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「中途半端なフィードバック」は事態を悪化させる。ありのままを伝える勇気を持て。

「もっと違う言い方があるでしょ」「ストレートに言いすぎ」、、、こういったことを言われた経験、誰しも一回はあるのではないでしょうか。

確かに、ヒトを不必要に傷つけたり、人格を否定するようなコメントは絶対にダメです。

一方、コミュニケーションにおいて「オブラートに包んで伝える」「謙遜して受け取る」ことも、同じレベルで自分と相手を不幸にしてしまうと私は考えますし、実際にそういった場面をよく見ます。

ですが、それに気が付いている人は非常に少なく、逆にそれが「美徳」とまで考えている人の方が多いと感じています。

そこで、今回と次回の2回にわたって「ありのままに伝え、ありのままに受け取ることがなぜ大事なのか」について綴っていきたいと思います。

今回は「なぜ、オブラートに包んで"伝えて"はいけないのか」がテーマです。

自分が思っているほど「100」で伝えていない

ケース①:ラップ1000枚包み(矮小化)

まず、私が良く見てきた「実例」を一つ紹介します。

①面談前
・上司が「課題のある部下」に対して、その旨をフィードバックするべく面談を設定
・私に対して『今回は結構厳しく、こうやって伝えるんだ』と事前説明(この時のトーンを”100"とします)

②面談本番
・その上司が部下に対して「20」や「50」のトーンで伝達

③面談後
・私に対して「あれだけ言えば、あいつも変わってくれるだろ!」とドヤる。

初めてこのケースに出会った時、この「上司」は「私に対して虚勢を張ってるんだ」と思っていました。明らかにラップ1000枚に包んで伝えていて、まさか本当にそうは思っていないだろうと。

なので、『あ、弱々しく伝えてしまったことを恥ずかしがってるんだな』と理解していました。

しかし、類似ケースを幾度も経験し、「もしかして、これは認知がズレてるんじゃないか・・・?」と思うようになり、その仮説を検証すべく後追い調査をしてみたら、本当に「100で伝えた」とその上司たちが信じていることが分かりました。

こんなフィードバックではマズイ、と強い危機感を得てから、私は「フィードバックの在り方」について深く考えるようになりました。

こちら葛飾区亀有公園前派出所:第121巻より

ケース②:一方的コミュニケーションでの逃げ切り(誇張)

また、前職でよく見たのは「反論されたり、議論になったりしたくないので、高圧的に/一方的に伝えて逃げ切ろうとする」パターン。

これは逆に「100」ではなく「150、200」で伝えているケースと言えますが、これも上司は「言うべきことをちゃんと言った!」と思っていることが多い。

ケース①とは全く違って見えるケース②ですが、その背景にある理由は実は同一なのです(後述)

「その瞬間の言葉」など、コミュニケーション全体のごく一部

「150、200」と誇張して伝えてしまうケース②がダメなのは直感的に理解できるかと思います。

ですが、ケース①において「20」はまだしも「50」や「80」であれば、相手のことを気遣っていて、良さそうなものです。

ですが、『「50」を言葉で伝えれば、相手に「50」で届く』、そう思っている時点で大いに勘違いをしているのです。

ヒト対ヒトのコミュニケーションにおいて、「その面談中に交わされている言葉」が占める割合など、ごく一部に過ぎません。

「面談中の視線、話し方、手の動き、、、といったノンバーバルコミュニケーション」「その面談に至る前に交わされてきたコミュニケーション全て」、それらを総合して、ヒトはその「言葉」を受け取ります。

それだけの膨大な情報を交わしている中で、ちょっと言葉を工夫して「50」や「80」に矮小化して伝えたところで、相手は『あっ、こいつまだ言ってないことがあるな、思ってることと言ってること違うな』と判ってしまい、そしてこれが最大の問題点です。

つい我々は「何を言うかで決まる」と思ってしまうのですが、そんなもので真意が隠せるなんて、勘違いも甚だしいのです。

中途半端な伝達が引き起こす「悪循環」

『あっ、こいつまだ言ってないことがあるな、思ってることと言ってること違うな』と気が付いてしまうと、何が問題なのか。

相手の投げたボールを全力で受け取り、”さあ自分はどうするか"という思考にならない

『本当は相手はどう思ってるのだろう』『このボールは本当はどういう意味なんだろう』と考えてしまい、『さあどうするか』にならない

この状態は、ただ悩みを増やしただけで、一切状況の改善に繋がりません。この「中途半端な伝達」が生む「悪循環」を以下の通り図式化してみました。

上司側が「良かれ」と思って時間を取り、相手に対してフィードバックをしてあげたにもかかわらず、オブラートに包んだ「中途半端な伝達」になってしまったことで、結果として元の状態より悪くなってしまっている。

最早何もしない方がマシだったのに、「フィードバックした―!」と勘違いしている上司の方、とても多いです。

なぜ「中途半端なフィードバック」になってしまうのか、そしてどうすればいいのか

私が考える「中途半端なフィードバック」になる理由と、それに対する解決策を記します。

①不安に負けてしまう

相手に対して「MORE」を求めるフィードバックをする時、少なからず後ろ髪を引かれる思いが生まれます。それはなぜか。

「主観、という正解かどうかわからないもの」を元にメッセージを伝えるからです。

客観的に営業成績が悪いとか、遅刻が多いとかであれば簡単です。ですが、多くのケースにおいてそうではない。また、そうではないフィードバックの方が大事です。

「相手に届くだろうか」「このメッセージは正しいのだろうか」「嫌な気持ちにならないかな」・・・こういった『不安』に負けてしまうと、相手の反応を見なくて良いように高圧的になってしまったり、オブラートに包んでケガをしない様にしてしまう。

ですが、この不安に負けているうちは、本当の意味で「優れた上司」「優れたリーダー」になることは出来ません。

②言語化が不十分(=感覚論になっている)

フィードバックを受けるとき、基本的に受け手側は身構えます。すっと理解する筈がないし、話をされている時は怪訝な顔をするでしょう。そういった相手の反応に飲まれてしまう時、それが『不安に飲まれる』時です。

なぜ飲まれてしまうのか。自分の主観に十分な自信を持てていないからです。そして、自信が持てないのは「言語化が不十分」だから(一部の「自分に絶対の自信がある人」は除きます)。

言語化が不十分だと滑り出しは良くても、話しているうちに不安になったり、相手からの質問に答えられなくなり、「150」や「50」に行ってしまいます。

解決策:他人を使って言語化し、場数を踏む

「自分の主観を自分で言語化する」のは極めて難易度が高い。それが出来る人はほぼいないですし、かなり時間を取られます。

一方、「他人に壁打ちをしながら言語化していく」のは、結構簡単に出来ます。

まず、壁役の人には「壁」に徹し、意見は言わずに「問う」ことに集中してもらいます。

その上で、以下のような項目について一つ一つ丁寧に言語化していってください。そうすれば、当日本番に自信を持って「100」のメッセージを伝えられるようになるはずです。

・なぜ改善するべきだと思うのか
・具体的にはどういう時に、どんな問題が発生しているのか
・具体的にはどのように変わって欲しいのか
・その先にはどんな未来が待っているのか

あとは、ひたすら場数を踏むしかありません。最初は「120」になっちゃったり、「88」になったりするでしょう。そこもしっかりと逃げずに自己認識し、他者へのフィードバックの訓練を積むことが全てです。

解決策実例:セルソースにおける「フィードバック面談の準備面談」

私が勤めるセルソースでは、評価に関わるステップがなんと「8つ」もあります。

その中で、グリーンに塗った「評価FB前面談」が、今回の話に該当する面談です。具体的には、以下です。

参加者
評価フィードバック面談を行う本部長
・HR責任者(私) and/or HR部長

目的
・「本部長が伝えたいこと」が「そのままの形と量」で被評価者に伝わる状態を作ること

取り進め
・被評価者一人ひとりについて、「HR責任者/HR部長」が「壁役」となり、本部長の想いや考えを言語化していく。
・勿論評価会議でも議論しているが、改めて、フィードバック面談直前に「今、その人にはどんなメッセージが必要か」を徹底的に考え、言語化していく。

この仕組みを始めたことで、各評価者のフィードバックの質は目に見えて上がりました。

実際、我々は「評価フィードバック面談のフィードバックアンケート」を被評価者から回収しているのですが、この点数は回を追うごとに上がっています。

まとめ:良いリーダーは、何事からも逃げない

これまでの経験からよく分かったのが、「言語化をせず、心の弱さから逃げた」結果、多くの上司が「100伝えよう!」と思い、意識せずに「50」やら「150」の伝達になっているということでした。

私は優れたリーダーの共通点は、『有事、トラブル、達成困難な期待、、、、そういったものから逃げない』ことだと感じていましたが、結局今回も「逃げない」というキーワードに辿り着きました。

私は結構心が弱い人間なのですが、「言語化力」を武器に、不安や恐怖と戦い、一歩ずつ前に進んでいきたいと思いました。

ではまた次回、お会いしましょう。

細田 薫

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