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第9章 紅茶の夢✴︎物語 『トキのフィルム』

9.

 ある夜、現実のような夢を見た。現実から夢にかけてグラデーションのように濃さが変化していると仮定すると、その夢は限りなく真ん中の色をしていた。体に触れる感覚があり、ヴィジョンと体の反応は時差なく連動していて、目覚めてすぐにわたしは今見たものが夢だったのかどうかわからず、しばらくそのまま鼓動がおさまるのを待っていた。夢の中で、ゆきこさんがお茶を淹れている。パーティの時に教えてくれた赤くて甘い紅茶だ。彼女はレースのような細工が入ったガラスのポットを手に取り「わたしが触れると割れてしまうのよ。」と言った。予言の通りポットはゆきこさんの手をすっと離れて床でバラバラになった。氷のようなガラスの破片と真っ赤な紅茶が広がっていく。何度か逆再生がかかる。割れるポット、細くきれいな手におさまっているガラスと紅茶。壊れたビデオテープのように巻き戻し再生される。わたしは暑い空気の中でそれを座って見ている。ゆきこさんは白いさっぱりとした綿のドレスを着ていた。レースの模様に見覚えがある。その後ろの出窓には数本のばらが飾られている。その花は三原さんが活けたのだろうか、とわたしはふと疑問に思う。花が飾られているのは虹のような色が巻かれている可愛らしいガラスの花瓶だったから。気がつくとゆきこさんはわたしのことをじっと見つめていた。ポットも紅茶も見当たらない。わたしたちは陶器のカップでコーヒーを飲んでいる。紺色の時間が流れていた。
 「リリちゃん。リリちゃんって名前、どこでもらったの?」 
 ゆきこさんはわたしにたずねた。わたしはその質問について考える。名前、どこでもらったの。頭の中で復唱する。ずいぶん変な質問だ。彼女は立ち上がりわたしに近づいた。そしてわたしの頭を撫でてもう一度言った。
 「リリちゃんって名前、どこでもらったの?」
 わたしは目をそらして出窓の外を見た。窓の向こう側にもバラの花瓶が置かれている。その奥も、そのずっと奥も、鏡のように同じ景色が写り込んでいた。わたしはこれが夢かもしれないとなんとなく思う。トキが現れた日にもこんな感じの夢を見ていた。ゆきこさんはわたしの頭を撫でている。もう一度目が合うと、わたしは彼女の濃く黒い目が濡れているのに気がついた。右目から涙が溢れる。落ちた涙はガラスの粒になって音をたてて床に散らばった。わたしは立ち上がって、窓とは反対の方向に歩いてドアを開いた。
 扉を開くと、手術台のようなベッドにわたしが横たわっていた。部屋中が黄緑色のライトに照らされている。ベッドの上にも、床にも、たくさんの小さな生き物が動いていて、それらは小さな人間のように見えた。わたしはゆきこさんの方を振り返ったけれど、先ほどくぐったドアはもう見当たらない。ゆきこさんと一緒に座っていた、木の温かみに包まれた部屋とは一変して、そこは無機質な実験室のような空間だった。壁のスクリーンには見たことのない文字が並んで、何人かがその画面を見つめている。
 横たわるわたしの頭がカパッと開いて、数人がネジを回すような道具で作業をしている。わたしの体なのに、骨や脳みそがあるはずの頭の中は機械仕掛けだった。そこには小さい部品がぎっしりと詰まっていて、精密な時計のようにわずかに振動している。手のひら、足の裏にも小さなドアのようなものがあって、小さな人たちが出入りしている。壁のスクリーンは定期的に映し出す文字を変える。わたしは自分の手のひらを見つめる。このわたしの体は少し透けていて、映写機で映し出された映像みたいだ。彼らにもわたしのことは見えていないらしい。わたしはさっきまでゆきこさんが着ていた綿のドレスに身を包んでいることに気がついた。小さな人たちは、わたしの不具合を調整しているようだ。ネジを巻き、部品の角度を合わせてひとつずつ作業を進める。半透明のわたしは黙ってその姿を見ている。
 
 「今日の続きの明日を感じられるようにならなくちゃ。」
 作業員の一人の声が響く。想像していたよりも甲高くて嫌な感じの音だ。   「今日の続きの明日」その言葉には不思議な違和感がある。ベッドの上のわたしの体がピクリと動いた。車のボンネットみたいにバタンと音を立てて開いていたわたしの頭が閉じる。「これでもう大丈夫。」とまた甲高い声が聞こえた。わたしが出口を探していると足元に作業員の一人がやってきてドレスの裾を引っ張った。「静かに」という動作をしながらこっそりと壁をつたい扉へ案内してくれた。ドアをくぐるとき、もう一度声が聞こえる。
 「リリちゃんって名前、どこでもらったの?」
 目の前に、レースのドレスを纏ったわたし自身の姿があった。
 
 目を覚ましたわたしの心臓はドキドキと鳴っていて、喉が乾いていた。わたしは手で自分の頭を触る。しばらくベッドでじっとしてから台所に行って水を飲むと、大量の汗をかいていることに気がついた。トキは出かけているようだ。ずいぶんと長い、奇妙な夢だった。何か大切なことを学んだような気もする。わたしがぼんやりしたまま窓を開けると、強風が部屋をかき回した。その匂いに懐かしさを感じて、幼い頃のことを思い出してみる。おばあちゃんの大きな手。欲しかったゲーム。断片的に、でも色鮮やかに映像が蘇る。これはトキのフイルムではなくて、わたし自身の記憶だ。わたしが体験する日々の続きの今が、この狭い部屋にいっぱいに広がった。

#創作大賞2023

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