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生きることと死ぬこと

3歳の娘に言われた。

『宇宙に行きたい』と。

さて、どう答えれば良いか。

考えた私は、まずはyoutubeで宇宙の映像を見せてあげようと思い、良さそうなものがないか探している時、一つのチャンネルを見つけた。

《宇宙の大きさを体感できる動画》

その映像に私は心を奪われた。


こんなに沢山の星が宇宙にはあって、その沢山の星たちに地球は囲まれている。地球という、宇宙から見るとちっぽけな星の一つに人間は生きている。

この映像を見ていたら、自分が抱えている悩みなんてなんだかゴミカスのように思えてきた。


と、宇宙の話にはなんのオチもないのだが、宇宙の次に娘が見たいと言ったものがある。それは何か。

『津波』だ。


なぜ、津波という言葉を知っているかというと、先日のトンガ島で起きた噴火の影響で、日本にも津波が来る恐れがあるという警告アラームが一晩中鳴り響いていたからだ。

そこで初めて娘は『ツナミ』という言葉を覚えた。

津波とはなんなのか。どうしたら津波が起きるのか。津波が起きたらどうなるのか。その時娘に説明をした。

全て理解したかどうかはわからないが、なんとなくは理解しているように思えた。

そして今日、津波を見たいと言ってきたのだ。


私自身、津波の映像を見るのは気が進まないのだが、娘にはきちんとどういうものなのか教えてあげたい。そう思い、私も今まで見たことがなかった津波の映像を見つけ、見ることにした。


衝撃だった。


ただただ衝撃で言葉を失った。



その映像は、東日本大震災の時に福島県南相馬市を襲った津波の映像だった。

これまで、テレビやネットで多くの津波映像を目にしてきたが、今日見たこの映像は本当に衝撃的で、残酷な光景だった。


こんなに遠くから撮影しているのに、あんなに高い波が一瞬で街を飲み込み、その波がこちらにも押し寄せてくる。


え、嘘でしょ?


信じられなかった。信じたくない。そう思った。


今自分が住んでいるところは海にも近い。あんな津波がきたら、きっと死ぬだろう。

どう足掻いたって、無理だ。



ふと思ったことがある。

津波に限らず、自然災害という到底勝ち目のない災難を目の前にして、とにかく生きようと逃げるのは、生きとし生けるものの本能だと思う。だが、自然の猛威に逆らってまで、それでも生きたいと強く願うのは何故なのだろうか。


死ぬのが怖いから?


死、とは。


死そのものに対する恐怖ではなく、死に至るまでの《過程》の恐怖が大きいのではないだろうか。

痛みや苦しみ、愛する大切な者との別れ、悲しみ。


もし、痛みもなく、苦しみもなく、悲しみもなかったら。

大切な人やペットと共に死ねるのだとしたら、むしろ生きることより死ぬことの方が幸せなのではないだろうか。

そんな最期だったら、死への恐怖は無くなるのではないのだろうか。


もし自分だけが生き残った場合、かけがえの無い者を失った悲しみ、絶望、恐怖。
生きていたらその感情と向き合わなければいけない。


死んだ方がマシだ。そう思わずにはいられないくらい辛い。


でも、そんな悲しみに苛まれても、大半の人は生きることを選ぶ。

悲しみを抱えながら、生きていく。


生きる意味とは。


そんなことを考えながら、最愛の娘と戯れる。


生きたい。

共に生きていきたい。

この笑顔をいつまでも見ていたい。


そう思わずにはいられないのであった。






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