僕と文章とnote
noteをはじめて1年が経った今、僕と文章とnoteの関係を改めて考えたい。
僕が文章を書くことの喜びに目覚めたのは小学3年生の頃だと思う。クラスで1人ひとつ物語を書いたものを全員分集めて一冊にするという、文集一大プロジェクトがあった。
今でも実家にはその一冊が大切に保管されている。虫が好きだった僕は師弟関係の持ったカマキリ2匹が人間の家に忍び込んでおやつを盗むという冒険ファンタジーを書き上げた。作品についての評価を誰かにされた覚えはないし、母親は僕の物語よりも、友達のはちゃめちゃな物語に太鼓判を押していた。でも僕は人からの評価がどうでもいいくらい自分の物語が好きだった。そしてそんな自分を誇りに思っていた。
それ以来、文章を書くことが好きになった。とりわけ好きだったのは色紙や手紙だった。人の良いところ、好きなところを自分なりの言葉で表現するのが好きだった。恋人の記念日には手紙を書いた。私のどこが好きなの?が愚問になるくらい、好きなところを書くのが好きだった。自分にしかできない表現で。
そんな僕に訪れた転機は、20歳で経験したキューバでの1人旅だった。初めて日本を出たこの旅は全てが刺激的だった。この旅を書きたい。この旅で感じたことを書きたい。書いたものをみんなに見てもらいたい。そう強く思った僕ははてなブログでブログを始めた。
はてなブログは一部の知り合いにしか見られてなかった気がした。もっと誰かに見てもらいたいそんな風に思うようになった。
そんな僕がnoteを知ることになったのはTwitterに流れた1つの記事だった。
それがこの有名な島田彩さんのエッセイ。
これを読んで、はぁ素敵な記事だ、僕もnoteはじめてみよう、そう思った。
noteで文章を投稿している人達はみんな本当に言葉が好きなのが伝わってくる。僕にはできない素敵な表現が溢れていた。
最初にnoteに投稿したのは小説だった。それは僕が初めて書いた小説で、浪人時代に受けた忘れられない授業を短い小説にしたものだ。
それからキューバ旅のエッセイ、日常で感じたエッセイなどを書き始めた。そして去年の9月頃から日記をはじめた。自分が感じたことも、人から言われた言葉も、忘れないように保管しておこうと思った。そしてこの保管された言葉達は小説やエッセイの種、そして読み返せば自分の心を整える薬となった。
気付けば僕はnoteで自分と対話していた。
今人生楽しい?苦しい?
どうして?じゃあ、どうする?
でもそんな自分も好きでしょ?
そして文章を書く度に気付く、ああ僕はこういう人間なんだって。文章にすることで、自分が構築されていくのがわかった。noteはインプットしたものや、自分の考え、価値観をアウトプットするだけのものではない。自分と対話して、自分を見つけて、自分を構築する。それが僕にとってのnoteだった。
気付けばnoteをはじめて1年が経つ。書いた文章は日に日に増える。そしていつかこの文章たちがすごく価値のある宝になるんだとそう思う。
宝を増やすように僕はこれからもnoteを続けていきたい。
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