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脱秋元康論

アイドルのあり方は多種多様であり、今やサブカルとは言い難いメインストリームとしての芸能である。そこで、アイドルとは何なのかを追求していくことは、それが求められる現在の社会を考えることになるのではないか?との考えのもと、アイドルをあらゆる側面から考察していく。

秋元康の言葉は心に響かない。
そう考えているのはおそらく私だけではないと思う。それはなぜなのだろうか?

秋元康の書く歌詞

AKB48をはじめとするAKBGおよび坂道(乃木坂46,欅坂46)の総指揮は、みなさんおなじみの秋元康総督である。私たちの世代(社会人5年目ごろ(?)〜現中学生)であれば、一度は彼に財産を奪われたことだと思う。アイドルをメインストリームへと再び昇格させたのも彼のプロデュースなしにはあり得なかっただろう。そして、何を隠そう私も一度彼のプロデュースするアイドルに魅せられたその一人であった。もちろん、AKB48全盛期には当然のように金を落としたし、乃木坂46「君の名は希望」から欅坂46「世界には愛しかない」まではかなり根強くオタ出会った。認める。それも、かなりコアで、乃木坂OL兼任新内眞衣イチオシというわかる奴にはわかるやばいやつである。

それはさておき、秋元康のクリエイティビティの根底は極めて明快である。「金儲け」だ。その目標に忠実な彼の歌詞はヲタク贔屓で、さえない「僕」がキラキラした「君」に惚れてしまって、何にも言えない曲ばかりだ。これが第一の特徴だ。秋元の想像の範疇からはみ出すことのない非モテ男の物語は特に心を打つことはないが、ヲタクに共感をもたらす効果がある。

そして、二つ目に彼の歌詞は根っからの「アイドル」曲であるということだ。当たり前なように感じるかもしれないが、秋元の詩ほど、アイドルを前提とした歌詞を書くものはいない。

"会いたかった 会いたかった
会いたかった Yes!
会いたかった 会いたかった
会いたかった Yes! 君に"
ーAKB48「会いたかった」

AKB48の名曲「会いたかった」はその典型で、20年台前半までのモーニング娘。アイドル文化が黄金期以降遠ざかったころ、馴染みのない新鮮なものであった「会いに行けるアイドル」というAKBのコンセプトをわかりやすく示した曲だ。先程から指摘している通り、私はここで「秋元康の歌詞になんて誰が感動するんだ?デタラメでうすっぺらじゃないか」と主張したいわけだが、おそらくこう反論してくる人がいるだろう。乃木坂46「サヨナラの意味」や「きっかけ」は感動するじゃないか!!想定済みの指摘であるが、これらの前提には前者であれば橋本奈々未の卒業、後者であれば約1年4ヶ月ぶりの2ndアルバム『それぞれの椅子』の発売が深川麻衣の卒業というグループにとって大きな転換期とともにやってきたというアイドルとしての背景がある。秋元康の作詞においてはこうしたアイドル前提という枠組みは切り離せない。もちろん、これらの曲は非常に良い作品であったとは思う。

"サヨナラに強くなれ
この出会いに意味がある
悲しみの先に続く 僕たちの未来
始まりはいつだって そう何かが終わること
もう一度君を抱きしめて
守りたかった 愛に変わるもの"
ー乃木坂46「サヨナラの意味」

3つ目は、最大の特徴と言っていただろう。「あいまいさ」である。彼の書く歌詞は非常にあいまいで、観念的なのだ。それが最も"良く"現れたのは、美空ひばり『川の流れのように』だ。

"ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ"
ー美空ひばり「川の流れのように」

人生を歌った名曲である。秋元が申し出て自ら美空ひばりに提供したというこの曲には、秋元康の「あいまいさ」が良い意味で現れている。ただ、この点は非常に難しく、彼の書く歌詞は多くの場合スノッブに感じられたりする。すごく観念的な考えを実体験に落とし込むこともなく直接表現した歌詞は、聞くに難しいが、書く側としては意外と簡単なのではないかと思う。文字を綴る上で最も難しいのは、実は、観念的でぼんやりしたことを記述するというところではない。人は頭の中で考える時何か明確なビジョンがあるというよりはとてもぼんやりしていて、あいまいなまま考える。しかし、それを他人にもわかる形で説明するのは厄介で難しい。彼の歌詞には、それがまるでないのである。秋元が批判される際によく言われる「実感が持てない」というのはまさにこれがゆえのことだ。具体性に欠いている。知識は膨大な量持っているが、生活感のない教授の授業がつまらないのと同様である。また意外と意味を重視しない姿勢も彼自身が認めている。秋元は自分の書く「詩」を「詞」と認識しており、発声を重視するため、複雑さを回避する意味でも具体的になりづらいのかもしれない。

そして、もう一つ特徴をあげるとすれば彼が音楽家ではないという事実だ。秋元は以前「自分は音楽家ではないから、楽曲全体についてはつんくに負けている」と断言している。彼はあくまで総合プロデューサーなのだ。歌詞は必ずしも音楽と調和しないし、これは本人が音楽家ではない以上仕方がない。それはすなわち一つめの特徴にあげた通り「金儲け」に直結して当然の条件といえる。

ジェンダーからみる歌詞

秋元の作詞を巡って世界に波紋が広がっていることをご存知時だろうか?K-POP男性アイドルBTS(防弾少年団)はアメリカの音楽チャートBillboardにて2作連続1位を獲得するほどの人気を博している。その日本での活動において、秋元康作詞の楽曲が発表される予定が立っていた。しかし、先日そのコラボレーションは見送りとなった。理由は「性を商品化している」との見解である。前述の通り彼が書く歌詞のほとんどは、モテない僕が学校でひときわ輝く「君」に恋をして、何も言い出せずにうずうずするという典型的なブ男をモデルとしている。一方で、女性を主人公とする場合には、あくまで「男からみた女」を描いていて、ひどく偏った価値観が垣間見られる。これは、つんくの書く歌詞が「乙女が書いているとしか思えない」とよく言われることとは真逆で、ある意味では女性へのステレオタイプの押し付けである。

"難しいことは何も考えない
頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし
ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ
女の子は可愛くなきゃね
学生時代はおバカでいい
テストの点以上瞳の大きさが気になる
どんなに勉強できても
愛されなきゃ意味がない
スカートをひらひらとさせてグリーのように
世の中のジョーシキ
何も知らなくてもメイク上手ならいい
ニュースなんか興味ないし
たいていのこと誰かに助けてもらえばいい
女の子は恋が仕事よ
ママになるまで子供でいい
それよりも大事なことは
そう スベスベのお肌を保つことでしょう?
人は見た目が肝心 だってだって
内面は見えない 可愛いは正義よ"
ーHKT48「アインシュタインよりディアナ・アグロン」

この歌詞は殊に女性への価値観のひどい押し付けが見える。サイゾーの配信するネットニュース・リテラは「HKT新曲の歌詞が女性蔑視だと大炎上…「女の子はバカでいい」と書く秋元康のグロテスクな思想は昔から」と題し、痛烈な批判を掲載(2016.04.03)。これには賛同の意見が多数寄せられた。そもそも、歌詞に目を向けると、本当にひどい。例えば、「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」…なんだそれは?**そんなのお前(秋元康)がそういう女が好きなだけじゃないか!!テメエの好みなど聞いてねえ!そしてそれを女性目線の歌詞として書くな! **女性が書いたというならまだわかる。しかし、男性である秋元が書いたなら、それはもう女性差別と言われても仕方ないではないか。

この曲にはあまりにも多くの批判が集まっているから、ここであえて私が何か加える必要はないと思っている。ただ一つ言っておくとすれば、この歌の「ディアナ・アグロン」というのは日本でも大人気であったアメリカドラマgleeの美人チアリーダーを演じる女優の名前。これを聞くと、ディアナ・アグロンがピンと来ていなかった人も、「ああ!」となるだろう。gleeはどんなドラマだっただろうか?女性差別、同性愛者差別、人種差別、障害者差別に対して歌で挑んでいった素晴らしい話だったではないか。それを考えると、明らかにこの曲はgleeという作品に対しての愚弄としか思えない。言っていることが真逆である。昨年の夏に公開された映画「ワンダーウーマン」の日本語版楽曲に乃木坂46が抜擢された際にも同じようなことが起こった。その曲のタイトルは、「女は一人じゃ眠れない」。原作は婦人参政権運動に影響を受け、主人公のモデルは避妊の権利運動の娘であるという明らかにフェミニズムと切っても切れない関係のあるこの強い女性像とは真逆と言えるひどいものである。映画評論家・町山智浩も痛烈に批判している。

秋元康の歌詞の最大の問題点は、「女性差別」とも言える個人的な価値観の押し付けにある。これは、上記のようなことを考慮に入れると反論の余地がないだろう。そして、彼は「女はこうであれ」という男の側の上から目線なステレオタイプを女(アイドル)に歌わせているのである。この気色の悪さと言ったらない。ただし、アイドルたちに非はない。AKBGや坂道のファンのみなさんにとってはこの記事は見るに耐えないかもしれないが、忘れないでほしい。彼女たちはどれだけ頑張ろうと秋元康による圧倒的な搾取のもとで支配されていて、ときにひどい偏見を歌わされる。

"君は君らしく生きて行く自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めから そうあきらめてしまったら
僕らは何のために生まれたのか?
夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
Yesでいいのか? サイレントマジョリティー"
ー欅坂46「サイレントマジョリティー」

この曲は近年の秋元の歌詞の中で傑作と言えるほど社会の風刺と、若者への強く鋭いメッセージを含んでいる。現に私もとても好きな曲である。ただし、一方で皮肉なことでもある。

**支配されているのは、いったい誰だろう?支配されているのは、いったい誰だろう? **

彼の歌詞が響かないのは、そこに「実感」が、「リアリティー」が、少しもないからではないだろうか。

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