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23, 24世紀の人を思い,「いま」を善く生きる

批評家・哲学者の東浩紀は『テーマパーク化する地球』「批評家が書く哲学書」で

「ぼくは現在に関心を失い、期待しなくなったのである。
なぜ期待しなくなったのか。
それは、この数年(震災後)、
出版界にとどまらず社会全体の変化を見るなかで、
そもそも「現在」になんの意味があるのか、
よくわからなくなってきた
からである」。
(東浩紀『テーマパーク化する地球』ゲンロン, 2019, p. 175,強調は筆者)

と言う.

2010年代,「いま」が大事と言う人たちが増えた.

「過去」を生きるな
「いま」を生きろ
その積み重ねが「未来」になる

と人生経験の乏しく思考停止した学生でさえ,
自己啓発書に感化されてこう言う.

はたして本当にそうだろうか.

不毛な「いま」に付き合って生きれば,
不毛な「未来」しか訪れず,
不毛な人生になってしまわないだろうか.

すばらしい未来が予測できるなら,
「いま」を積み重ね,
「未来」をつくるのはよいのかもしれない.

しかし,
どうもそうではなさそうだ.

では,
わたしたちはどう生きればよいのか

「いま」を善く生きるために,
「いま」から自分が死ぬまでの「未来」に執着をせず,
自分の死後の100年後から200年程度に価値を見いだし,
生きられないだろうか.

具体的にいうと,
2000年生まれだとしたら,
「いま」から自分が死ぬまでの「未来」(=自分の人生)に囚われず,
2200年~2400年に思いを馳せて生きるということ.

2100年~2300年ではないことがポイントだ.
なぜなら,
自分の子供や孫の幸せを考えてしまうからだ.

そうではなく,自分とはほとんど無関係のひとたちを
いま」,思いながら生きるという提案だ.

大事なのは生きている「いま」ではなく,自分の死後かもしれない.

そのように生きるひとが増えれば,
自ずと,「いま」も善くなると思う.

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