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50歳の青春 20.8.22

去年の10月15日、50歳であることをカミングアウトしてから、もう10か月が経つ。
読者にとっては、僕の年齢などどうでもいいことだろうが、顔も素性もわからないネットであるがゆえ、せっかくなので、まあちょっと、ということで。

と言っても、特別に若ぶっているわけではなく

以前からこんな感じではあるが。


僕の文章には、「50歳らしさ」が欠落している。
自分のことを「私」とも呼ばないし
「もうおじさんなので」などとも言わない。(言う場合は、大抵ネタのつもり)
話題に深みもなければ、他人への気遣いなどまるで見られない。

常に攻撃的であり、売られた喧嘩は当然のように買う。
買うだけではなく「買い続ける」。(※粘着)

もう少し歳を取ったら「老害」と言われそうな性格であろうか。

ただ、年を取って急にこうなったわけではなく、昔からこうだったのが、ずっと変わっていないだけの話でもある。


なぜ変わらないのか。
もちろん、独身であり続けているのも、大きな要因だろう。
万が一子供でもいたら、さすがに今のような状態で居続けるのは難しい。
逆に言えば、「もう親なんだから」という、説教が通用しないということでもあるわけだが。


もう一つは、創作活動をしていることも挙げられる。

ご承知のように、創作物の中では、老若男女問わず何者でも登場させられる。さらには人間以外でも。
もちろんキャラを創っているのは作者自身であり、当然、脳内でそれぞれを“演じる”(人生の追体験)こととなる。

飛田流本人は、ただのブスで孤独な50歳であっても、田上勇一のように絶世の美男にもなれるし(覚えているだろうか……)、安岡大吾のようにゴリゴリにゲイ受けしそうなキャラにもなれる。
(※ともに拙作のキャラ)

そう言えば、僕の書く小説で、作者の実年齢と同世代のメインキャラはあまり出てこない。
歳を取っていて40代ぐらいか。

これは、読者が30代前後だと想定して、それに釣り合う程度の「オヤジ(パパ)キャラ」に設定しているのと、書いた当時僕自身が30代だったため。

おそらく、ここらへんで僕の精神的成長も止まっているのかもしれない。良くも悪くも。


50歳がどうあるべきなのか、正直なところまだわかっていない。
人生の指針として、毎日小池一夫先生のツイートをリツイートさせていただいているが、さすがに70代(のち80代)は、ちょっとそこに至るまでは遠い。

となれば、まだ青春でも構わないのではないか。

せっかく、子無し独身という、一部の、しかし多くの人から理由もなく憐れまれそうな生き方をしているのだ。なら、できる限り好きにいきたい(行・生・逝)。




本音を言えば、「温厚なパパキャラ」に興味が無いわけではないが(実際ブログを始めたころは、そんなキャラを装っていた)、自分がなるのはごめんだ。
気に入らなければ「気に入らない」と口にする(こともある)し、他人様の作品でも無理にほめたりはしない。

落ち着きも、温厚さも0%な現在を表すもっとも適切な言葉は「年甲斐もなく」だろうが(=『●●歳にもなって』)、

知ったことではない。








飛田流、50歳でもこんな人生ですが何か。





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聴き飽きたかもしれないが。

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「非モテ」を主張している方をたまに見かけるが、
顔・体型・性格・生活安定、すべてに問題があって、
ずーーーっと独り身を通している人間こそがそれを名乗れるのだ。

そんな

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