悲しむ暇などない、現実。
父が亡くなり、母が待っていたのはそう
手続きの嵐。
まず亡くなった当日、早速葬儀場への連絡。
その日のうちに火葬場の空き状況と照らし合わせながら葬儀の日にちを決定。
そして、お花はどの程度飾るか、遺影の写真、骨壷はどんなものにするか、どんな洋服を着せるか、棺に思い出の品はいれるか、参列者の人数、火葬場での食事、火葬場への車の台数など、その日のうちに全て決めなければいけなかった。
もうね、これは家族間で意見の相違があると大変。
幸いうちは特に意見が合わないという事態は免れたが、私と兄が居なかったら母は大変だったと思う。
だって夫が亡くなってから数時間しか経っていないのに、今ここでこれを決めろと言われて正常頭が働くだろうか。
もちろんこれだけではない。
死亡届の提出から始まり
(死亡届は葬儀場の方が代行してくれたため、こちらから役所へ行くことはなかった)
世帯主の変更
保険の解約
銀行の手続き
住民票の除籍
携帯の解約
etcの解約
クレジットカードの解約、変更
年金関係
相続関係
その他諸々…
死後何日までに終わらせなければいけないものもあり、のんびりしていられない。
それ以外にも細かいことがまだまだたくさん残っている。
こんなことを目の当たりにしていて、思ったことがある。
もし、大事な人が亡くなった時頼れる人が居なかったら?
いちいち役所へ行き、書類を提出し、間違っていたらまた再度役所へ行く。
こんなアナログなことをいつまでやらなければいけないのだろうか。
思うように身体が動けない人は一体どうしているのだろうか。
こういったややこしくて大変な手続きの在り方を、今一度考えてほしい。
残された人は、悲しむ暇がない。
こういった手続きの片がついた時、やっと向き合うことが出来る。
今回、急に父を亡くして改めて思った。
死は突然訪れる。
人はいつ死ぬかわからない。
事故なのか
病気なのか
災害なのか
万が一自分に何かあった時、いつ何が起きても良いように、残された家族のために、生きているうちから身辺整理をしておくべきなのではと、今回のことで痛感した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?