マガジンのカバー画像

長編小説「きみがくれた」中 後編 50~65

16
長編小説「きみがくれた」中の後編です。50~65まであります。 短い文章で区切ってありますので、少しずつ読み進めて頂けたらと思います。 引き続きお楽しみいただけたらうれしいです。
運営しているクリエイター

記事一覧

長編小説「きみがくれた」中‐50

「あどけない笑顔」  アパート跡地の端でりんごの木が満開の花を咲かせた朝、快晴の空に薄ピンク色が眩しくきらめくその下に、一年ぶりのマーヤが立っていた。  風に揺れるハチミツ色に透ける髪。木漏れ日に包まれた乳白色の淡い頬。  ゆっくりとこちらを振り返り、マーヤはほころぶように笑みをうかべた。 「やあ」  くるりと丸い大きな瞳はカラメル色に澄んで、それはいつものマーヤの笑顔だった。 「久しぶり」  変わらない人懐っこいその笑顔は、どこかあどけなさが残っている。 「

長編小説「きみがくれた」中‐51

「知らない思い出」 “ばばちゃん、このお花かわいいね” “ばばちゃん、このお花すごく小さいね” “ばばちゃん、このお花、なんていう名前?” “それかい、それはね、すみれ” “あのスミレはね、きっとばばちゃんの大好きな人が、ずっと昔にあそこに種を蒔いたんじゃないかなぁ” “だってあのスミレを見てる時のばばちゃん、すごく幸せそうだもの” “これはね、ずっと昔に、ずっと遠くの国からやってきたの” “遠くの国?” “そう” “こことは違う土と、こことは違うお水と、

長編小説「きみがくれた」中‐52

「残された記憶」  メイプル通りに風が抜け、楓の木々の葉が音を立てる。 幹に寄り添うマーヤの髪をふわりと揺らす。 「陽ー!バス来たよー!」  冴子に呼ばれた陽が亮介の手を離れ駆けて行く。  迎えのバスから降りて来たのはほとりちゃんだった。 「先生、おはようございます」 冴子は我先にバスに乗り込もうとする陽を捕まえ、おじぎをさせた。 「おはようございます、冴子さん」 「陽くん、おはようございます」 「おっはようっざいあっす!!」  陽は飛び跳ねながら大声であいさつ

長編小説「きみがくれた」中‐53

「勇気」  翌朝、いつもの月見山からの帰り道、もう一度アパートの跡地に寄ってみると、満開の薄ピンク色の花を背景にマーヤの姿が見えた。 「樫小に行こう」  霧島とマーヤが通っていた樫の森小学校は、アパートがあった樫の森のどんぐり山の向こう側にある。 “今にもアパートを呑み込みそう”だった森は木々が生い茂り、一歩中へ入ると急に空気が冷たくなる。    マーヤは山頂の方角へ体を向け、深くお辞儀をしてから先へ進んだ。 「山の上には山の主がいるんだよ」 「山の主は樫小の校庭に

長編小説「きみがくれた」中‐54

「おみやげ」  翌朝アパートがあった樫の森へ寄ってからばあちゃんの家があった椴の森へ向かって歩いていると、畑と空地ばかりが続く景色の中へにマーヤがいた。 「やあ」  今朝もここは人の姿もほとんど見えない。 「僕、ここが大好きなん‥平らに広がる緑がずっと――ずぅっと遠くまで見渡せる、この場所が――」  遮るものがなにもない空は、どこまでも高くて、大きくて―――  太陽の光が全部に行き届いていて、緑がキラキラ輝いていて――― 「この道は、霧島に会いに行く道」  マー

長編小説「きみがくれた」中‐55

「見知らぬ場所」  ばあちゃんの家があった空地の近くで、マーヤはふと足を止めた。  目の前には背の高い草が生い茂り、その手前にはすっかり古くなった看板が立っている。 「――――――‥」  その横顔は去年とは全く違っていた。 “僕ね、あの大きな家が大好きだったんだ” “古い木の乾いた匂いと、畳のイ草の香りがして” “広くて、天井が高くて、太い檜の立派な梁が架かっていて” 「ね‥―――ここ、どこ‥?」  背の高い草の群れを湿った風が吹き抜け

長編小説「きみがくれた」中‐56

「白い花束の日」  今朝もまだ暗いうちに外へ出て、お昼過ぎにマスターの店へ戻って来ると、駐車場に冴子の青い車が止まっていた。 カラララン・・・コロロロン・・・  お客さん数人と入れ違いで中へ入ると、カウンター席の端に冴子がいた。 「毎年ありがとう、とてもきれいだね」  いつの頃からかこの季節になると冴子は白い花だけで作った“ブーケ”をマスターに届けに来るようになった。  そして、その日の夜は決まってマスターはその花を手にどこかへ出かけて行く。 「やあ、お帰り」

長編小説「きみがくれた」中‐57

「消失の街」   翌朝、いつものようにまだ暗いうちに外へ出ると、地面はすっかり乾いていた。     月見山を降りてアパートがあった空地へ戻って来ると、もうほとんど花が残っていないりんごの木の下にマーヤが立っていた。  緑の葉が風に揺れ、残り少ない薄ピンク色が舞っていく。 「やぁ」  いつもと変わらないその笑顔は、会うたびに幼なく、あどけない。  ふわりとなびくハチミツ色に透ける髪。  木洩れ日を白い頬に受け、こちらを見下ろす優しい瞳。  カラメル色に透き通った瞳は、

長編小説「きみがくれた」中‐58

「雪の日」  ソファ席の下は、暖かい店内の中で丁度良く涼しい。  ガラスの外は真っ白で、目の前を覆う程の雲の欠片が舞っている。  今朝はあの日と同じ匂いがした。  白い空、白い景色、止め処なく降りてくる白、白、白――――。  “雲の欠片”が全てを覆い尽くしていく。  ガラスの向こう側へ広がる白い世界  あの日黒い後ろ姿は降り注ぐ白に霞み、たちまち見えなくなってしまった。  足跡はまるでそこに誰もいなかったかのようにあっという間に消えていった。 「この雪じゃぁもうお

長編小説「きみがくれた」中‐59

「遠い記憶」 気が付くと、目の前は真っ白だった。 目を開けているのに白しか見えない。 どこを見ても白で埋め尽くされていた。 冷たくて、寒くて、眠たかった。 震える足を動かして、もがいて、後ろを向いた。 真っ白が広がるその上に、真っ赤な点、点、点 目で追うと、その先に白く盛り上がった一部が見えていた。 動かないその真っ白の上にゆっくりと降り積もっていく白、白、白 動けなかった。 やがて冷たい温もりに包まれて、心地良い眠りに落ちかけた時。 その時、突然大声が降っ

長編小説「きみがくれた」中‐60

「光の中で」 壁の向こう側から、何度もこちらを覗く瞳が4つ。 “目を開けたよ!” “もう大丈夫だ!” その声に、濡れたように黒い瞳が僅かに緩んだ。 眩しい光が輝いていた。 久しぶりに思いきり外の空気を吸った。 暖かくて眩しくて前が良く見えなかった。 そこは一面真っ白に覆われていて、光の粒が輝いていた。 寝ころんだ両手に抱き上げられた。 この手は初めてじゃないとすぐに分かった。 太陽の光に目を細めた。 その黒い瞳はじっとこちらを覗いていた。 “きれいだな” あ

長編小説「きみがくれた」中‐61

「真っ赤な笑顔」  暗い部屋は耳を澄ましても閉じ込められたような静けさだった。  ドアの隙間を抜けて廊下へ出ると、寒さに身震いした。  いつものコーヒーの香りが漂っている。  外へ出ると足はほとんど雪で隠れた。  それでも坂道は両脇に雪が避けられ、けれど地面は所々薄い氷が張っていた。  ハルニレ通りはあちこちに雪の山ができていた。道幅は普段の半分くらいになっている。  ゆっくりと前へ足を進めながら、途中その雪の山に登ってみる。  向かいの通りを見渡し、後ろを振り返り

長編小説「きみがくれた」中‐62

「素敵な時間」  霧島が最後にいなくなってから、冴子は“精神的に不安定になった”。  店頭に立つことはなくなり、“ブライダルの仕事”もしばらく“受注をストップ”した。  数年間は冴子の前で霧島の話をすることは“タブー”だった。  亮介は“深いうつ状態”の冴子に対して“これまでになく戸惑い”、“対処のしようがなかった”。  冴子が少しずつ落ち着いてきて、やっと霧島の心配を口にできるようになった頃に陽がお腹に“宿った”。    ”お陰で冴子は調子を取り戻した”。  

長編小説「きみがくれた」中‐63

「誕生日」  その夜遅く、部屋のドアをノックする音で目を覚ました。 「もう寝てたね」  暗闇の中、ドアの隙間から顔を出したのはマスターだった。 「ちょっと付き合ってくれないか」  珍しくこの時間に夜コーヒーを引き上げて、母屋へ上がってきたようだった。  マスターがこんな夜更けにここへやって来ること自体が初めてのことだった。  まして寝ているところを起こし、こんな風に誘うことも今まで一度もなかった。 「リビングにいるから」  そう残してドアの向こうへ消えていく足音を