見出し画像

第12章 地球ガラス玉✴︎物語 『トキのフィルム』

12.

 トキがいないことにだんだんと慣れて、その気持ちと反比例してわたしは涙を流すことが多くなった。本を読んでは泣いて、坂道を登りながら泣いて、喫茶店でもこっそり泣いて、文章を書きながらまた泣いた。そんな秋を過ごした。
 
 涙も枯れ果てたかという頃、ボケボケしていたわたしの頭は急に「現実」を感知し始めたようで、目の前の現象が一気にリアルに見えるようになった。キラキラしていたあの人も、ふんわりと優しい雰囲気だったあのカフェも、まるで別のもののように感じてしまう。誰かと話していても目の下の小じわやからまった髪の毛が気になる。道端にはお酒の瓶が転がっているし、コンビニは嫌な匂いが充満していた。世の中の、イメージだけでは見つからなかった詳細が目の前に現れ、わたしは少し混乱した。目に見える世界で、綺麗なものと汚いものが半分半分になっていた。トキがいなくなったから、天国が消えてしまったの?
 
 さらに厄介だったのは眠れなくなったことだった。ベッドに入り眠ろうとすると、あらゆる心配事がわたしを包むのだ。知らない番号からかかってきた電話とか、支払えそうもない請求とか、誰かを傷つけてしまった何年も前の出来事とか。幼い頃によく体験していた「負のループ」みたいなものに押しつぶされそうになって逃げられない。大人になったわたしには不安を感じる材料のバラエティが増え、多岐にわたる可能性に「負のループ」がより強固で本格的になってわたしに迫ってくるようだ。別に今すぐ困っていることは見当たらないのに、過去や未来への心配が膨らんで膨らんで怪物のようにわたしを包み込む。眠ったような眠らないような体は、だんだんと明るくなる空を恨めしく思う。夜眠れない分、昼間は泥のように眠ってしまう。ぐったりと気持ちが悪いまま適当に何かを食べて、また寝付けない夜に抵抗しながら侵入していく。ぐるぐるぐるぐると無限のループにはまって、「どうしようどうしよう」とじっとり汗をかいた。世界は鮮やかに光ってはいなかった。わたしたちの体には意思とは無関係に刻まれた傷があって、大したことないその傷に囚われて一生を過ごす。いつか発動する時限爆弾に怯えて、恐怖と不安に涙を流す。イメージの世界はあんなに色鮮やかで、いい匂いがして、あたたかかったのに。眼鏡をかけたようにはっきり見えるようになった世界の色は、くすんで曇って攻撃的だった。
 
 そんな日が1ヶ月くらい続いたころ、わたしはベッドの中で相変わらず大きく息を吸いため息をつくと、突然頭の中が光のような何かでパッと照らされた。
 
 「わたしは地球に戻ってきた」
 
 という言葉が浮かぶ。あ、わたしはトキと一緒にいる間、すっかり地球から消えていたのかもしれない。今度は「地球に戻ってきた」という感覚がわたしを包み、そのひらめきはわたしをほっとさせた。今ここで息をしている感じ。この地球は悲しみや苦しみ、面倒なことでいっぱいだ。綺麗なものなんてたった5パーセントくらいしかないんじゃないかと怖くなる時がほとんどだ。だけど地球を留守にしていたわたしは今振り返れば、常にぼんやりとして退屈な日々を過ごしていたような気がする。不安や眠れない日々、恐怖や怒りがここで暮らすストーリーの大切なアクセントになっていたなんてうんざりするけれど、わたしは今それが「本当のこと」だと確信する。今日の続きの明日を生きている。わたしは長い旅から戻ってきた。地球のことがまたできるようになった。そんな自分をおかしいとひとりで笑う。そしてまたトキを思い出して泣いた。
 
 ガラス玉という言葉が美しい時もあれば、偽物のように聞こえることもあって迷ってしまう。美しい言葉を使うべきなのだろうけど、体がそれを許さない。痛いことが心配で眠ってしまいたくなる。この匂いはなんだ。この場所から世界を見れば天国のよう。神社をおとずれれば木々の揺らめきが神秘的なのに。わたしだけが透明でない。隠れることができない。生年月日を覚えていない。空の向こう側に今までいた場所があって、そこに帰ることができたら、花が光りながら舞って美しさを、世界から美しさを奪っているのはわたしかもしれない。偽物を映すガラス玉は本当は唯一の宝石なのかもしれない。
 
 わたしは現像したトキの写真を見つめている。この人の瞳の奥にはなにがあるのだろうか。もしかしたらその場所はわたしの瞳の奥ともつながっていて、表面に見えている物は異なるようで、実は常に同じものを感じているのかもしれない。そこはわたしたちが元々いた場所であり宇宙。拡大し常に変化する大きな空間をわたし達は共有する。
 
 ここは楽園だ。自分の全てを肯定される愛の理想郷。
 
 「そうやって天使になった人は何人もいる。」
 とトキは言った。浮かび上がって、そのまま気づかない間に。
 
 「なんだ」
 とわたしはそっと思う。
 
「やっぱりトキは天使だったんじゃん。」

おわり

#創作大賞2023

★つづき・今までのお話はこちらから★

FOLLOW ME!
💛Instagram @chibitoyara
https://www.instagram.com/chibitoyara

💛Twitter @satomiu___
https://twitter.com/satomiu___

💛完結前の世界 ブログ「水瓶座博物館」
https://starrynight.hatenablog.com/

💛note
https://note.com/hikarinohane

読んでいただきありがとうございます♡ ラブで世界をぐるぐる回すような言葉をどんどん発信します! 出会ってくれてありがとう。