タカハシさんといっしょ
2020/5/12(火)つづき
実家の最寄り駅に着き、母の車で迎えに来てもらう。二十九にもなって六十代の親に運転してもらわないと家にすらたどり着けないこと、もろもろ含めて情けないなあ、と思いつつも、漠然とした将来への絶望に集中するのに忙しい。
母は口少なに、「助手席じゃなくて一応後部座席の対角に座って」と冷静だった。
たどり着いた実家の玄関にて、「恥ずかしながら、帰って参りました」と横井庄一さんギャグの絶好のタイミングだと今にして思うけれど、当時はまったくそんな余裕もなく。
「ひとまずシャワー浴びちゃって。服も着替えちゃおう」という母の言葉に従う。人がまばらだったとはいえ東京から入り込んできた人間なのだ。親の危機意識の方がよっぽどしっかりしていることに感謝し、コロナウイルスだけはしんでも持ち込まないぞ、と入念に全身を洗った。
緊張しながら新幹線なども乗り継いできたので、疲れて昼寝をした。
目覚めると、仕事から帰ってきたタカハシさん(仮名)と母の話声がリビングの方からしていて、聞くともなく聞いていた。
父と姉は早くに亡くなっていた。私が大学進学を機に一人暮らしをスタートさせた頃から、母はこのタカハシさん(仮名)と一緒に、もう十年ほど暮らしている。
明るく話好きなタカハシさんがいるから、母と離れて暮らしていても安心していた。
無理に父親ヅラをしてくるわけでもない。私に対してもタカハシさんはひたすらに優しい。
私が卑屈なだけだ。私も基本的に愛想よく振舞おうとするけど、ギクシャクはする。
でも、タカハシさんは本当にいい人だから、とても感謝している。
夕飯に呼ばれてもそもそとリビングに向かった。
言われるままに食卓に並んだ料理を無言で食べていると、タカハシさんが笑いながら
「たしかに正月に会った時と違うね」と言った。
普段からテンションの高い私ではないけれど、はた目から見てもどうにも元気がない状態だったらしい。まあ、そりゃそうか。
「いやなことあるんなら、なんでも言ってみたら」と言う母の言葉に押され、「今の仕事の中身に、ずっと苦手意識があった」「このままずっとは、続けられないかもしれないと思った」などと、少しずつ話してみた。
すると、コロナで不況かもしれないけど、辞めて他の仕事探してもいいんじゃない、と、母もタカハシさんも言ってくれた。
「人生は一度なんだから。仕事はなんかしらあるよ」
根拠ゼロ。ソースなし。エビデンスも、定量的な説明もへったくれもない。
でも、それがよかった。
明るく、大丈夫だと言ってくれる人がいる。それだけで、ものすごく心が軽くなった。
医師から処方される抗不安薬は、飲んでその場でヤッピー!と幸せMAXになるものではない。しかし、他人の言葉は、時として即効性のある安心感をもたらす。
「俺なんかここ何回も仕事転々としてるけど、なんとかなってるもんね」と、タカハシさん。
底抜けに明るい彼の口調には、妙な説得力が宿る。
「いい機会だからちょっと休んで、資格とったりしてもいいかもね。お母さんも、仕事辞めてペンションにバイトしに行った時期とかあるし」と初耳の歴史を母もおもむろに語り出したりなんかして。
母は母で、やはり息子の将来が心配なこともあり、翌日以降「でも転職は今ちょっと厳しいかもね。。。」などと、話すことが二転三転しており、優柔不断な息子との濃厚な血のつながりを感じさせる。けどまあ、なんらかの私の決断を、おおむね肯定してくれることだろう。
親に甘えることはめっちゃ恐縮だけど、レゴブロックほどのピース単位でちょっとずつ、心の平穏が構築されていく。
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