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第11章 偽物の世界✴︎物語 『トキのフィルム』

11.

 金木犀の香りが風に乗ってくる季節、わたしは相変わらずトキと一緒に散歩をしたり本を読んだりして暮らしていた。執筆中の本はどんどんページを増やし、その中にはいくつかの詩が混ざっていた。わたしとトキはよくそれを朗読し、ギターの音に乗せて歌ったりした。わたしが知っている少ないコードを使って適当に歌を歌いそれを録音した。わたしはよくトキの美しさを褒めた。キラキラした髪の毛が目にかかって、わたしが小さい時に恋した漫画の中の王子様にそっくり。その声を聞けたことが、手に触れたことが、目を合わせたことが嬉しい。
 「いつかこうやって、リリと話しをして、リリに触って、同じ重力を感じてみたいって思っていたんだ。そうして気がついたら、こうして一緒に生活をしていた。楽しかったね。」
 唐突にトキが言ったのでわたしの心臓はドキッとする。 
 「僕はまた旅に出て、たくさんの写真を撮って、リリを驚かせるよ。」
 わたしはしばらく黙って、何も言えないまま冷たくなった足首を撫でていた。
 
 「この紅茶の湯気、みて。」
 わたしとトキはぼんやり湯気を見つめながらさっき作った歌を口ずさんだ。最後のフレーズはなるべくゆっくり歌う。最後の一音を、息が続くかぎり伸ばす。
 
 紅茶は冷めて、わたしは一人で、目を閉じ膝を抱いたまま床に倒れこむ。耳にはまだジーンとトキの声が響いて夕日で照らされたベランダの緑たちが笑っているのが見える。わたしはこの季節が好きだった。
 
 トキがいなくなり、代わりにわたしは少し歌うのがうまくなった。
 
この他には、
 
 トキが眠っていた布団で眠ることが多くなった。
 
 自分自身を抱きしめる癖がついた。
 
 夢の中で彼を探した。
 
 現す言葉に納得できることが増えた。
 
 嫌いだったピーナツが好きになった。
 
 ギターよりもピアノを聴くようになった。
 
 お腹が空いた。

 
 ベルちゃんに電話をすると、相変わらずボソボソした声でわたしを笑わせてくれた。彼はなぜかトキについて質問したりせずただわたしの話を聞いてくれた。わたしたちの間にある長い空白の時間も、全く感じない。疑問はたくさんあったのだろうけど、さすがはわたしのベルちゃんだ。最終的に、わたしはただわんわんと泣いていて、ベルちゃんはそれを電話の向こう側で聞いていた。まだここにいると思えることが、また会えると思っていることが辛いんだ。人間なんて嫌だ。この気持ちはなんなんだ。わたしは支離滅裂に思うがままに言葉を発していた。
 
 そんなことをベルちゃんに話す。わからないだろうなと思いながら、声を発する。彼は小さく相槌を打ちながら聞いている。ベルちゃんがいなくなってしまった時だって、トキはわたしといてくれたんだよ。そしてそんなわたしを「人間らしくて好きだよ」って言ったの。ボイスレコーダーにはトキの声が残っていたし、いつかのフィルムを現像したらトキが写っている写真が一枚だけあった。その写真は色彩を調整したように鮮やかだった。突然現れてあっけなく消えてしまった天使のトキ。わたしのトキ。よくトキの夢を見た。トキに追いつこうとわたしは必死に走っていた。息が切れても、体がバラバラになっても、見失いたくなかった。呼吸と心臓の音が大音量で鳴っている。わたしは赤ちゃんみたいに泣いて、また息ができなくなって、胸を手でつかんだ。心を触っていた。涙だけはいつまでもボロボロ流れている。思い出でヴィジョンに潜ってしまう。そこにはこれといって境目がない。もう一度やり直す。君がいない世界で一人迷子になる。置いてきたものが後ろで泣いている。振り返ってもその姿は見えず、戻ることも進むこともできないけど、びくびくしながら足を踏み出す。
 
 ベランダには洗濯物。植物には日が当たっている。机と床には本が積み上げられていて、こんなに幸せなことは他にない。静かで明るい。レースから透ける光は全てを芸術的にして、ずらしたピントが強い緑にあっていた。都会はもう人で溢れていないから、早く帰る電車のモチーフはもう使えない。昼間の小田急線はワクワクした昼寝を連想させて、君に会えるような気がしちゃうんだよ。改行の重要さは言うまでもなくて、その隙間にみんなの可能性が詰まっている。明るさを装ったもの特有の安心感は、偽物でも別にいいやと思わせてくれる。

#創作大賞2023

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