アラフォー、のびしろしかないわ

三十六歳。アラフォーである。
年齢の近い友だちと、もうアラサーだから、とか、アラサーになって体力落ちたわ、とか自虐混じりにキャッキャとしているうちに、あっという間にアラフォーである。
親戚のちびっこには、こないだまで赤ちゃんだったのに、もう小学生なんだね、子どもの成長は早いね、なんて話をするけれど、そんなことはなかった。子どもに限ったことではなく、大人だって早かったのだ。

こないだ、ゆるキャン△の劇場版を観た。
(ここからちょっとだけ映画内容に触れます)
テレビアニメ本編では、キャンプが大好きな女子高校生だったキャラクターたちが、時を経てアラサーの年齢になっていた。
それぞれの場所で、それぞれの暮らしを営む日々のなか、あることをきっかけに、当時のキャンプ仲間で再び集まることになる。
高校生のときのようにキャンプ場で焚き火を囲むシーンには、ぐっと来るものがあった。
主人公の女の子が「大人になったらなんでも出来ると思っていたけれど、大人になっても出来ないこともあるんだね」といったことをつぶやくシーンがあった。
ひとりスクリーンと向き合い、レイトショーなのにバケツのようなサイズのポップコーンを抱えてもさもさ食べながら、ほんとそうだよなぁ、と、しょっぱく思った。
わたしはアラフォーになった。
それなのに、出来ないことばかりだ。
車で遠出をしたり、プレゼンをしたり、レジを打ったり、部下を率いたり、外国語を話したり、編み物をしたり、煩雑な手続きをこなしたり、下地からきれいにメイクをしたり、気の利いた手土産を持参したり。
考えれば考えるほど出来ないことばかりだ。
普段、それが気持ちの重荷になっていないのは、そんなことを考えること自体がほとんど無いからなのかもしれない。
考え過ぎない。誰かとくらべない。
目の前のひとつひとつに、手を動かす。
もしかしたら、それが年齢を重ねたわたしの出来るようになったことなのかもしれない。

最近、Creepy Nutsの「のびしろ」がしみる。
「響く」ではなく「しみる」なのだ。
くたびれた夜にざぶんと飛び込む湯船のあたたかさと、炭酸バブの匂いみたいに。
そのあと冷蔵庫から出して飲んだ缶のスーパードライみたいに。しみる。しみわたる。

サボり方とか 甘え方とか
逃げ方とか 言い訳のし方とか
やっと覚えて来た
身につけて来た 柔らかい頭

軽やかなトラックに乗せてR-指定が歌う。
このしみしみ感、十代や二十代のころに聴いても味わえなかっただろうな。
これから四十代、五十代、六十代。
どんなことが愉しめるようになるんだろう。
どんなことが味わえるようになるんだろう。
若者という季節が終わることへのさびしさもあるけれど、それとおなじぐらい新しい季節へのわくわくするような憧れもある。
夏が終わって、もうすぐ秋がはじまる。
そんな曖昧な時期のどまんなかで、わたしはおおきく、おおきく、伸びをしている。

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