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長編小説「きみがくれた」中‐54

「おみやげ」


 翌朝アパートがあった樫の森へ寄ってからばあちゃんの家があった椴の森へ向かって歩いていると、畑と空地ばかりが続く景色の中へにマーヤがいた。

「やあ」

 今朝もここは人の姿もほとんど見えない。

「僕、ここが大好きなん‥平らに広がる緑がずっと――ずぅっと遠くまで見渡せる、この場所が――」

 遮るものがなにもない空は、どこまでも高くて、大きくて―――
 太陽の光が全部に行き届いていて、緑がキラキラ輝いていて―――


「この道は、霧島に会いに行く道」


 マーヤは畑の間を、真っすぐ、真っすぐ歩いて行く。

 温められた土と、草の匂い。

 吹き抜ける風の匂い。

 うれしくて、楽しくて、ワクワクする気持ちが、今もマーヤの足を急かす。


 あれは二人が小学校6年生の時、修学旅行に行けなかった霧島のもとへ、マーヤがお見舞いに来た日だった。

“来たよー!”


 いつものように縁側からマーヤの声がして、廊下を掛けてくる足音が聴こえた。
 
 霧島は数日前から昼間も奥の畳の部屋にいた。

“霧島!来たよ!”


 襖が開いて、外の光と同時にマーヤが元気よく入って来た。
 そのまま滑るように布団に寝ている霧島に飛びかかる。

“こりゃ光樹!!おまえは入って来るな!!”

 側にいた安西先生は立ち上がり、マーヤを霧島から引き剥がした。

“大丈夫だよ先生!ぼく一回やってるんだから!”

 先生の腕をするりと交わすと、マーヤは霧島の枕元へ回りちょこんと座った。

“バカタレ!それはそうとも限らんと言ったろうが!いいからおまえはあっちへ行っとれ!”

 先生は後ろからマーヤのTシャツの襟首を掴み、外へつまみ出そうとした。

“やだよぉ!大丈夫だったら!”

 マーヤはなんとか逃れようと手足をバタつかせ、体をのけ反らして抵抗した。

“うるさい!全く真理子は何を教えとるんじゃ”

 マーヤは先生の手から逃れようともがきながら、ズボンのポケットから何かを取り出した。

“こりゃいい加減にせんか!”

“ほら見て!霧島、おみやげ!”

 
 先生に連れて行かれるマーヤを布団の中からぼんやりと眺めていた霧島は、その両手に一つずつぶら下がる銀色に目を凝らした。

“ぼくとお揃いだよ!”

 襖から差し込む光にきらめくそれは、マーヤの指くらいの大きさの

“ストラップ!”

“これ万華鏡なんだよ!”
“覗くとすっごくキレイだよ!”

 マーヤは先生にシャツを掴まれたまま、満面の笑顔でそう言った。

“こりゃ光樹!おまえは強引な”

 先生はとうとうマーヤの後ろから腕を回し、抱きかかえるようにして無理やり部屋から出そうとした。

“霧島、これ持って月見山に行こう!”

“あそこで覗いたら、きっとすっごくキレイだよ!”

 霧島は先生に捕まえられたマーヤに目を向けながら、熱った頬をふわりと緩めた。

“光樹!いいから来い!ここにおったらおまえにもうつるやもしれんっちゅうとるんじゃ!”

“はいこれ、霧島の”

 マーヤは片手を伸ばして霧島に“万華鏡”を差し出した。

“早く元気になってね”

 マーヤの満面の笑みに、霧島は口の端を少しだけ上げた。

“こりゃ央人!誰が起き上がっていいと言った?!まだ寝とれ!”

 霧島はゆっくりと体を起こし、光の中のマーヤに手を伸ばした。
 そして微熱を帯びた両手の平にその小さな銀色を受け取った。

 寝癖が付いた髪をかき上げて、霧島は障子の向こうにその銀色をかざした。

“あらあら、マーちゃん、いらっしゃい”

 ばあちゃんが部屋に入って来ると、先生に“羽交い絞め”にされたマーヤは
“ばばちゃん助けて!”と声を上げた。

“あらあら、マーちゃん、どうしたの”

 先生はばあちゃんの反応にも呆れていた。

“どうしたのじゃないわ!絹子、こんバカタレを向こうへ連れて行け!”

“先生、ぼくここにいる!”
“だめじゃぁ言うとるじゃろうが!”
“マーちゃん、それはなぁに?”
“これ?これはね、万華鏡だよ!”
“ばばちゃんも覗いてみる?”
“あらあら、万華鏡?こんなに小さい‥”

“絹子!なんなんじゃおまえらは”
“おまえといい真理子といい‥仮にもおまえは‥”

先生がそう言いかけた時、ばあちゃんはマーヤの手を取った。

“マーちゃん、プリンあるよ、食べるかい?”
“プリン?!食べる!やったぁ!!”
“そぉ、ならこっちへおいで”

 ばあちゃんが手招きをして襖の外へ出ると、マーヤは“ぼくここで食べる!”と言った。

“ここで霧島とプリン食べる!”

“だぁからバカタレ!おまえは人の話を聞かんか!”
“ここにおってはだめじゃぁ言うとるのに”

“マーちゃん、そしたら手伝ってくれるかい?”
“うん!ぼく手伝う!”

 マーヤは楽しそうにばあちゃんの後へ着いて廊下へ出て行った。

“ばあちゃんマーヤはシュークリームだよ”

 布団の中で霧島がそう言うと、廊下の向こうでマーヤの元気な声がした。

“ぼくもばばちゃんのプリン、大好きだよ!”


 二人が行ってしまうと、安西先生は霧島を振り返り息をついた。

“絹子のプリンなら腹へ入れられるか”

 けれどその言葉に霧島は小首を傾げた。

“ソーダ水には氷を入れてね!”

 台所からマーヤの声が聴こえていた。

 
 もう一度光にかざした銀色が、指先で揺れていた
 ふわりと緩んだ薄紅色
 前髪の下の熱を帯びたまぶた


 行けなかった修学旅行

 さっき帰って来たばかりのマーヤ


 おみやげはお揃いの万華鏡のストラップ


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