ひみつのおへや。

気の向くままに。書きたいことを書きたい時に書きたいだけ書いてます。

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最近の記事

この日だけ、たったこの日だけインスタグラムのストーリーは、『検索が力になる』だらけ。 そんなのに嫌気がさす〜。 そんな風に思ってしまう自分の心の汚さにも嫌気がさす〜

    • 餅は餅屋、じゃなくて良いんじゃない?

      美容院へ行った時のこと。 私はその美容院で、素晴らしいアシスタントの方に出会った。 何が素晴らしいって、シャンプーの気持ちの良いこと。 指の圧、力加減、速さ。 全てが申し分なかった。 今まで多くの美容院に行ったことがあるが、記憶にある限り一番気持ちが良かった。 美容師の方にとって、シャンプーというのはアシスタントがカットをさせてもらうための登竜門だと私は思っている。(違ったらごめんなさい) スタイリストになるために、シャンプーに日々明け暮れているのではないだろうか

      • ごめんね。

        先日娘とお昼ご飯を食べていた時、こう言われた。 『ごはんをたべるときは、おはなししちゃいけないんだよ』 私は思わずこう返した。 『えー?!なんで!?』 すると娘は、 『だって、おはなししてたべたらいやなきもちになるでしょ?』 幼稚園では、先生からこう教わっているようだ。 私はどう答えようか少し悩んだ。 が、こう答えた。 『まぁ確かにおしゃべりしながら食べたらごはん飛んじゃったりして嫌なきもちになっちゃう子もいるかもしれないよね〜。 でも、みんなでお話しながらご

        • もうすぐ桜の季節だ。 この季節になると、父と最期に見た桜を思い出す。 あの時にはすでに、宣告されていた父。 知らなかった私。 父は、何を思っていたんだろう。

        この日だけ、たったこの日だけインスタグラムのストーリーは、『検索が力になる』だらけ。 そんなのに嫌気がさす〜。 そんな風に思ってしまう自分の心の汚さにも嫌気がさす〜

          悲しむ暇などない、現実。

          父が亡くなり、母が待っていたのはそう 手続きの嵐。 まず亡くなった当日、早速葬儀場への連絡。 その日のうちに火葬場の空き状況と照らし合わせながら葬儀の日にちを決定。 そして、お花はどの程度飾るか、遺影の写真、骨壷はどんなものにするか、どんな洋服を着せるか、棺に思い出の品はいれるか、参列者の人数、火葬場での食事、火葬場への車の台数など、その日のうちに全て決めなければいけなかった。 もうね、これは家族間で意見の相違があると大変。 幸いうちは特に意見が合わないという事態

          悲しむ暇などない、現実。

          悲しみと共に生きる。

          悲しいことがあった時 無理に前を向いて頑張る必要はないけど その事実と向き合うことから逃げちゃいけないんだなと、父を亡くしてそう思いました。 よく芸能人が、家族を亡くしたあとすぐに snsやブログを更新しているのを目にした時 『よくこんなすぐに書けるよな』と そんな風に思っていたけど 書くことで現実と向き合っているのかな。と。 今はその気持ちがなんとなくわかる気がします。 癌が発覚してから2ヶ月。 66歳であっという間にこの世から去った父。 明日で2週間が経ちます。

          悲しみと共に生きる。

          お父さん、ばいばい。

          6月5日朝 父が息を引き取った。66歳。 4月頭に食道癌が発覚し、それから2ヶ月であっという間に居なくなってしまった。 癌が発覚後、約1ヶ月入院生活。 もう抗がん剤が効かなくなり、腫瘍は大きくなる一方だった。 なす術がなくなり自宅療養が決まった。 念願だった帰宅。 月曜日に帰宅し、土曜日に体調が急変し、息を引き取った。 たった6日間の自宅生活だった。 あっけなかった。 あっけなさすぎた。 亡くなった父を目にした時、本当に眠っているようだった。 目をつぶっているだ

          お父さん、ばいばい。

          生きることと死ぬこと

          3歳の娘に言われた。 『宇宙に行きたい』と。 さて、どう答えれば良いか。 考えた私は、まずはyoutubeで宇宙の映像を見せてあげようと思い、良さそうなものがないか探している時、一つのチャンネルを見つけた。 《宇宙の大きさを体感できる動画》 その映像に私は心を奪われた。 こんなに沢山の星が宇宙にはあって、その沢山の星たちに地球は囲まれている。地球という、宇宙から見るとちっぽけな星の一つに人間は生きている。 この映像を見ていたら、自分が抱えている悩みなんてなんだか

          生きることと死ぬこと

          インスタグラムから1ヶ月離れ、また再開したハナシ。

          Instagramを一時停止して一ヶ月が経過した。 そして私は今、再びインスタグラムを始めている。  停止期間中は、まるっきり触れていなかった訳ではないが、以前と比較すると9割は減少していた。 (お知らせ用のアカウントを停止期間中に作ったので、そちらは時々開いていた) 停止してから2〜3日の間は、 見たくて見たくて堪らなかった。 何が見たい訳でも無く、 『見たい』、ただそれだけ。 依存症だと強く感じた。 暇さえあれば閲覧をしていたから、急にぽっかりと穴が空いてし

          インスタグラムから1ヶ月離れ、また再開したハナシ。

          好きなことを探すより。

          私は、調べることが好きだ。 例えば、旅行に行く時に チケットとるのにどこのサイトが一番良いのか どこの店がおすすめなのか どの行き方が一番便利なのか 遠足のしおりを作るような過程が好きだ。 家を建てようかと考えていた時も(建てていないが) 土地探しから、不動産屋巡りまで あらゆることを調べ尽くした。 その作業は大変だったが、苦痛だったかと聞かれたら全然苦痛ではなかった。 以前、歯科医院で働いていた時の話である。 殺風景なホワイトボードが受付にあった。 そのスペー

          好きなことを探すより。

          個性。

          私は、独特な世界観を持っている人に すごく魅力を感じる。 以前もこんな内容でnoteを書いたが、削除してしまったのでまた改めて書こうと思う。 『独特』と言ってしまうと、なんだかあんまり良い言葉に聞こえない気がしてしまうが、その人にしか出すことが出来ない言葉や表現、センスに強く惹かれる。 それは決して真似することが出来ない。 その人にしか出せないのだから。 特に、Instagramを見ているとそれが顕著に現れる。 同じ素材でもその人その人の表現の仕方で全く違うものに思

          『資格』の必要性。

          『資格というのは、足の裏についたご飯粒のようなものだ。取るまでは気になって仕方がないけど、例え取れてもそれを食べることはできない。』 昨日読んだ本に書いてあった言葉である。 今、私が学んでいる分野がかなり注目されるようになり、資格を取得する人も増加しているように見受けられる。 確かに、人様にお金を頂くようなことがあれば『肩書き』があった方が、安心感や信頼度も増すだろう。 しかし一方で、『資格という肩書きさえあれば』という考えの人も少なくはないはずだ。 それはどの分野

          『資格』の必要性。

          wsで初めてお会いした方から、沐浴用のクレイが欲しいとご連絡があり量り売りをした。その場限りで終わるのではなく、こうやって今も関わることが出来ていることが嬉しい。元気な赤ちゃんが産まれますように。

          wsで初めてお会いした方から、沐浴用のクレイが欲しいとご連絡があり量り売りをした。その場限りで終わるのではなく、こうやって今も関わることが出来ていることが嬉しい。元気な赤ちゃんが産まれますように。

          思考。

          snsの閲覧が以前より9割近く減った今 気付いたことがある。 snsにどっぷり浸かっていた時は 『思考』がかなり停止していた状態だったということ。 とりあえず意味もなく開き、たくさんの情報を見る。 なんとなくずっと見続ける。 この人はこんなことしてるのか〜 あの人は今こんな所に行ってるのか〜 うわ〜いいな〜 この人はこんなに頑張っていてすごいな〜 何を投稿しようかな〜 頭の中はこんな感じだ。 それが一日の限られた時間の大半を占めていた。 それが無くなった今、私は色

          神様はいない。

          以前、インスタ上でとあるインフルエンサーが ストーリーズで質問コーナーをやったときのこと。 私はひとつの質問を見て、思わず笑ってしまった。 その質問内容がこちら。 《今年厄年なんですが、まだ厄祓いに行っていません。行った方がいいと思いますか?汗》 なんと返答していたかは忘れてしまったが すごい質問するな〜、とちょっとびっくりした。 神主さんへの質問ならまだしも、ただのおしゃれインフルエンサーだ。 でももしかしたら、質問者さんにとっては神のような存在なのかもしれない

          神様はいない。

          Instagram依存症になっていたことに気付いた日。

          インスタグラムから離れて1日が経った。 全く一度も見ることが無く過ごすなんていつぶりだろう。 軽く、いやかなりの『依存症』だと痛感した。 なぜかって。 頭からインスタのことが離れない。 これはやばい。 コーヒー待ちの時。 助手席に座っている時。 ご飯を作っている時。 ひといきついた時。 そして今こうやってnoteを書いているときでさえ インスタ見たいな〜と思っている。 これはやばい。(2回目) アルコール依存症や、ギャンブル依存症の人が 飲みたくて、打ちたくてたま

          Instagram依存症になっていたことに気付いた日。