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第1章 わたしの大切な天使✴︎物語 『トキのフィルム』

あらすじ
 リリの前に突然現れた天使のトキは、リリにインスピレーションを与える天使のカメラマンだった。ふたりは下北沢の小さなアパートで共同生活をはじめる。日々の仕事、親友/微妙な関係のベルちゃんとのあれこれ、いつもの街で見つけた不思議なお店。人間として暮らすことに馴染めないリリがだんだんと世界を見る目を変化させていく。子どもの頃から孤独を感じ続けるリリは本当にひとりぼっちだったのだろうか。トキの言葉をずっと覚えておくと決めた、「わたし」リリの物語。

 明け方、窓を開けるとさっきまで降っていた雨の匂いが風に乗って吹き込んできた。四階のこの部屋の窓から真正面に薄い月が見える。半分の月はこれから昇ってくる太陽にばれて少し気まずそうにしていた。体は眠くだるかったけれど、わたしは外に出て散歩をすることにした。朝の街は、夜の間にあふれた苦しみが道路にばらまかれているようで苦手だった。それらは雹のような姿で地面の隙間を埋め尽くしている。気味の悪いゼリーのような芯がまわりの冷たい透明に照らされている。わたしはそれをみるのが怖かった。小さな粒がびっしりと集合している様子も、逃げ出せない夜の苦しみの増幅を連想させる。太陽が世界を照らして、すべて溶かしてしまうのが待ち遠しい。わたしは毎朝、夜を溶かす熱を求めていた。
 
 わたしはいつからかこの街で当たり前に暮らして、過去や未来のことをあまり考えなくなった。思い出は手で掬った水のようにこぼれてしまって、少しのイメージだけを残してすごいスピードで遠ざかる。だからわたしはずっとひとりでいるような気がしている。わたしは思い返してあたたかくなる記憶を持ち合わせていないから。だけど最近の人たちにとってそれは普通のことで、寂しいと感じるわたしはもしかしたら「思い出」に対して過剰な期待を持っているだけなのかもしれない。「ずっと忘れないよ」はその場しのぎのただの言葉で、忘れることは人間にそなわった大切な機能だ。わたしはパジャマのような格好のまま歩き回る。まだ誰もいない、シャッターばかりの商店街をゆっくり巡っていると、考えごとでいっぱいの頭の隙間にスッとイメージのフィルムがさしこまれる。その瞬間をわたしは待ち望み、彼が遠くまで旅をしてまた美しい景色に遭遇したことを知る。散歩に出かけてからもう三、四枚のフィルムが差し込まれた。一枚一枚が色鮮やかで、重なった様子も面白い。わたしは足を止めて携帯のメモにできるだけ精密にその様子を描写していく。頭の中から映像を外に出してやる。
 
 トキと過ごした半年間のことを語りたい。そうすればわたしは、帰ってからもこの思い出を色鮮やかなままでずっと覚えていられる。今もう一度トキに会うことができたら心の底からのありがとうを伝えたいと思うけれど、あれ以来トキがわたしの元にやってくることはなくなってしまった。だから今日はトキの話をしたい。わたしが思い出せば、トキはヴィジョンとなってわたしのところにやってくる。わたしがそれを正確に表現することができれば、それは存在していると同じことだ。必死にペンを握る。キーボードを叩く。大切なわたしの天使を蘇らせようと躍起になる。
 
 覚えていることは難しいことだ。だけど、それをなんとか繋ぎとめようとしているのが人間なのかもしれない。そうすれば昨日と今日は繋がってゆき、未来と過去を繋いだ線の上に「現在」のわたしを存在させられる。思い出には期待しない。でも語っていれば、それは物語になってわたしを癒してくれる。その場しのぎでも「ずっと忘れないよ」と言ってみれば空気の成分が少しだけ変わる。その空気の中で生きていられたら、わたしたちはもう大丈夫だ。
 
 小説家は、本を書くために生きる体験をして、それをある程度終えたら本を書く。それが足りなくなったらまた生きる経験をする。
 

 物語は「起こる」ものだ。
 物語が起こるとき、それを任命された人間は泣きたい気持ちになる。
生きている以上に生きているような感覚になって、素晴らしいことが起こっていることを一人で噛みしめる。それをなんとか他人と共有しようと言葉を紡ぐ。この素晴らしい感覚をシェアしようと、懸命に言葉を拾う。どうしようもなく起こった物語たちが人間を豊かにして、生きることを本格的にしてくれる。「そんな話を誰かとしたいな」と思いながら、孤独を抱えてずっとずっと、小説家は物語を捕まえる。誰かに話してしまいそうになるのをこらえて、喉の奥の塊をぐっと飲み込みながら。

 これはわたしの好きな小説家のインタビュー記事を書き写したいつかの文章だ。わたしはよく、読んでいて「いいな」と思った文章を手で書きうつす。それは「食べる」ことに似ている。一度飲み込んでしまえば、それが自分の一部になるような気がするから。美味しい料理を見つけてそれを食べる。綺麗な文章を見つけてそれを書き写す。一文字一文字、体の中に染みていく。そうすれば自分のものになり、わたしもそのエッセンスを使うことができるようになるのだ。この赤いノートはもう何冊目だろう。今までのノートは捨ててしまった。字が汚くて何が書いてあるかわからないものもあるし、そもそも「食べ終わった」文章に用はない。それはわたしの体で消化され栄養となって、時には何かと混ざり合いながらまたわたしの外に出てくるのだ。音楽や絵を見ることはもちろん、人との会話や体感したこと、それこそ「生きる経験」は全てわたしの糧になっているような気もするし、ただわたしを通り過ぎるただの情報というような気もする。そこに重要性や意味を持たせたり感情移入したりすることがなんだか無駄な抵抗のように感じて虚しくなることも多い。自分にとって旬なエネルギーを食べることもとても大切で、昔好きだったものを今見てもピンとこないということがある。そういう時にも心の中で「あーあ。」と呟いて、変わっていくことについて思いを馳せたりする。
 
 わたしの名前はリリ。このお話を語る間、あなたにもわたしと繋がっていてほしい。わたしはある世界のある一部だから、繋がっていないと消えてしまう。わたしたちを観測して「本当のこと」を見ていてもらいたいの。あなたがいるから存在できる。心の底からありがとう。

 

1.

 生まれた時の記憶を持っている人はあまりいないはずで、わたしたちは気がついたら突然この場所で暮らしていた。わたしの場合は両親がいて、自分の部屋があって、好きなものや嫌いなものの認識が知らぬ間に形成されていた。その始まりがわからない。今日は昨日とは無関係かもしれない。わたしは今日の朝に突然ここにやってきたのかもしれず、そうでないという証拠がない。わたしはいつの間にかこの下北沢のアパートで暮らし、あたかも昨日と今日がつながっているみたいに朝起きてコーヒーを淹れているけれど、この場所はわたしが目覚める1分前まで誰か他の人が暮らす部屋だったかもしれない。同時にいくつものパラレルワールドが存在する世界で、ちゃんと同じ場所に暮らしていられることが不思議でたまらなくなることがある。わたしたちはもっと暮らす世界を間違えていいし、時系列がないランダムな体験をしてもいいはずだ。
 
 わたしが初めてトキに出会ったのは夢の中だった。蒸し暑い部屋で何度も寝返りを打ち、やっと眠れたと思ったらものすごく体力を使う夢を見た。長い間窓の外で救急車の音がしていて眠りが浅かったせいか、夢と現実との境目がよくわからない空間でわたしは何度も起き上がろうといていた。起きても起きてもそこは夢の中だった。「これはまだ夢だ」と気づいてからは、わたしは本を手に取り自分がどこにいるのかを確認するようにした。本を開くと文字らしきものが書いてあるが、読むことはできない。ヒョロヒョロした概念としての文字が本の上に広がり、それはわたしの記憶か想像力を基にしたただの映像であることがわかった。映画の「インセプション」みたいに夢がレイヤーになっているので、上の階層に上がってもそれはまだ並行した夢の世界だった。怖くて心臓がドキドキしていたのは少しの時間で、わたしは面倒くさくなってしまって起きることを諦めた。どうせ夢の中なんだし、もがいても仕方がないし、ここを探索してみようという気になった。夢の世界はまるで魔法のようにグニャグニャと姿を変える。頭に浮かんだものがその場に現れたり、自分の体が普段よりも重たく感じて、それなのにふわっと浮かび上がることができたりする。意識を集中させると道が現れ、神様になった気分だ。ここでは海を割ることもできるし、素敵なホテルで豪華な朝食を食べることもできるかもしれない。大きな猫を避けて草原のようなところをウロウロしていると、空から声が聞こえたような気がした。ここでは全てがはっきりしない。何か起こってもそれが気のせいだったのか、実際にはそんなことなかったのか、頭の中から記憶がすぐに砂のように消えていってしまう。印象的な夢を見ても目を覚ましてあっという間に忘れてしまうのも無理はないと妙に納得する。わたしは夢の中で走ったりスキップをしたりして、体の動きを確認する。わたしが走っているというよりも、体は止まったままでわたしを囲んだ周りの景色が通り過ぎていく感覚の方が近い。よくできた映像付きのランニングマシンのように世界の方がわたしを通り過ぎる。気がつくとわたしは小さな部屋の中にいた。そこは昔ながらの日本家屋のようで、やたらと狭い。人ふたりが入るのがやっとという感じの、茶室か小さな神社くらいのサイズだ。部屋の中は凝った装飾が施されていて、陽の光が当たる畳は熱を帯びている。わたしはなんとなく指で畳の目をこする。数を数えていると少しだけ落ち着くのだ。再びふと気がつくと、わたしの目の前にトキがいた。綺麗な瞳がわたしのことをじっと見つめている。水色の大きな翼が生えていたので、わたしは彼が天使だと思った。夢の中だからか、日本家屋に天使という妙なヴィジュアルについて特に違和感は感じなかった。今映像にして思い出してみると随分奇妙な感じだ。トキは何も言わなかったけれど、わたしにはトキの言葉がわかった。彼は、自分が宇宙から落っこちてしまった宇宙人だと言った。そして、わたしのことをずっと見ていたと言った。わたしは「そうなのね」と言って、トキの首にしがみつくように抱きしめた。部屋の中にこもった熱と、部屋の外の真っ黒な背景を感じながら、わたしは首の後ろの皮を猫のように掴まれて上へ上へと急上昇した。
 
 やっと本当に目が覚めた。わたしは布団を手でこすりながらここが夢の世界ではないことを確認する。咳払いをする。長い間緊張していたようで、体が少し疲れている。わたしはもぞもぞと手足を動かし、わざと「あー」とか「おはよう」とか声を出してみる。ひとりぼっちの部屋なのになんとなく声を小さくして、周りを気にしてみたりする。そしてやっと、ここは現実だ、と思う。たぶん。あの天使、イケメンだったな。
 
 その日は一日中、夢か現実かわからない出来事ばかりが起こった。コンビニに行ったらわたしのお気に入りのお菓子だけが大量に入荷されていたり、会計が333円だったり、いつもひっそりと営業している喫茶店でイベントをやっていたり、練習中のギターが結構うまく弾けちゃったり。今こうして書いてみるとたいしたことでもないなあと思うのだけど、その日のわたしの感覚はすごく不思議な感じだった。五感が冴えて、いろんなものが夢のように鮮やかに見える。なんとなく気分がウキウキしていたので、駅前に新しくできたカフェに寄ってコーヒーを飲んで帰ることにした。カフェはレトロな新品という感じで、つやつやしたソファーは座るとキュッキュと音がした。外を歩き回ったので太ももに汗をかいていて、化繊のスカートがベタッとソファーにくっついてしまう。わたしはそれを何度もはがしながらメニューを眺めた。色々と迷った末に結局ホットコーヒーを注文した。目の前においてある体に悪そうなスティックシュガーをボーっと眺めながら今朝の夢のことを考える。ふと顔を上げると、夢の中の天使がソファーに座りわたしを見ていた。一瞬体は反射的にドキッとしたけれど、わたしたちは待ち合わせをしていたみたいに違和感なくカフェの端っこのソファー席に向かい合わせで座っている。店内には大きな音でギターのBGMが響いている。音楽がわたしたちを囲んで、時が止まりカメラは遠くからぐるぐると二人を遠くから写す。「一緒にこの映像を見よう」と天使が言い、わたしたちは映画を見ているみたいにギターの響きに体を震わせる。わたしの背中からもそっと羽が開いていく。わたしは体の中のわたしであり、その映像を外から見る誰かであった。画面の中のわたしと天使は驚きと愛おしさを目の奥に光らせてただ向かい合って座っている。カメラワークと音楽がそのシーンをドラマチックに演出している。
 注文していたコーヒーがきて、店員の声でハッとわたしは体の中に意識を戻す。びっくりした。今のはなんだった?わたしは天使の存在と同じくらい、今見たヴィジョンの不思議さについて考えていた。目の前にはまだ夢の中の天使が座っているけれど、わたしは熱いコーヒーをすする。もう一度店員がやってきて向かいの席にお水を置いた。わたしだけに見えている幻覚というわけではなさそうだ。相変わらず天使はわたしのことを見ている。
 
 「僕は天使じゃないよ。言ったでしょう?僕は宇宙から落っこちた宇宙人。そして僕だって、こうしてリリと向かい合って話していることが不思議だ。」
 
 彼はにっこりと微笑んで大きな翼を少し動かした。わたしとトキは(自己紹介は特になかったけれど、彼の名前がトキだとなぜかわたしは知っていた。)、「なぜ?」とか「不思議」とかはすっ飛ばして会話を進めた。わたしは自分の背中に生えたばかりの薄い羽を動かしてみたけれど、正しく動いているのか実感がないのでわからない。気づけば先ほどのおしゃれなカメラワークは切り替わって、わたしは自分の二つの目でしか物を見ることができなくなっていた。夢で見た通り、トキはすごく素敵な容姿をしていた。わたしが特に気に入ったのは彼の知的さだ。静かでさりげない動作はとても賢く大人っぽく見える。人間のような見た目だけれど、トキ曰く彼は宇宙人であり、わたしの夢に登場した天使であり、わたしが言葉を発していなくても考え事を察知してしまうようだったので、確かに人間以外の何かのようだ。怖い感じは全くなく、トキを目の前にしているとむしろ空気清浄機のようにあたりが心地よく軽くなる感覚がある。もうこの際説明や弁解は省略させてもらって、もっと大切なことを語っていきたいと思う。
 
 トキはあんな風に言っていたけど、わたしはやっぱり彼が天使だったと今でも思っている。(「どちらでもいい」とトキは言った。)だけどそれはわたしの個人的な希望でありイメージの話だから、本当はなんだっていい。トキがわたしのところに来てくれたことがわたしの中で「本当のこと」であるということが一番大切で、もしそれを否定したり覆したりするようなことがあれば、わたしは死にたくなるだろう。ただでさえトキとの別れはわたしをぐちゃぐちゃにしてしまったのだから、せめてわたしの内側の記憶だけでも守っていたいと強く執着してしまうことを、わたしは自分に許したい。多分これはいつか歳をとったら、もしくは、わたしが死んだ後に、「そんなことしなくてもリリはバラバラになんかならなかったのに」と理解できるようなことだろうとは思うけど、今のわたしとしては、毎日一生懸命この文章を綴るくらいにちょうどよく覚えておきたいという感じだ。
 
 トキはわたしの心の中の声が聞こえるようで、わたしたちはほとんど会話をせずコミュニケーションがとれた。トキに対していちいち嘘をつかなくていいし、フィルターを通した自分の言葉にがっかりすることもないのでわたしはかなりリラックスすることができた。そうだ。わたしは今までずっと、自分から出てくる格好つけた言葉にがっかりしていたのだ。「そんなんじゃない」と思いながらもスラスラと出てくる綺麗な言葉が嫌いだった。相手をコントロールするような毒素を帯びたコメントを生み出して、後になって自己嫌悪する。こうして書いてみるとなんだかすごく子供っぽい。その自分を可愛らしいとも思えない。当然、今までの恋人たちもはじめは演出されたわたしと出会い、だんだんと剥がれてしまったメッキにがっかりして去っていく。というよりも、わたし自身がメッキの剥がれた自分自身で在ることに我慢ができなかったのかもしれない。勝手に作り上げた「正解」や「美しさ」に自分を無理やり当てはめて、そうでない自分を否定する。最近ではどんな自分も自分なのだから仕方がないと思えるようになってきたけれど、それでもなかなかその癖が抜けないでいる。でもトキはそのわたしを優しく見つめて、「可愛い」と言ってくれる。トキにはどんなわたしもすぐにバレてしまう。トキは人間ではないので、わたしも半分諦めの気持ちがあるのかもしれない。そう考えると、人間というのは本当にわたしにとってよい存在なのかどうか疑問だ。わたしはこれからの人生は天使や妖精と暮らしていった方が幸せになれるのかもしれない。わたしはわたしと同じ人間とはうまくやっていかれないのかな。頭が混乱してきた。トキが人間かどうかも、わたしが人間とうまくやらなきゃいけないのも、わたしが作り出すただの幻想で、そんなことが別に問題ではない世界のわたしがどこかで楽しそうに暮らしているかもしれない。
 
 わたしは嘘つきだ。わたしはつい、誰かの中での自分のイメージを固定させようと努力してしまう。ありのままの自分でいることが大切だとわかっているのに、意図せず格好つけたり環境を演出してしまったりする。これは幼い頃からのわたしの癖で、大人になってからもうしばらく経つから、わたしはすっかりその道のプロになってしまっている。色々な可能性が目の前に見えて、どれを選んだら相手に対して一番インパクトを与えられるか、自分が素晴らしい人間のように見えるかを瞬間的に判断してしまうのだ。要は人目が気になって、素の自分を表に出すのが怖いのだ。だからわたしが憧れたり興味を持ったりする人は大抵、心と口があっさりとしたパイプで繋がっているような人だ。思ったことをそのまま口に出すことができる人たち。一方わたしのパイプにはたくさんのフィルターがかかっていて、心の中から口を通って外側に出るまでに、普通の人よりも時間がかかっているんじゃないかと思うほどだ。そんなフィルターは不要だとわかっているけれど、どうしてもやめられない。無意識に選択肢を並べ、よい人間だと他人に思われるような回答を選択してしまう。わたしはそんな自分自身のことを不器用でダサくて恥ずかしいと思う。一瞬は他人によく見られているかもしれないけれど、その全てがバレてしまっている自分自身からの冷たい視線が痛い。なぜこんなひねくれ者になってしまったのだろうと、親が娘を見るようにため息をついてみる。
 
 トキはどうしてわたしの目の前に現れたのだろうか。肉体を持って存在することと、肉体を持たずに存在することは何が違うのだろう。わたしのインスピレーションは大抵、写真のような平面的なイメージで表現されていた。ふとした瞬間にすっとそのイメージが頭に浮かび、わたしはそれを絵や文章で表現した。写生をするように、拡大しピントを合わせながらその写真についてメモをする。中にはわたしが目では見たことのない景色や生き物たちが浮かんでくることもあった。だからわたしは、それらは脳が作っている記憶の引き出しなんかじゃないことを知っていた。わたしとは無関係のヴィジョンが、わたしにインストールされる。
 
 「リリのそのイメージは、ぼくが撮ってきた写真なんだよ」
 
 ある日トキにそう言われた時の衝撃を今でも覚えている。ぼくは宇宙のカメラマンなのだと彼は続ける。トキはわたしが生まれる前からずっとわたしと一緒にいた。トキが出会う素敵な情景を共有したくて、トキはカメラを手に旅をした。わたしが小さい頃から見続けた、空想だと思っていた不思議なヴィジョンはみんな、トキが見せてくれていたものだったのだ。
 
 確かに、人間の中にはわたしのようにイメージを映像として頭に浮かべることができない人がいるらしい。友達と話していてその事実を知ったとき、わたしは心から驚いた。例えば「ピンク色のウサギが綿あめのような黄色い雲に乗って歌を歌っている」という言葉を聞いたら自動的に頭にその情景が浮かぶし、逆に何もイメージするなと言われる方が難しい。だけど、友達の頭の中には何も浮かばないそうなのだ。黒いスクリーンがただそこにあって、ヴィジョンを思い浮かべることができない。わたしの場合は感情もセットになっていることが多くて、その映像特有の目には見えない「感じ」も一緒にやってくる。そこに言葉を当てはめようと苦労することが多い。興味を持って調べてみると、有名な芸術家でもイメージができなかった人がいるそうで、ヴィジョンが見えることと創作ができることとの関係性はなさそうだった。わたしはほとんどイメージで見たものをそのまま文章や絵にするので、もしそれなしに創作するとしたらどうすればいいかわからない。そんな経験があったので、トキの話を聞いて妙に納得した。ヴィジョンとは、天使のカメラマンが撮った写真だったのだ。脳の構造の違いでも才能でもなく、わたしにただトキがついていてくれていた。嬉しくもありがっかりもする。そして、わたしの頭の中だけで再生されていた面白く美しい映像たちをトキが実際に見ていたと思うと羨ましい。
 
 「だけど一体どうして、トキはわたしに写真をくれるの?」
 
 わたしはトキに尋ねた。何か目的があるのか気になった。それを聞いてトキはきょとんとした顔をして少し考えてから言った。
 
「リリに僕と同じ景色を見てもらいたいから。」
 
 その返事にわたしはちょっとだけ照れた。トキの透き通る瞳でじっと見つめられるとそわそわする。だけどそれは恋する感覚とは少し違った。トキの瞳を通して自分自身の本当の心が見えるような気がするのだ。わたしには見たい景色があって、トキはそれを共有してくれた。わたしがトキに出会った日から、わたしの世界はふんわりと軽く、うっすらピンク色の優しいフィルターがかかったようだった。

#創作大賞2023   #ファンタジー小説部門

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