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性同一性障害「16歳の自分へ」投稿が 新聞に掲載されました

ども、Hikaruです。
私は2024年1月8日から現在(2024年5月3日時点)noteの他に、Xにて @hikaru_acht というアカウントで 性同一性障害に関する問題について解説したり、読者の質問に答えてみたり、私の実経験について 物語調で書いたりしています。

このたび 朝日新聞社にて 取り上げていただきました。本当に本当に、ありがとうございます。
今回は 私が何故 このような投稿をしているか、また 記事が出るまでの経緯など 背景を述べます。

掲載された朝日新聞社の記事

2024年5日2日付首都圏版の夕刊にて
有料記事である都合上、詳細はモザイク

先の紙面は デジタル版で お読みいただけます

ネットニュース版
紙面はギュッとまとめた内容で、こちらが元記事

note投稿の始まり 明るい話題を届けたい

ポジティヴで 明るい話題を伝えたい、そんな思いでnoteを始めました。
どんな内容でも書きたかったんですが、取り急ぎ注力したかったことは 開始時点において、ホットトピックであった「手術無き戸籍上の性別変更」について。
話題に関心がある方の他に、特に これから手続きされる当事者の後輩達に、明るい話題を届けたく、また 今後不自由しないように 投稿を始めました。

始めました、と言っても 実際は再会が正しい表現ですね。当時の私の気持ち そのまま綴ったnoteがありますので、気になる方は下記を ご一読ください。

記事で取り上げられた投稿

記事にて 取り上げられた ポスト
私の中では ここで一区切りかと思ったが…

Xでの投稿の始まり 当時16歳の自分が欲しかった情報を届けたい

先のポストでも触れていますが、当時16歳だった私は「性同一性障害かもしれない。」と心にひっそりと思い ネットを漁りますが、そこには 将来を悲観するポストがあるばかりでした。

現在は少しずつ良くなっていますが 当時は治療先や、どのように 各手続きをするのかさえ情報が少ない状況でした。

何よりも 日々辛いことがある、悩んで解消できないことがあるとして、解消する手立てとなるような 「考え方」を 私は 心の底から求めていたけど、そんなものは無かった。
目指したい将来像を、実体を以て示してくれる人は結局 10年待っても現れなかった。
だから とても 死ぬほど苦しくてもがいていた自分に、今の自分が もし声を かけられるとするならどうするか。

夢を見せたい。
実現にあたって必要な過程を示しながら。
容易く実現できないが、できることの積み重ねで 実現すること。

過去の自分に語るような形態をとりつつ、その内容としては これから 一歩踏み出そうという若い世代の当事者にとって有益であるかもしれない。
そんなことを 考えて、私は Xでポスト投稿を始めました。

当初 私は 実名を出すどころか顔出しもする気もありませんでした。
しかし 先のポストの「16歳の自分へ」を書くときに、16歳の自分に 私は 将来26歳の自分を見せて 、踏み出す選択をしたことに自信を持って欲しかったし、何よりも感謝していることを伝えたかったため、顔を隠さずにポストしました。

朝日新聞記者の目に留まる

Xでポスト投稿を始めて1ヵ月。ポストする内容によっては 4万人以上の目に触れるようになり、そんな中 朝日新聞記者の 伊藤様から連絡を受けました。
首都圏と東北でLGBTQの諸問題の向き合い方に温度差を感じており、地方である岩手県からLGBTQの諸問題や活動を報じていきたい、とのこと。

「所属組織の肩書きではなく、一個人として何かご協力できたらと思っています。」

取材を受けて、一貫して この言葉通りの ひたむきな姿勢を 伊藤記者から感じました。

何を取材するか、取り上げるかは 全てお任せ

一体何を どんなテーマで取り上げるのか。
私は 自分のポスト投稿を多くの人に知って欲しいという願望はありましたが、記者なりに 報じる目的があるから、そこに口出しするつもりはありませんでした。

発信してほしいことがあるなら、人を利用せず 自分でやれという話です。

他者からどのように見えているか 個人的にも知りたかったため、受けた印象のまま 記事を書いてほしく 内容は全てお任せしました。

取材を受けて 地方の問題としても考えるようになった

取材は 計3回。
1回目は 岩手県盛岡市で行いました。
ここでは詳細を書きませんが、伊藤記者の紹介で 岩手県にて 既存のLGBTQに関する活動をされている方と お会いしました。

1回目は取材と言うより、自己紹介的な。
私も記者も、各々 どのような仕事や活動をしていて、つまるところ 岩手県を どう盛り上げたいか、それぞれ異なる立場から お話ししました。

私は転勤族のためか 当初「岩手県」に拘る意味がわかりませんでしたが、伊藤記者や 紹介いただいた方のお話を聞いて、考えを改めることにしました。

お二方は それぞれ 元々別の地域にお生まれになり、岩手県に縁を持ったとのこと。そこでLGBTQの理解には 地域差があって 多くの課題があることを知り
向かい風は強いけれど 何とかできないものか 試行錯誤されていました。
性的マイノリティにとっても、生きやすい岩手県になってほしい。

私 個人的が 感じたこと。

★性同一性障害の当事者にかかる諸問題は 地域により その様態が異なること

お話を通じて、転勤で一関に来てから経験したことを回顧すると そうだったなと気付かされることが多かったです。
noteやポスト投稿においては、読者も地方在住の方がいらっしゃるために、地方の状況の発信も必要であると感じました。

そして 岩手県にLGBTQの活動をされている方から お話を聞いて、戸籍上の性別変更にあたって生殖不能要件が違憲となった背景には

★長き活動の積み上があって その果てに実現された権利であること

に気付かされました。
何を目的に活動しているのか、地方において特に必要である理由など 基本的なことながら 大切なことを、丁寧に教えていただきました。
私は先人達の 努力を「そんなことをして意味があるのか」とか「できないものはできない」どこか冷めた目で見ていながら、つかみ取った権利にタダ乗りしていたと気付かされ、非常に反省しました。

今度は自分が恩返しをする番であるから、社会に少しでも還元できることをしなければ。
そんな気持ちも 芽生えました。

記者の心境に変化を感じた

これは ただの私の感想というか憶測ですが、岩手県での既存のLGBTQの活動と、新入りの私をどう掛け合わせて報じるか、ということに 記者はフォーカスして、記事を当初考えていたのではないかと思います。
しかし2回目の取材にあたって 記者の心境に変化を感じました。

「ヒカルさんが同じような悩みを抱える方のために、SNSで発信されている点を記事にしたいと思っています。」

1回目の取材後に、伊藤記者自身も 気づきがあったのではと思います。

私は手術無しでの戸籍上の性別変更 手続きの過程について投稿していましたが、この手続きはどこの地域の裁判所も変わらず 全国一律と思っていたところ、申立から時が経つにつれて、地域差を感じました。
また、実現事例が非常に少ないことから 岩手県でも 取り組んでいる当事者がいる という報道をすることに意味があると感じたのではないでしょうか。
そして 当事者一個人の人間味を伝えたいとも思われたかもしれません。

2回目の取材は 朝日新聞社 盛岡支局にて。
先の「16歳の自分へ」ポストを行って そのまま裁判所へ行き、帰りに寄りました。

朝日新聞社 盛岡総局にて

私の為人や投稿を そのまま記事にすることに

生まれた頃から今まで、何を感じて生きてきたか。どうして投稿を行おうと思ったのか。何を伝えたいのか。伊藤記者の質問1つ1つに答えました。

記事の中では 私の幼少期の写真等が登場しますが、これらは私の方から「もし必要であれば」と思い 差し上げたものです。
過去の私を知らしめて、私にとって良いことは特にありませんが、性同一性障害の方が 実態のない宇宙人ではなく、1人の人間であることを 読む人が正しく理解するには 必要な情報であるから ためらいは ありませんでした。

過去の私の積み上げがあって今の私があります。突然男性のような風貌になるのではありません。また 記事としては性同一性障害を知らない人に「男になりたい」等カルト的なことを主張するのでもなく、性別で括れない 一人の人として生きたい 素直な気持ちが 伝われば、と私は思っている にすぎません。
そして 先人達の積み上げに感謝したい気持ちが 先人達には伝わったらいいな、と。

記者が受けた印象そのまま 書いていたただけるよう 何でもお話しし、お任せしました。

初稿のタイトルに驚く

3回目にお会いしたのは 「一度 記事を読んで欲しい」「撮影を再度行いたい」という記者の要望からでした。

独特な 書式に 文章が羅列されており、記事の原稿とはこのようなものなのか と 個人的に勉強になりました。記事を読みながら、明らかに 事実と異なる箇所のみ 指摘しました。

私は初稿のタイトルを 見て非常に驚きまして、それが とても印象に 残っています。あわよくば 私が伝えたいこと、そのままタイトルになっていたからです。

“ 今度は 自分が 恩返し”

記憶では このようなタイトルでした。
撮影を終えた帰りに

「取材を受けて良かったと思って欲しい。」

と伊藤記者がおっしゃった言葉も印象的でした。
誠実さは 上面の言葉ではなくて、実際の行動や姿勢に顕れると私は考えていますが、伊藤記者の記事内での言葉選びに、その ひたむきさ を感じました。

こののち 私の投稿ポストを日々 伊藤記者はウォッチしたようで、投稿内容をふまえ 修正を加えながら、2024年5月2日 記事が出ました。

撮影された 写真について

北上市で撮影しました。
私は新幹線に乗って出かける予定がある合間に取材を受けたため、時間がなく「公園で撮影しましょう」と言う記者に従い 大急ぎで向かいました。

記事が出て初めて自分の写真を見て「謎すぎ」と思ったのが 素直な感想でしたが、伊藤記者なりの 思いがあったようです。

伊藤記者による ポートレイトの例
内面のイメージを背景に可視化したような感じでしょうか

ちょっと見てみましょうか。
撮影の背景等も述べます。

なぜこの写真がネット記事のサムネになったかはワカラン
「もたれ掛かってください」と言われたので。
記事見た同僚に「ごめん笑 笑った」と言われた
顔が女子っぽいのが辛いので、普段はマスクを付けて生活しています。なので自信がない顔です
かれこれ そんな生活が10年続いています
「公園で 昼にパンを食べて休憩する 営業マンの感じで」
と言われて「そんな営業マン おらんやろ笑」の顔です
手に持つパンは 岩手県民なら知る 福田パン
裁判所への面談も この格好で 行きました
とても日差しが強い日だったので、
一重なのに さらに細目になってしまいました
顔面を男性化する手術を受けたいと思います
ついでに イケメン になりたい
伊藤記者 お気に入りの 写真だそうです
「これは どういう状況ですか?笑」
と笑っている写真です

ボツ写真

小ネタとして、ボツ写真のご紹介です。

2回目の取材時撮影
紙ペラ1枚のコピーを とるためだけに 午前中働いた後、90km車で走って来た後だったためか、疲労困憊
私は NA8C (ユーノスロードスター)に乗っています
これはコレで車好きが歓喜しそうですが、
何を伝えたい記事なのか 伝わらないよね
なんだか胡散臭い営業マンですね

記事を読んだ方からの反響の一部

備忘録で残しておきたい、ただの個人的な気持ちで掲載します。

申立のキッカケになった 同僚からの手紙
申立てたこと を報告した最初の同僚であり
良き理解者です
性同一性障害 当事者の方では
顔見知りで 最も長い付き合いの方から。
新聞記事を同封して送ってくださいました
SNSで繋がる 性分化疾患の当事者の方から。
戸籍上の性別変更は 性同一性障害の方だけが
行う手続きではありません
多くは述べませんが、性分化疾患の方と性同一性障害間
には亀裂がありますが
共感される方が おられたことに 大変驚きました


SNSで繋がる方より
読んで泣きました
女子高校時代の 現代文教諭と 担任より
今年で定年だとか
勤務されている間に お返しできたようで良かったです


実の妹
審判を受けていることは何も伝えていませんでした
流石に可哀想なので報告しました

新聞記事 掲載を望んだ理由

noteやXでの投稿趣旨は 先述の通りですが、新聞記事への掲載に当たっては上記のことを考えて行いました。
このやり取りは社内の同期としたものです。

再現性の高い ごく一般の職に就いて、それをあくまで 本業にしている方のロールモデルが現在に至っても可視化されず 僅少であることを、私は とても残念に思っていました。

私は一例ですが、少しずつ増えたら良いと願っています。

記者の方へ 感謝申し上げます

記者から連絡があり 取材をお受けしたものですが、私の思いを汲んでくださり 記事にしていただき 本当に ありがとうございました。
私からすれば 私の夢について、ご協力いただいたようなもので、感謝してもしきれません。

記事の反響は大きく、共感くださる方がいる一方で「傍迷惑だ」と言う当事者や 誹謗中傷する方も非常に多い状況ですが、私は これが現在の 社会の現状だと受け止めて、できることを続けたいと思います。

審判終結は 目前か

このnoteを書いていますのは2024年5月11日。
5月8日に裁判官3名との面談を済ませました。

“ 5月下旬の誕生日までに、朗報をきけるだろうか”

この記事を裁判官達は読んだのでしょうか。
5月22日に結果がわかるとのことです。
この日は 私の27歳の誕生日でもあります。
なんだか、粋な 計らいです(?)

良い報告ができますように。

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