シェア
石巻Days(石巻日日新聞社公式)
2020年10月13日 16:04
彫刻家・小室達(1899-1953年)は、昭和初期に石巻をたびたび訪れ、多くの人と親交を深めた。日記にはその時々の感想や思い出などがつづられており、当時の石巻の様子を伝える記録としても貴重だ。第2部は達とゆかりの人たちに焦点を当てていく。(全20回) 「石巻渡辺氏からの書面があった。人間小室は、石巻に好印象を与えたらしい」。私の目の前にある昭和6年の小室達の日記に、こう記されています。
2020年10月13日 16:11
私の目の前に達の昭和4年の日記があります。巻末の人名録には初代忠犬ハチ公の制作者安藤照や村田勝四郎などの美術仲間の住所が並んでいます。その中に「石巻 渡忠 石巻町中町内海橋通り」という記載がありました。6年7月の石巻訪問以前のことを再度調べた時、巻末で見つけました。 最初に調べた時は、主な出来事と作品制作ばかりに目がいっていたため、石巻関連で見逃している部分がありました。日記に初めて石巻のこ
2020年10月15日 16:07
私の手元に「露江句集 海の門」(昭和7年10月10日発行)があります。石巻と達について調べる上で重要な資料と考え、入手しました。 奥付には著作者佐藤露江(ろこう)、印刷者木村得太郎、発行者菅野純一郎、発行所郷土社書房(石巻町坂下通)と書かれています。著作者の露江は石巻日日新聞社の社員でした。印刷者の得太郎は、第1話で渡辺忠右ヱ門から紹介された人物です。 達の日記に初めて名前が出てくるのは
2020年10月19日 16:26
私の目の前に「石母田正輔」の写真があります。達が残した写真帳に貼ってあるもので、写真の下には「石巻市長 石母田殿」と書かれています。撮影場所は、正輔宅だと思われますが、どのようなつながりで、石巻市長と親しくなったのでしょうか。 達の日記に正輔が登場するのは町長だった昭和6年です。7月の石巻訪問の2日目の夕方に町長宅の招待会に出席した時です。日記によると、やはりトレードマークの長ひげが印象的だ
2020年10月21日 16:35
私の手元に昭和初期の「石巻もなか」の箱があります。箱の表書きには「登録商標 石巻土産親玉」「於各博覧会共進会 名誉金銀銅碑 数十個受領」と書かれていています。発売していたのは松泉堂です。本店は陸前石巻仲町にあり、第1・2支店もあったようです。 昭和6年7月5日、石巻訪問の1日目の夜、町の歌人連の招待会に参列した帰り道、達は、この店へ寄っています。12時近くに宿泊先の渡辺邸に戻っているので、夜
2020年10月22日 15:35
私の目の前に「金華山灯台」の写真があります。撮影者は達で、前に並んでいるのは同行者です。 昭和6年7月6日に親友の佐藤忠太郎と石巻を訪問した達は、渡辺邸に泊まりました。2日目の朝は7時に起床し、町へ入浴に行きました。その後、木村得太郎の出迎えを受け、10時の汽船で金華山に向かいました。達が撮影した金華山灯台(しばたの郷土館所蔵) 日記には「波静かなれども海上はトテモ寒く我慢出来ず船長
2020年10月26日 16:02
私の目の前に昭和7年6月3日の石巻日日新聞「高橋翁銅像除幕式」という見出しの切り抜きがあります。髙橋三郎は鹿又村の素封家で、女子教育の重要性を考えた人物です。大正14年に鹿又小学校の一部を使用し開校した鹿又実科高等女学校(後の河南高校、現石巻北高校)の建設費を寄附しました。 記事には「桃生郡鹿又村教育功労者高橋三郎翁の銅像は、その後引き続き小室達氏が高橋翁の人格に敬虔な感激の念を打込んで熱心