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【子育て】子供を授かったことの「奇跡さ」をどうして忘れてしまうのか

娘がこの世に生を受けてから、今日で2年と3ヶ月が経ちました。

土日を中心に娘と二人でいる時間が結構長いのですが、その時間はこの上なく幸せなものである時もあれば、時としてストレスや苛立ちを感じてしまう時間であることもあります。

ですが、新職場で「不妊治療」という世界を正面から学び、とある本を読み、とある方のエピソードに触れ、極めて当たり前のことである「今、目の前に娘がいることの尊さ、奇跡さ」を意識するようになってから、心の持ち様が変わりました。今回は、少しセンシティブな内容にはなりますが、そんなことを書いてみたいと思います。

大黒摩季さんの壮絶な「闘い」

冒頭に書いた「とある方」とは大黒摩季さんのことです。私と同世代の方は、スラムダンクの主題歌を始めとして青春時代に名曲を連発されていたので、口ずさめる曲も多いのではないでしょうか。

彼女は難治性の子宮腺筋症と子宮筋腫、さらに子宮内膜症を併発されておられました。27歳の時に病気に気付かれて以降、①生きていくこと、②歌手としてパフォーマンスを発揮すること、③そして子供を産むこと、本来トレードオフでないこの3つのアイテムの狭間で大変な闘いを強いられました。

エストロゲンを増やしても減らしても難あり

子宮内膜症の進行を抑えるにはエストロゲンの量を抑える必要がある。でもそうすると、高音が出なくなる。悩みに悩んだ末、病気の進行を甘受しても、ツアーの際にはホルモン療法を中断することを決意されました。

しかし34歳で結婚され、そこから不妊治療を始めると、さらに事態が複雑になります。子宮内膜を整えるにはエストロゲンを補充する必要がありますが、子宮腺筋症はエストロゲンが栄養分であるため、逆に進行してしまうのです。

そのため、不妊治療(ホルモン増)→子宮縮小(ホルモン減)→不妊治療→・・・という男性の私でも想像するだけで体が辛くなるようなサイクルでバランスを取っておられたそうです。

活動休業、手術、そして子宮全摘

42歳の時、ついに体が限界を迎え、休業を決意。手術にも踏み切り、病気の治療と不妊治療に専念することを決心されました。

その後、体外受精をして子宮に戻した受精卵が無事に着床し、「妊娠」が成立することはあっても、流産を重ねてしまったとのこと。ここまでの苦労と努力を経て実現させた「妊娠」の上での流産は、どれだけ心を痛めるものだったのでしょうか。想像も尽きません。

そういった経緯を経て、45歳の時に病気根治のための手術、つまり不妊治療の終了を決意されます。今回参考図書として活用させていただいている、「妊娠の新しい教科書」の当該エピソードの以下箇所は、目を通す度に泣いてしまいます。

子宮腺筋症の根治のため腹腔鏡下子宮全摘手術後、心の中でそっと自分の子宮に「ごくろうさま」と伝えたとお聞きしました

10年以上に及ぶ不妊治療を終えたOさんは気持ちを切り替え、一から体を作り直して仕事に復帰。現在もそれまで以上に活躍していらっしゃいます。残念ながら、海外の代理母の元へ送り出した凍結受精卵が実を結ぶことはなかったそうですが、子宮全摘の手術をした後は、体は絶好調だとか。
(中略)
実はこのOさんとは、シンガーソングライターの大黒摩季さんのことです。50歳を超えてもなおステージで輝き続ける彼女は、活動再開後に新曲をリリースしました。
「生まれ変わっても 私はわたしを生きたい いつかそう思えるように My Will  生きていこう」
と綴ったその歌にはきっと、様々な経験を経た彼女の本心が込められているのでしょう。

子供が生まれてくるのは、100%親のエゴであることを忘れない

世の中には、「授かりたくないのに子供を授かってしまうケース」も勿論あります。不注意によるものから、戦争や宗教によるものまで。ですので、これを一般化するつもりは全くありませんが、少なくとも私のケースで言えば、自分の子供が生まれてきたのは100%我々夫婦のエゴによるものです。

自分のエゴで子供を授かったこと、このことを何故か忘れてしまいます。

子供がどう育つか、どういう人生を送り、どう人生を終えるかは「運」であり、親が関与できる部分などほんの一部に過ぎないでしょう。

ですが、それと「今、ここにいてくれてありがとう」と思う気持ちを忘れていい、持たなくていい、ということとは全く違うはずです。

大黒さんのエピソードにおいての私の気付きは「他者が子供を産むのに苦労しているから、それに感謝しなくてはならない」ということではありません。

そうではなく、「今、娘がここにいてくれることがどれだけの奇跡を経てのものであるか」です。自分の勝手なエゴが叶ったことがそもそもとんでもない奇跡によるものであることに感謝をして、娘と向きたい、そう思ったのです。

不妊治療はとても身近なものに

セルソースは不妊治療領域に進出しており、ここで初めて不妊治療という分野を「仕事」として勉強しましたが、ちょっと勉強するだけで驚きの連続だったので、上述の「妊娠の新しい教科書」を出典に、少しだけ「不妊治療の現状」をご紹介したいと思います。

①年間6万人、14人に1人の子供が体外受精によって誕生

先ず最初に驚いたのはこの情報でした。体外受精症例数も日本は中国に次ぐ世界2位であり、まさに「不妊治療大国」であるということ。都内ではこの比率は更に上がり、10人に1人の割合であるとのことです。

少子化が叫ばれて久しいですが、もし不妊治療技術が発達していなかったら、今よりもさらに厳しい状況に陥っていたのでは、と思うと「技術の進歩が如何に社会に貢献しているか」が再確認できます。

②不妊に悩むカップルは5.5組に1組

実際に不妊の検査や治療を受けたことがある、また現在受けている夫婦は全体で18.2%にのぼります(国立社会保障・人口問題研究所「2015年社会保障・人口問題基本調査」)。これは5.5組に1組という計算になりますが、将来的には3.5組に1組まで到達すると言われています。

なお、現時点でも「子供のいない夫婦」に絞った場合は28.2%にのぼります。つまり、これが指し示すのは「不妊治療は全く特別なものではない」という事実です。

ヒトの暮らし方が変わり、人生観が変わっていく中で、子供を授かるために必要な技術・アプローチである、ということを意味しており、不妊治療を受けることについて何か気後れする必要も全くない、ということです。

その他にも、「妊娠」「不妊治療」について知らないことは沢山

「無知の知」というソクラテスの言葉がありますが、まさにそれで、転職して初めて「あ、こんなにも自分は妊娠ということについて無知だったんだ」ということを知りました。

妊娠率はどのように下がるのか、女性起因事由と男性起因事由にはどういうものがあるのか、どういう検査は早めにしておくと良いのか、、、そういったことを知ると、当然行動も変わり、そして未来が変わります。

中高時代の保健体育では、生殖器の部位の暗記はさせられましたが、そういった「生きた知識」は全く出てきませんでした。学校で教えてもらえなかったことは、自分で勉強するしかない。これも含めて、Recurrent学習だなと思います。

このnoteでこれ以上私が不妊治療を語るよりも、興味のある方はぜひ今回ご紹介した書籍などを読んでいただけると良いと思います。

おわりに

子供の精神的・肉体的成長と、私の「親としての」成長が相俟り、日々娘と私の関係は変化しています。今は、娘の「パパ愛」が強すぎる時も多く、昔とずいぶん変わったなぁと思っています(それが重た過ぎる時もあるのですが笑)。

妻がウクライナで妊娠して3年、娘が産まれて2年と3ヶ月、この期間も悠久の時であったようで、一瞬でもあって。不思議な感覚ですね。

毎度子育てnoteに「新しい気づき」を書いてますが、これは当分続きますので、ご容赦ください笑

では、また来週。

細田 薫





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