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第5章 ゆきこさん✴︎物語 『トキのフィルム』

5.

 トキとの生活にすっかり慣れて、彼は天使や宇宙人なんかじゃなくてただの変わった男の子なのではないかと思うことが多くなった。きちんとご飯を食べ、眠り、わたし以外の人たちにもしっかり姿が見えている。時々わたしはトキがふざけてわたしをからかっているのではないかと思うことがあった。テレパシーのように会話ができるのだって、特別な能力を持っているだけかもしれない。だからといって別に困ることはないし、わたしにとってトキが一緒にいてくれることは嬉しいことだった。いつか突然消えてしまうのではないかという不安も薄らぐ。しかしある時、スマホのカメラでトキを撮っても何も写らないことがわかった。何度撮ってもトキの姿をとらえることはできず、そこでやっとわたしは彼が人間ではないのだと実感する。写真に姿が写らないことを、トキは少しだけ残念そうにしていた。彼はカメラで映像をとらえるのに、自分自身が写っているのを見ることができない。こんなに美しい容姿を保存しておけないのは残念なことだ。
 
 今日はゆきこさんのお店の二階でのカレーパーティーに呼ばれたのでわたしとトキは夕方に家をでた。トキがゆきこさんに会うのは初めてだ。先日買ってきたキャンドルを彼はとても気に入って、毎晩火を灯しそれを眺めていた。水色のキャンドルは火をつけると透明に光っているように見えた。わたしの頭の中のトーン・ファーマシーを見て、トキはその場所をすでにとても気に入ったようだった。そしてわたしと同じく、カレーはトキの大好物だった。商店街を歩いていると、古い写真館のドアの前にカゴいっぱいのインスタントカメラが置かれているのを見つけた。「ご自由にお持ちください」という張り紙がされていたのでわたしたちはその中からひとつカメラをもらった。わたしは試しにトキのことを撮った。
 「写っているといいな。」
 とトキが言って、カメラを興味深そうに眺めている。わたしは、一昔前はみんなこのカメラを使っていて、その写真を見るためにはお金をかけて現像しなければならなかったことを説明する。カメラを手に取り、トキもわたしのことを撮ってくれた。
 「この写真を、リリのようにどこかの誰かが見ているのかな。」」
 トキはそう言って楽しそうに商店街を歩く。トーン・ファーマシーの店先には綺麗な紫陽花が咲いている。ひとつひとつの花びらが小さなドレスのようで可愛らしい。グラデーションになっている色はその季節を喜んでいるみたいだった。トキはその花の写真をインスタントカメラで撮った。店の中に入り二階に上がると、ゆきこさんの夫の三原さんが迎えてくれた。ゆきこさんは彼のことを「三原さん」と呼ぶ。カレーは数種類用意されていて、それらに合わせてお米やパンやナンやお餅もあった。ショッキングピンクのクッションが貼られた椅子が鮮やかで素敵だ。夫婦で旅することが好きな彼らがいろんな国で買い集めたスパイスを使って、料理上手のゆきこさんがカレーを作ってくれる。わたしは大きな平たいおさらにそのカレーたちを少しずつとり席についた。
 「初めまして。」
とゆきこさんはトキに向かって手を伸ばした。彼がゆきこさんと目を合わせ握手をするとき、一瞬めまいのように空気が動いた気がした。そういえば、この間ゆきこさんはわたしと目を合わせて少し驚いたような顔をしていたな。わたしはトキに向かって頭の中で話しかける。「ゆきこさん、トキが天使だって気づいているのかしら?」その問いかけにトキは首を振って笑った。わたしは辛いものが大好きなので、カレーにさらにスパイスを足して様々な味を楽しんだ。三原さんは賢くて素敵だったし、参加している人たちはみんな個性的で親しみやすかった。トキもその場に馴染んで、時々写真を撮り人々との会話を楽しんでいる。
 「ゆきこさんは、お料理が上手ですね。」
 とトキが言うと彼女は、わたしは末っ子だからねと話してくれた。歳が離れたお姉さんたちの中で、唯一お母さんとゆっくり会話をするのは料理の手伝いをするときだったのだそうだ。
 「節約して買い物をしたり、人数分の料理を大きなお鍋で作ったり、保存しておける常備菜を考えたり、母とはいつもそんなことばかり話して、小さい頃からわたしはすっかりおばさんみたいだったの。」
 わたしは料理が苦手で怪我をしてばかりだから羨ましいですとわたしが言うと、レースの袖をまくって絆創膏が貼られた腕を見せてくれた。
 「わたしね、お料理は大の得意なんだけど、なぜだかガラスをすぐ割ってしまうの。だからボウルは全部ステンレスだし、瓶やガラスのお皿の代わりにプラスチックのタッパーを使わないとならないのね。わたしが触るガラスは壊れてしまうのよ。植物に水を吹きかけるボトルなんかもそう。わたしは全部プラスチックを使うの。学生の頃は、理科の実験で使うビーカーや薄いガラスのプレートなんかもね、全部割れちゃうの。昨日は、店の商品の小瓶が割れて腕を怪我しちゃった。ガラスって綺麗だから大好きなんだけどね、残念。」
 ガラスの呪いにかかったゆきこさんは時々透明になり、その姿が余韻のように、残像のように見えた。わたしはその薄い壊れやすいガラスのイメージが儚くて素敵だと思った。人間の中には、その肉体にしっかりと魂が結びついて疑いようがない存在感を放つ人と、体が透けて実は本体はどこか遠くにあるような感じがする人がいる。わたしの周りにはなぜか後者が多いような気がする。くっきりとした輪郭を持つ人たちではなく、輪郭が溶けてその場所や空気と混ざっている人たち。それは「死」との距離を連想させるけれど、それだけではない。彼らを見ていると生きることが魅力的なことに思えてくるから。透明のガラスのポットとカップで紅茶を飲むのが夢だとゆきこさんは言い、ガラスにぴったりの赤い紅茶の種類を教えてくれた。わたしの頭の中に、トキがどこか遠い国の赤い花の映像のフィルムを差し込んだ。その香りは甘い紅茶みたいだ。サフランにも似ている、細いシュルシュルした花は力強く天に向かって伸びた。ギターの音が響く。わたしは踊り、愛している人がわたしに向かって音楽を奏でるのを聴いている。幸せな時間だ。熱い大地に複雑に織られた絨毯が敷かれて、その上にはゴールドのトレイと、ガラスに装飾がされた小さなグラス。注がれる甘いミントティーに太陽の光が反射する。ギターの音色。踊る裸足。笑い声。熱い熱い太陽の熱。
 ゆきこさんの近所で花屋を営んでいる女の子はビールですっかり酔っ払ってしまって、よくわからないことを喋りながらメソメソ泣いている。
 「わたし、あの時に戻ることさえできたら全て上手くいくんです!」
 はいはいとみんながなだめて、わたしは過去に戻ることについて考える。印象的な記憶はあまりなく、戻りたい過去も見当たらない。あるとしたら、わたしが生まれるずっと前の過去かもしれない。気持ち良い風が吹いて、心から楽しくて、ここにとどまっていたいと思うことができていた過去がどこかにあるはずだ。
 
 わたしは遠い砂漠を歩きながら、水がいっぱいに潤った場所を夢見た。流す涙もすぐに枯れてしまう。踊り疲れた足。あの人の大きい背中。あなたが運命に降参して戦うことをあきらめたからわたしはすべてをやめてしまった。また会えるに決まっているのに運命が二人を引き裂いたなんて思っているなら、神様をばかにしすぎてあきれられてしまったのでしょう。さあ、わたしはどこへ行ったのかしら。思い出したいのはどの記憶でしょう。そんなものどうだっていいから、またこの世界に現れたい。

#創作大賞2023

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