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第4章 トーンファーマシー✴︎物語 『トキのフィルム』

4.

 わたしのアパートの近くには古本屋がたくさんある。わたしは夕方に散歩がてらその何軒かを巡るのが好きだった。雑誌にしても小説にしても画集にしても、古本屋にはいつも新しい発見がある。その時目に留まったものをパラパラとめくり、続きをゆっくり読みたいと思った本を買う。本屋によってコンセプトが様々で、わたしは流行や時期に左右されない本のセレクトはとても魅了的だと思う。新刊を扱う本屋にはエネルギーがない。新しい本の匂いにわたしは気分が悪くなる。そこには「みんなの興味がある本」と「話題の本」があふれ、壁一面が「たくさん売れる本」で埋め尽くされている。多数決にはうんざり。わたしは社会でうまく生きていくための方法には興味がなく、訳のわからない詩集やなぜ出版されたのか疑問な短編集や、個人が作ったリトルプレスの雑誌なんかの方に活気を感じる。「生きる」ことのベクトルが人によって異なるのかもしれない。わたしは誰かが決めた「幸せ」を幸福だと思ったことがないし、「方法」については自分で決めたい派だ。詩や物語で自分を満たせば、必要な力と技術と知識は自然と内から溢れ出てくる。下北沢の古本屋には命が宿った本がたくさんあった。空気中のキラキラした光を集めて丸めたような作品はわたしを元気にした。たまに本の間に挟まっている前の持ち主のガス料金の請求書とか、ページの端っこにメモされた謎の数字とか、滲んだ印刷とか、そんなものがわたしの想像力を掻き立て嬉しくさせた。単純だけどこの世界にわたしは一人ぼっちではないのだという気分になる。その本の奥にある誰かの生活を思い浮かべながらページをめくっていると、様々な「幸せ」の形が見えるようで嬉しい。 

「物語の薬局をご存知?」

突然の言葉に顔をあげると、角の席の女が目の前に座りこちらを見ている。

「え、なんですって?」

わたしは色々なことに驚いて、やっと声をだした。

「物語の薬局。裏のスーパーの少し先にある、古いお店です。」

物語の薬局?聞いたことがないし、このシチュエーションがすでに物語のようで奇妙である。

「知りませんが、それはお店かなにかですか?」

「あら、あなたなら知っていると思ったのに。癒されることに詳しいでしょう?」

癒されることに詳しいとはどういうことか。

日本語もおかしい気がするし、初対面の女性に言われるセリフではないと思うのだが、このさい奇妙さについては無視して話を進めてみようという気になってきた。
 
 30年くらい前に書かれた短編集を立ち読みし、気に入ったので購入して続きはトキと一緒にアパートに帰って読むことにした。物語の薬局。そんなものがあったらいいだろうな。だって、物語はヒーリングだから。お話を語ること、聴くこと、体験することは癒しに繋がっている。それは「たましい」の領域であって、曖昧ながら生きていく上で重要なパートを担っている。物語は、すべてが繋がっているということを説明してくれる。バラバラなものがまとまっていく。それが心地よいハーモニーになって新しい音が聴こえるようになる。わたしの頭には水色の空を飛ぶカラフルな小鳥たちの映像が浮かぶ。彼らは音楽を咥えて楽しそうに群れになって飛んでいる。それを見上げる人々も徐々に空に吸い込まれていった。大音量で音楽が鳴って、地球が震えていた。トキったら、こんなに素敵なヴィジョンを隠していたんだ。わたしはメモをするよりも目を閉じてじっくりとそれを感じている。手には本を握りしめて、帰り道を急ぐ人たちの中で一人立ち止まって夕日を浴びていた。
 この街の細い坂道を歩くと、わたしは若い女性たち(またはお母さん)のことを思い浮かべる。たくさんの荷物を抱えた彼女たちがエレガントなロングスカートをなびかせてせっせと坂道をのぼる。今夜の夕食には少し特別なバターを使おうとか、あの花屋で前から欲しかった花瓶を買おう、わたしが好きなピンク色の花にぴったりだからとか、彼が来る前に洗濯物を片付けておかなくちゃとか、そんなウキウキした心を抱えた女性たち。前を向き生活を大切にすることは健やかで心地がいいなと思う一方で、そのイメージを自分に当てはめるとソワソワとした気持ちになる。
 適当に歩いて、気になる道を曲がる。わたしは時々そんな風に歩いて新しい景色やお店を見つけるのが好きだった。今日も遠回りをしながら家の方に向かっていた。いつも通る道でも可愛らしい壁画や変な形の植物を見つけた。どこかへ向かっている時と、「歩くこと」をしている時とでは見える景色が全く変わってしまう。わたしに歩かれるために用意された道は突然張り切って、面白い景色を用意してくれているようだった。「トーン・ファーマシー」も、わたしのために通りに突然現れた。綺麗な水色の壁と白い看板が可愛くて、この道を何度か歩いたことがあるわたしはこの素敵なお店を見逃すはずがないと思った。「新しくできたお店なのかもしれない。」とわたしは思って、ガラスの半分がレースのカーテンで仕切られているドアを押した。店内にはろうそくやレース、ガラスの小瓶などきらきらした可愛いものがたくさん飾られている。奥には大きなカウンターがあり、壁一面の棚には小さな小瓶や漢方が入っているような引き出しが置かれていた。そのカウンターの中に濃いブルーのエプロンをした女性が立っていた。
 「こんにちは。」
 わたしは小さく声をかけるとその女性も挨拶を返した。わたしは店の隅から隅まで商品を興味深く眺めた。何冊かの本も置いてある。わたしはプレゼントにいくつかのミニキャンドルを買うことにしたので、銀色の買い物かごを手に取った。蜂蜜のような黄色が可愛いキャンドルはベルちゃんが気に入りそうだ。香りもいい。トキには薄い水色の、小石のようなキャンドル。カラフルなキャンドルたちがかごの中で光っている。わたしはレジでそのひとつひとつをラッピングしてもらいたいとお願いすると、女性は
 「少し時間がかかるので、ちょうど今いれた紅茶をどうぞ。」
 と言ってカップを差し出してくれた。赤くて熱い紅茶が薄い陶器のカップに注がれる。ラッピングをしながら、わたしたちは話をした。彼女はゆきこさんという名前で、彼女の親の代からここに住んでいる。「トーン・ファーマシー」を始めたのは十年も前のことで、わたしは今までこのお店の存在に気がつかなかったことを不思議に思った。ゆきこさんが大好きなものや癒されるものを集めたこのお店は「薬局」として癒しを与えられる場所になればいいなと話しているのを聞いて、わたしは「物語の薬局」のことをぼんやり考えた。たまにお店の二階で小さなパーティのようなものが開かれるので、ご近所ならぜひ来てねと誘ってもらい、それ以来わたしは時々「トーン・ファーマシー」に顔を出すようになった。
 丁寧に薄紙で巾着餅のようにキャンドルをラッピングしたゆきこさんは、出口まで見送ってくれた。帰り際、ドアを開けようとわたしに少し触れたゆきこさんは一瞬驚いたようにわたしの目を見たけれどすぐに笑顔に戻ってまたぜひいらしてねと言った。ここは幻のお店だったのかもしれないな。帰ったらトキにこの話をしよう。わたしはまだ紅茶のいい香りに包まれている気がした。

#創作大賞2023

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