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第7章 涙と時空の橋✴︎物語 『トキのフィルム』

7.

 その数ヶ月後に、ベルちゃんは結婚した。わたしはなんとなく彼に会いづらくなった。たましいのかけらを失ったわたしは少しだけ泣いて、もう思い出すことをやめた。それに、わたしはもうすでにベルちゃんと離れることを思って泣いていた。トキはそんなわたしを見て「とても人間らしい」と言った。わたしは人間だから、それでいい。わたしは心の中でベルちゃんに話しかける。彼はたましいのかけらだから、この声が聞こえるかもしれない。わたしたちがおじいちゃんとおばあちゃんになって、もう誰も性欲とか、「わたしの」とか、そういうくだらないことを言わなくなったらまた一緒に遊ぼうよ。もしくは、来世でも、前世でもいいよ。わたしもベルちゃんもちゃんと恋する気持ちを持つことができたら、わたしたち、結婚すればいい。トキにはその声が全部聞こえているみたいだ。
 ベルちゃんにとっては、離れてしまったのはわたしの方だったのかもしれない。それとも、わたしたちはそれぞれの道を歩き、交差点で一瞬挨拶をしただけでまた自分の道を無言で進んだということに過ぎないのだろうか。ドラマチックを語りたい頭と、笑い転げているたましいがうるさい。
 
 わたしは退屈な夜を過ごすことが多くなった。そんな時にはトキを連れ出して近所のカフェでお茶をする。何かを作りたいという気持ちも減ってしまって、わたしはだらだらと毎日を過ごした。実際にはただ拗ねていただけだ。長い人生なんだから、そんな風に時間を無駄にしたってわたしの勝手でしょう。
 
 今夜も少しだけ飲んで、サラダとアヒージョをつまんだ。ふとガラス張りのドアの外を見ると、男性が通り過ぎるところだった。彼は小さな子供を連れていて、その様子がまるでベルちゃんの将来の姿のように見えてわたしはドキッとした。わたし達があまりに長い時間ベルちゃんのことを話していたからそんな風に見えたのだろうか。それとも本当に、未来のベルちゃんが何かの拍子にこの世界に迷い込んでしまったのか。もしくはこれはわたしが映し出したただの幻想なのかな。トキと目を合わせてからわたしは目を閉じた。ピンク色と緑色が混ざっている世界で、ベルちゃんの子供(タロという名前だ)がわたしをじっと見ている。その子と手を繋ぐと、わたし達はよくベルちゃんと待ち合わせて話をした小さな丘にいた。わたしとベルちゃんは一緒に太陽を見るのが好きだった。わたしは朝日が、ベルちゃんは夕日が好みで、そのたった数分間を二人で黙って見つめる。そうしている間にたくさんのインスピレーションを受け取って、お互いの創作に役立てるのだ。そんな風に一緒に居られる友達はベルちゃんだけだと思う。わたしはそれがとても誇らしかった。オレンジ色の太陽はどうしてこんなにパワフルなんだろう。熱と一緒に様々な情報がやってくる。
 
 その丘に今、わたしはタロと手を繋いで立っている。街の向こうに見えているのは夕焼けだった。周りは少し肌寒く、つないでいる手の温度が強調される。タロの小さな手からポッポッと元気な熱が伝わってくる。
 しばらく見つめていると、その夕焼けの空の右端にぽっかりとドアのような穴があく。そのドアをくぐったタロは天地が逆さまになって橋を渡った。黄色い頑丈そうな橋を小走りに渡っているタロには目的地が分かっているらしい。空の向こうの世界は明るくひらけていて、その景色はお芝居の舞台の裏に広がる倉庫に似ている。がらんとした空間に殺風景な白い光。眩しすぎる光の中を、タロが元気に駆けていく。そういえば、わたしはまだ彼の声を一度も聞いていない。子供の声を想像しながらわたしはその光景を引き続き見ていた。タロが進んだ先に、ベルちゃんが空中にあぐらをかいて座っている。ここには重力がないのかな。ベルちゃんも時々逆さまになりながら、ふわふわと浮かんでぼーっとしている。父親を見つけたタロはさらに早足になって少し笑った。
 
 タロはまたベルちゃんの手を取り橋を進んでいく。いつのまにかベルちゃんは腕にもう一人赤ちゃんを抱いて、急ぎ足であの丘を通り過ぎた。景色はいつの間にかあの丘に戻っていたけど、わたしが今立っているこの丘とはまた別の場所のようだ。わたしはその様子をこちらの丘に座り見ていたけれど、二つの丘の景色はフイルムがかさなった映像のように、交わることはなかった。わたしの世界に並行してベルちゃんとタロの世界があって、手を伸ばしても触れられない。わたしは急に不安になって、体に触って自分の立体感を確かめた。まるで映画の中に入ったみたいだ。それぞれの画面で、それぞれの世界が映し出されている。フイルムはだんだんと数を増やしていった。わたしが存在するフイルムは複数あって、ベルちゃんも同じだった。たくさんの混ざらない並行な世界が何枚も映し出される。タロはときどき、そのフイルムをジャンプして別のフイルムへ移動する。わたしが触れることができなかった別のフイルムに易々と飛び移り、その通り道には橋が架けられた。タロの通った道を追いかけると、確かに触れることができる本物の橋があった。プラスチックのおもちゃのような素材で、渡るのは少し怖い感じがする。タロはその橋を楽しそうに行ったり来たりしていた。こうやってベルちゃんとタロは時空のトンネルを超え、カフェで話をしているわたしたちの元に迷い込んだのかもしれない。
 
 遠くでお皿が割れる音がしてわたしは息を飲み大きく目を開いた。目の前にはトキが座ってコーヒーに添えられたチョコレートをかじっている。わたしは無意識にもう一度ドアの外を見た。先ほどの残像のように親子の姿が見えた気がしたけれど、実際には遠くの大通りで車と自転車がすれ違っただけだった。トキは満足そうにこちらを見つめてこう言った。
 
 「リリって本当に想像力が豊かだ。僕はたった一枚の写真を渡しただけだったのに、こんな風に映像を作り上げてしまうんだから。」
 
 これがわたしのイメージなのか、実際の風景なのかいまだに確信が持てない。だけどわたしはどこか知らない場所でこんな風に世界が作られていると信じたい。目の前にトキがいるこの光景だって、よく考えたら不思議なんだもの。想像と「実際にそうであること」はどう違うのだろう。その境目がない場所でわたしはぼんやり考える。その「想像」とはどこからくるのだろう。全くゼロの何もない場所から人間が生み出すものなのか、それともいつかどこかで存在している記憶を呼び起こしているのか。見たことがないものは想像できないような気もしてくる。わたしはどっぷりと重たい沼の中へ沈んでいく。
 
ね こうやって、あっちこっちの人生をゆく
リリという名前で わたしはたくさんの人に 出会った
いくつものリリが 
時間を超えていた
その様子をこうやって ね
一緒に読んでいる
わたしの隣にあなたが座って こうやって
リリの人生を 世界を 重なるフィルムを
見つめる気持ちが
本物だったらいいね

#創作大賞2023

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