という欲求の強弱もスペクトラム(連続性)となっていて、その子によって違います。年齢で決めずに欲求が高い子にはたくさん応じてあげることが必要です。

人間には不安などを感じると退行と言って、赤ちゃん返りのような行動に至ることがあります。これは大人も同じで、ストレスが溜まったりすることで退行が見られます。そのため、環境や心的な状況が変わると行動が変わるのは人間の常です。

アドラーが注目されてから専門職ではない方も「自己肯定感」というワードを使用するようになったように思います。

大人になったら自分で自分を肯定すればいいじゃないの、という方もいます。しかし、本来は自分への関心を充分に持ってもらった幼少期の体験があることで、「自分が一番」とナルシストになることが出来て、自己肯定感が高まるのです。

「自分が一番」の時期が十分満たされて終わると、今度は「あの子のここがすごい」と他人の力を認められるようになります。自分よりも優れた子を見て、悲しい気持ちだけでなく尊敬を抱ける心を持てるようになります。このような心の状態になると集団で役割分担ができるように発展するのです。信頼がないと役割を他人には任せられません。

テレワークが今後増えて、役割の分担化がさらに進んだときに見えない場所へ仕事をしている人への信頼は職場だけで作れるのにではありません。幼少期の体験も大切なのです。

だから私は幼児期の教育に大切なものが詰まっていると考えます。





お掃除係の実習を体験した保育士さん、きちんとした指導・教育を受けられずも頑張る支援者さん…など現場に困り感を持っている方へサポートすることで、子どもたちに還元されるものがあるのではと信じています。よろしくお願いします。