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HRこそ「嫌われる勇気」を。愛されなくても愛し続ける覚悟を持て。

私がセルソースの「HR責任者」という立場に就いてから、2年が経とうとします。

全くの門外漢だった私が曲がりなりにもメンバーの成長、組織の成長に寄与出来た理由は、「愛」を持ち続けてきたからだと思っています。

しかし、「愛する=愛される」ではありません。時として、その真反対の結果に着地することもあります。

「愛されなかったとしても、愛し続けられる人間が何人いるか」。これが組織のレベルを上げ続けられるかどうかの、一つの重要な要素だと考えています。

note100本目となる本作では、私がHRという仕事に携わる上での「青臭い思い」をそのまま言葉にしてみました。是非、最後までご一読ください。


HRに愛が必要なのはなぜ

「愛している」とはどういう状態なのか

「全員を愛することは出来ない」

こんなような言葉をよく聞きますし、過去の偉人とかも言ってますよね。

ですが、私はこういった主張に対して真っ向から「NO」を突き付けます。ただ、ここで重要になってくるのは「愛」の定義です。

僕が「その人を愛せているかどうか」を自分で判定する時の基準は二つ。これを満たしていれば、「愛せている」と考えます。

①その人に対して「フェア=公平」に接しているか
②その人に対して、その人の人生において必要だと思う「フィードバック」をしているか

たった二つですが、これがめちゃくちゃ大変であり、自らに大きな負荷が掛かります。普通はそんなこと面倒でやらないですし、やれるとも思わない。だから、「全員を愛するなんて無理」という結論に至ると解釈しています。

言い換えると、全員を愛するのは「不可能」なのではなく、「可能だが、極めて困難」ということだと思っています。

①「公平に接する」とは

こちらのnoteでも一部触れましたが、「公平」と「平等」は似て全く非なるものであり、平等は簡単で、公平は困難です。

その理由を一言で言えば、平等には「判断」が入らず、公平には「判断」が求められるから。

一番分かりやすいのは「年功序列」でしょうか。「年齢」という、動物が絶対に逃れることのできない「ルール」に従って昇進させたり、ポストを決める。まさに「悪しき平等」の極みみたいなものです。

そして、そこから乖離して年少者を引き上げようとすると「なぜ」が発生する。「なぜ」を説明出来ないから、つい「ルール」に逃げる。

ですが、「平等」は関係者全てを不幸にします。誰にも向き合っていない、無味乾燥なメッセージしか届かないので。

そうではなく、全ての「公平」について回る、「なぜ」に対して回答し続け、それぞれの当事者に対して真摯に説明をし続けるには物凄い労力を要します。

報酬、昇降格、研修、、HRにおいて「個人に関する判断」を求められることは山のようにあります。その都度、ルールに逃げずに「その人そのもの」をフェアに見つめた上での判断が出来るかどうか、私はこれが「愛」の一つ目の分岐点と考えています。

②フィードバック機構の「最後の砦」

私は「どのような質のフィードバック機構が、何個存在するか」が組織の成長において極めて重要だと思っています。

フィードバックなき組織や人は、必ず衰退します。「裸の王様」はそこら中にいますし、全裸ではないかもしれませんが、殆どの人と組織は半裸であったりパンイチです。

そして、この「フィードバック機構の責任者」が「HR責任者」だと心から信じています。「最後の砦」と言ってもいいと思います。

我々は「良質なフィードバックを受けていないメンバーはいないか」・「良質なフィードバックが出来ていないリーダー・マネージャーはいないか」を常に探索し、綻びがあれば対応に走ります。

ですがこれ、物凄い大変です。

フィードバックが上手く行っていない時の2-3割は「ポジティブな要素を伝えられていない、承認が出来ていない」ケースですが、大半は「ネガティブな要素を伝えられていない」ケースです。

これを放置せず、それぞれの社員との面談を設定したり、電話を掛けたりして、一つ一つフィードバックしていく。

ともすれば「仕事」としてこなしてしまいたくなります。そんな中でも、各個人に向き合い、その人の人生に必要だと信じるフィードバックをやり続ける。まさにその行為は「愛」そのものだと思っています。

なお、私は「経営企画」として「フィードバック機構の仕組み作り」を考え、「HR責任者」として「ヒトが生み出すフィードバック機構の滞りを見つけ、修復する」という仕事をしています。

経営企画とHRを同じ人が司る、というのは非常に稀有なケースだと思いますが、「あるべき姿だな」と日々感じています。

愛すれば愛するほど、愛されない

「公平である」ということは、「現実から逃げずに"判断"を行い、その現実と判断を逃げずに説明する」こと。

「フィードバックをする」ということは、多くのケースで「その人の耳が痛いことを伝える」ということ。

どちらの要素も「その瞬間にその人がポジティブな気持ちになる」行為ではありません。

つまりは、「愛を持って接すれば接するほど、一時的 or 永久的に嫌われる」可能性があります。

僕はこれを考えている時、徳川家康の嫡男・信康の切腹を促したとされる、酒井忠次のことを思い出します。

勿論これ自体に諸説はあるのですが、「信長のシェフ」の以下の2ページが、まさに「HRを司るNo.2の姿」として極めて強く印象に残っています。

「信長のシェフ」より

自分の主から「一生愛されない」としても、その人と組織を愛し抜けるか。この覚悟が無いと、究極的にはHRの仕事を続けることは難しいと思っています。

つまり、「人が好きだからHRをやりたいんです!」という人は危ういと思っています。

どこからそのエネルギーを持ってくるのか。

ここまでの内容を一言でまとめると、以下の通りになります。

・公平であり続け、フィードバックをし続けることができれば、理論上全員を愛し続けることができる。
・ただし、それは物凄い大変なことである。
・しかも、愛すれば愛するほど、「愛される」から遠ざかる

なんでしょうか、この仕事は笑

成長を続ける組織で「全員を愛し続ける」には凄まじいエネルギーが必要です。私も100%からは程遠いと思います。ですが、それに出来る限り近づきたいと思う。

良く色んな人に「どこからそんなエネルギーが湧いてくるんですか?」と聞かれます。その時に必ず行きつく答えが

世界中の人が笑顔で、幸福に暮らしている世界に焦がれているから

という想いです。原体験は、私が10歳の時、大混雑する吉祥寺駅のコンコースで母親を待っている時に、

「なんでここにいる全ての人と自分は友達じゃないんだろう」

と思ったことでした。その後に大いに太って、一日中ゲームするようになる奴の言葉とは思えません笑

「全員が友達になる」ことは今は目指していませんが、今もその「社会全体」を思う気持ちは薄れていません。

そして、その理想を実現するには、当たり前ですが、自分のいる数百人、数千人の組織で実現しなければ、不可能です

なので、住友商事時代も90ページの論文を社長に送りつけたり、尖った人材だけで100人のサロンを作ったりして改革に動きましたし、ベンチャーのHR責任者として日々奮闘していますが、それが苦になることはありません。

かっこよく言えば、Vision Oriented、ですね笑

実は私は「嫌われる」のが凄い苦手です。一人に嫌われただけで、夜も眠れなかったりします。

でも、それを理由に歩みを止めることはしません。なぜなら、その一歩が相手が幸せになる一歩だと「勝手に」信じているから。

きっと、娘にも嫌われる日が来るのでしょう。でも、それが「臭いから」とかではなく、「耳に痛いことを、ストレートに言ってくるから」であることを信じて、娘も愛し続けようと思います。

最後に、全てのHR担当者に向けて。

HRこそ「嫌われる勇気」を。
愛されなくても愛し続ける覚悟を。

では、また来週お会いしましょう!

細田 薫


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