適切に設計された目標は魔法と見分けがつかない 〜前編〜
はじめに
こんにちは!
Contrea株式会社 執行役員CMO(Chief Medical Officer)の吉川響です!
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Contreaは急性期医療機関の外来DXに特化して「患者さん中心の医療」と「医師の働き方改革」の双方を実現するためのサービスを開発・提供・運営しているスタートアップです!
僕はそのContreaで執行役員 CMOという役割をやらせてもらってます。
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(最近は電子同意書なるサービスをリリースしました…!!)
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僕は主にヘルスケアビジネスにおけるドメインエキスパート領域と、Biz領域(Mark・Sales・CS)を管掌しています。
今日はどの組織も悩むであろう目標設計について、自分なりの答えを見出したので備忘録がわりに書いてます。
これが絶対解ではないというのは重々承知ですが、誰かの役に立てばいいなあと思います。
はじめに断っておきますが、本稿はOKRやMBOなど目標設定の方法論について論ずるものではなく「目標とは何か」という根本についての考察になります。
昔話
いきなりですが、少し昔話をします。
弊社Contreaは、その昔、それはそれは目標設定が下手クソでした。
その当時は四半期ごとにOKRで運用していたのですが、今振り返ってもなかなかの惨劇が毎度の如く繰り広げられていました。
メンバー全員で合意の元、期初に定められた全社OKRとチームOKRですが、1ヶ月、いや2週間もすると魅力的でモチベイティブだったはずのObjectiveとKey Resultsはその存在感を失い、期中にはほとんど慮られることはなく、3ヶ月が経ち期末に行う振り返り会では未達・未達・未達の嵐。
メンバーの胸中には目標に対する諦観と軽視がはびこり、この四半期で会社がどう前進したのかわからない、いや前進したのかさえもわからない。
去年1年間(2022年)の社内はそんな状況でした。
↑ みんなでちゃんと本読んだのに…
もちろん見た目上、事業は成長し、会社はかつてないスピードで大きくなっていった1年間ではあったのですが、100%、あるべきドライブをさせることができなかったというのが社内の共通理解であると言えるでしょう。
どうしてこうなった?
みんなでOKRについての理解を深め、設定し、がんばるぞえいえいおー!と盛り上がったのに、3ヶ月後には未達の山とはびこる諦観、そしてその繰り返し。
なぜこんな状況が生じてしまったのか。
上記の問いに対して、チームの目標設計と運用に関わったことがある方なら、いくつかの回答を思いつくかもしれません。
例えば…
目標のモニタリングが甘かったのではないか
OKRへの理解が足りかなったのではないか
MBO(あるいは他の目標設定)を用いるべきだったのではないか
目標設定が稚拙だったのではないか
これらの答えはすべて紛れもない正解だと思います。
しかしその一方で、これらを解決したところで昨年の僕たちの状況は好転しなかったと思います。
なぜなら、これらの根本にはとある”原因”が隠れていて、その”原因”こそが2022年当時の、組織が出来上がって間もないContreaを苦しめた元凶であるからです。
ではその原因・元凶とはなんだったのでしょうか?
本稿のキモになります。
目標設定とは魔法である
2022年、Contreaが目標設定とモニタリング、そしてその達成に至るまで、ミスをし続けた本当の原因とは何か?
その大元となる答えはおそらく非常にシンプルで
「目標設定がもたらすメリットとデメリットに対する不理解」
すなわち
<なぜ目標を設定するのか、設定するとどうなるのか、目標は組織に何をもたらし何を奪うのか、ということを理解できていなかったこと>
だと考えています。
そこを理解しないままMBOやOKRなどの方法論や運用方法といったHowの部分を論じてもうまくいきません(うまくいかなかったです)
ではこの問いに対する答えはなんでしょうか?
突き詰めるところ目標とはなんなのでしょうか?
目標設定に対してContrea全体で戸惑い悩みながら、右往左往した結果、数多の忘れ去られたObjective、未達の屍となったKRを踏み越えて、最終的に僕は一つの知見を得ました。
それこそがこのnoteのタイトル通り「目標とは魔法である」です。
すなわち「目標は組織に対してまるで魔法のような効用を発揮できること」を理解したことがContreaの目標設定における大きなブレイクスルーだったのではと振り返ります。
なぜ「目標設定」が魔法たりえるのか?
目標が魔法であると僕が断言する理由は、下記3つの法則を見出したからです。
適切に設定されモニタリングされる目標下において、人はその数値を達成しようと動く
適切に設定されモニタリングされる目標下において、人は目標外の数値を軽視する
②は視野が広く全社的な視点を持つ人物においても起こる事象で、しばしば物事の本質を見誤らせる
「① 適切に設定されモニタリングされる目標下において、人はその数値を達成しようと動く」は言わずもがなですが
目標数値が明確化され、定期的に上長によってリマインドされ、評価にも反映されるような環境では組織の構成員はみな、目標を達成すべく動きます。
見逃されがちなのが②で、興味深いのが③です。
「 ②適切に設定されモニタリングされる目標下において、人は目標外の数値を軽視する」については、経験したことがある方も多いのではないでしょうか。
例えば営業組織において
・目標数値に面談設定数が設定されると、面談の質が下がる
・目標数値に契約受注数が設定されると、単価が下がる
といったことは頻発かと思います。(THE MODELでも指摘されてますね)
目標を達成しようとする過程で、目標数値とトレードオフの関係にある数値は意識的にも無意識的にもフォーカスから外れ、その数値に対するパフォーマンスが低くなるという事象は、組織の人員のスキルの多寡によらず、抗いがたい法則的なものであると経験的に理解しました。
③「 ②は視野が広く全社的な視点を持つ人物においても起こる事象で、しばしば物事の本質を見誤らせる」については②の派生形なのですが、適切な目標かつモチベイティブなものであればあるほど、それは人心に作用します。
例え役職者といえどもこの魔力から逃れることはできず、時として本質を見失うことがあるという事例を見てきました。
①〜③で述べたように目標というものは適切に管理されることで、多くの人の行動を制御し、同じベクトルに向かわせることが可能です。
上手く扱えばそれは全社の成長に対する強いドライブとなり、逆に扱い方を間違うとブレーキになってしまいます。
そして②・③のように時には人の心すら惑わせます。
まるで魔法のようではないでしょうか。
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない、という言説をもじって「適切に設計された目標は、魔法と見分けがつかない」と私は考えます。
目標とは人心に、集団に、組織にその言霊だけで特定のベクトルを生じさせる魔法のようでありながら、実態としては魔法でない。
まさにアーサー・C・クラークが提唱した原意通りではないでしょうか。
あるいは、そのブラックボックス的要素を強調するのであれば生成AIにおけるプロンプトと同様だという解釈をしても面白いかもしれませんね。
(= 適切に設計された目標は逆輸入的にプロンプトである、というのが初稿のタイトルでした)
さて、僕が目標を魔法だと考える理由は上述の通りですが、「目標は魔法になりうる」をスタート地点とすると、2つの論点が生まれます。
・「じゃあ目標を魔法に昇華させるにはどうすればいいの?」
・「魔法になった目標を上手く使うにはどうすればいいの?」
です。
ここについても僕は結論を得ています。
近日公開予定の「適切に設計された目標は魔法と見分けがつかない 〜後編〜」で述べます。
つづく。
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