長編小説「きみがくれた」中‐52
「残された記憶」
メイプル通りに風が抜け、楓の木々の葉が音を立てる。
幹に寄り添うマーヤの髪をふわりと揺らす。
「陽ー!バス来たよー!」
冴子に呼ばれた陽が亮介の手を離れ駆けて行く。
迎えのバスから降りて来たのはほとりちゃんだった。
「先生、おはようございます」
冴子は我先にバスに乗り込もうとする陽を捕まえ、おじぎをさせた。
「おはようございます、冴子さん」
「陽くん、おはようございます」
「おっはようっざいあっす!!」
陽は飛び跳ねながら大声であいさつをすると、冴子の手をするりと交わしバスへ駆け上がって行った。
「もう、ほんと落ち着きがなくて、ご迷惑をお掛けします」
「先生~早くぅ~~!」
子供たちがバスの窓から顔を出す。
「うん、今行くね」
「ほとりちゃん、今年もちゃんと仕入れられたから」
冴子は一言そう伝えると、バスから離れた。
「はい‥ありがとうございます」
ほとりちゃんは「また伺います」とお辞儀をすると、バスへ戻って行った。
「行ってらっしゃい!」
冴子は動き出したバスに手を振った。
「ほとりちゃんってかわいい名前だね」
走り去るバスを眺めながら、マーヤはいつもの笑顔でそう言った。
“ほとりちゃんってかわいい名前だよね”
そしてマーヤはメープル通りを中学校へ向かって歩きながら、今年もまた同じ話をしてくれる。
◆
亮介さんとは去年知り合ったんだ。
マーヤはそう話し始めた。
僕ね、学校で美化委員に入ってるんだけど、そのお仕事の一つに校庭の花壇の手入れがあってね。
亮介さんはその花壇に植える花苗を持って来てくれる業者さんで――‥
“亮介さん、確か‥手嶌川の園芸店で働いてるって‥”
「―――‥‥そっか、あのお店も‥――亮介さんいろんなところで働いてたんだなぁ・・」
“アネモネが開店したのは僕らが中3の時で”
“夏休みの間亮介さんに頼まれてお手伝いに行ってたんだけど”
「僕、亮介さんには最初っから“夏目は土いじりする風貌じゃねぇな”って言われたんだ」
マーヤはそう言ってくつくつ笑った。
「僕のこと王子サマとか貴族みたいだとか言ってさ、僕が裸足で泥んこになってると、“せめて軍手はしろ”とか“長靴を履け”とか“おまえは無邪気か”とか“容姿と力と潔さのギャップが渋滞してる”とかいろんなこと言われて、結局は“おまえはなんなんだよ”って笑うんだ」
マーヤは亮介の“小言”がおもしろくて、横で一人で笑っていた。
「“おまえは全部逆なんだよ”、だって」
普通は“ちんたらやってるやつに汚れなんか気にしてねぇでとっととやれ”って怒るところ、“おまえにはちったぁ気にしろ”って言いたくなる、と亮介は呆れた。
「みんなは上下ジャージでも寒いって言ってたけど、僕はTシャツにジャージのズボン膝までまくって、裸足だったからね、亮介さん、“おまえ一人真夏じゃねぇか”って、“一人で汗だくじゃねぇか”って、あはは!」
それでね、秋になって、花壇の土を入れ替えることになって‥
霧島と亮介が知り合ったのは、
“冬が来る前に校庭にある花壇全部、中の土を半分以上入れ替えることになった”から、マーヤが霧島にその手伝いを頼んだことがきっかけだった。
「おまえ新入りか、って最初に亮介さんが霧島に声を掛けたんだ‥でもあいつは何も答えないでそっぽ向いちゃって、霧島はあの日、僕らの美化委員の手伝いに来てくれてただけだったから、僕が今日だけなんです、って言ったら、亮介さん、そんな細っ白(ちろ)い腕が役に立つのかって」
僕と同じようにからかわれてたっけ‥
「そんな細腕でできんのか、から始まって、土いじりなんか絶対しねえってツラだとか、おまえ植物なんか興味ねぇだろとか言ってさ、ぷいっとしてる霧島にしつこくけしかけてた」
マーヤはそう言っておもしろそうに笑った。
僕はてっきり、霧島はそんなの無視すると思ったんだ‥でもあの時は、あいつ、珍しく“うるさいな”って言い返したんだ。
霧島が初対面の人に反応するなんてすごく意外だった。しかもちょっとムカついてる感じだったから、僕すっごくうれしくて、ワクワクしたんだ。
なんだかとってもいい予感がして、胸の奥がドキドキしてた。
マーヤは両手で口元を押さえくくっと笑った。
「亮介さんに言われて、男子はトラックから培養土を下ろして花壇まで運ぶ係、女子はその土を花壇に撒いていく係って、分担することになったんだ‥それでしばらくしてから、亮介さんが霧島に近付いて行って、“おまえ女子のみなさんと土入れ一緒にやってやれよ”って耳打ちしてね」
“よそ見ばっかしてる女子だけじゃ日が暮れちまうぜ”
亮介の言う通り、花壇の周りにはまだ開けていない土の袋が山積みになっていた。
「亮介さん、わざと大きな声で、“ほらそこ、開けてやれよ”なんて言いながら霧島を女子の間に押し込んだりしてさ」
亮介は“霧島が一番嫌がるパターン”に“もっていった”。
“狙い通り”女子が“ソワソワ”している様子を亮介は“ニヤニヤしながら”見ていた。
「亮介さんは他の男子も花壇の方に行かせて、残りの土を全部一人でトラックから下ろしてくれたんだ」
亮介は半分入れ替えた花壇の土をトラックに運びながら、“どうしても”霧島のことが“気になって仕方がない”女子たちに
「“おまえらいつもはそんなおしとやかにやってねぇだろうが”って、よく通る大きな声で言うもんだから‥女の子たちが真っ赤になっちゃって」
“おらおらとっととやらねぇと終わんねぇぞ!”
“全部蒔いたら古い土と混ぜ合わせるんだ”
“今日全部の花壇やっつけんだぞ?ここだけじゃねぇんだ、あっちもそっちもやんだぞ”
「亮介さん、自分で女の子たちの手を止めるようなことやっといてさ、僕笑っちゃったよ」
すると霧島がマーヤの隣でぼそっと言った。
「“あいつうぜぇな”、だって!あははは!」
“なんだとクソガキ”
“聞こえてんぞ”
マーヤは“内心”霧島が途中で帰ってしまわなかったことがうれしかった。
「その後もあの二人、なんだかんだやり合っててさ‥」
“二人の様子を見てるとなんだか胸の奥がポカポカあったかくなって”
“でも少しだけドキドキして”
「二人の様子を見てたら、僕なんだか胸の奥がポカポカあったかくなって、でも少しだけドキドキして‥僕一人でニヤニヤしてた」
マーヤはそう言ってうれしそうに笑った。
“とにかくすっごくうれしかったんだ”
「僕ね、霧島が亮介さんと仲良くなって、すっごくうれしかったんだ」
マーヤはこちらを振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「とにかく、すっごくうれしかった」
まるでつい最近のことのように話すマーヤは、思い出したようにぷぷぷと笑った。
「それでね、あの時亮介さんが霧島に“このクソガキが”って言って、そしたら体育館の方からものすっごくおっきな怒鳴り声がしてね」
マーヤはあははと笑いながら
「“ぐぅああああぁぁぁぁらぁぁぁぁ~~~!!”“ぐぅあぁぁぁらぁぁぁたぁぁぁ~~~っっっ!!”って‥!!あはははは!!」
と、マーヤの得意なものマネをして見せた。
「すーごく遠くの向こうの方~~から、勝じいがものすごい勢いでばーーーっって走って来たんだよ!!」
“ぅおんのりゃぁクソガキゃぁおのれじゃぃやぁボケぇ~~~ぃっっ!!”
“うちぃのぉこぉんかわいぃぃ生徒にぃなぁんしとぉんじゃぁいこぉるぁぁぁ~~~!!!”
「あはははは!!あの時の勝じいの乱入!!おもしろかったなぁ!!」
マーヤは歩く足を止め、お腹を抱えて笑った。
「勝じいは今は生活指導の先生だけど、亮介さんの担任の先生だったんだって!しかも3年間だよ!」
それは亮介に言わせれば“暗黒の時代”だった。
「亮介さん、勝じいに毎日追いかけ回されてたんだって!」
「廊下で見つかっても校庭にいても学校の外まで‥!」
“あのドスのきいた大声で”“竹刀片手に”、“追跡型ミサイルみたいなしつこさで”亮介は“散々”追いかけられた。
「亮介さん、“うるせぇクソジジイ!どっか行け!”って何度も言ってた!でも勝じいの思い出話が全然止まんなくってさ!」
“てめぇコノヤロー何十年前の話してやがるクソジジイ!”
“つまんねぇことばっか覚えてやがってとっとと忘れろ!”
“てめぇは昔っから生徒の悪口しか言わねぇんだ”
“そんなクソどーでもいいこといちいち言いふらしてんじゃねぇよ”
“何十年前ぇだぁ?たぁったの11年前じゃぁボケナスがぁ!”
“ボケナスって言うんじゃねぇよクソジジイ!”
“ボケナスはボケナスじゃぁ!図体ばぁっか成長しおってぇこんっからぁ大根っばぁ呼んじゃろうかぁ?のぉ?”
“はぁ?なんだそのボキャブラリー”
「結局勝じいの気が済むまでずうっと‥昔話をきかせてもらってたんだよね!僕たちはおもしろかったからよかったんだけど、作業が中断しちゃったから、土の入れ替えが終わった時にはほとんど夜になってたんだ」
“てめぇのクソつまんねぇ話のせいでこんな時間になっちまったじゃねぇかよ!!”
“二度と邪魔すんなよクソジジイ!”
“てめぇは生活指導だろうが!!”
“生徒こんな遅くまで足止めして失格だな!その腕章を返上しろ!”
昔の話を“暴露”された亮介は勝じいに向かって“つかてめぇも手伝えよな!”と吐き捨て、生徒たちに後片付けをするように言った。
「でも勝じいはね、何も手伝わなかった!あははは!」
だけど、“おまえぃゃあこん子らぁ全員家まで送っちゃりぃ!当ったり前じゃぁボケぇい!!”って!あはははは!!
亮介さんは最初からそのつもりだったって応戦して、
“てめぇの指図は受けねぇんだよ!”って、
最後まであの二人‥亮介さん中学生に戻ったみたいに楽しそうだったなぁ・・
「それから僕たちは全員亮介さんのトラックの荷台に乗せてもらたんだ」
「亮介さんはみんなを家まで送ってくれたんだよ」
マーヤはその夜のことをまるで昨日のことのように話してくれた。
「僕と霧島が一番最後で、その時にはもう辺りは真っ暗でね」
二人で荷台に揺られながら、真っ黒な空を見上げてたんだ。
涼しい風が気持ちよくて、疲れた体がすぅっと緩んでいくようでさ‥
マーヤは真っ青な空を仰ぎ、静かに目を閉じた。
「あの夜のことはとてもよく覚えてるんだ‥少し肌寒い、秋の乾いた風が吹いていた‥」
あの日、霧島と二人でトラックの荷台から見上げた空は、まだ少しだけ夕暮れ色が残っていてね、地平線の辺りから少しずつ藍色の夜に変わっていくグラデーションがとてもきれいだった。
“僕らの正面には、うそみたいに細い、金色の三日月が輝いていた”
「星がひとつも見えない、真っ黒に澄んだ夜空に、うそみたいに細い三日月が、くっきりと金色に輝いていたんだ‥」
“ねぇ霧島”
“ハロって見たことある?”
「僕も霧島も、宇宙とか月とか星とか、太陽とか雲とか‥空のいろんなことに小さい頃からとても憧れていたから、亮介さんの話をもっと聞きたくて」
そしていつからか霧島は“亮介”と呼んでいた。
「うれしかったなぁ―――」
マーヤは青い空に目を細め、満面の笑みを浮かべた。
きっとこれから、今よりもっとイイコトが起こるって、そんな予感がしたんだ。
マーヤは両手を口元にあて、ふふふと笑った。
「夜空に架かる虹」
「いつか僕も見てみたいな――――――」
マーヤはそうぽつりとつぶやき、足を止めた。
空を見上げるその表情は、けれどぼんやりかすんでいる。
“雨に洗われた青黒く澄んだ空に”
“その反対側に、――――”
“信じられない光景が―――”
“あの夜の満月は息をするのも忘れるくらい素晴らしい迫力だった”
“大雨に洗われた清々と青黒く澄んだ空に”
“うそみたいにキレイな満月が浮かんでた”
“山の切れ間に――あんな完璧な満月見たことないよ”
“振り返ると、崖の上の空に信じられない光景が―――”
“いつか僕も見てみたいな――――――”
「――――――‥‥」
マーヤは昔から雨が大好きだった。
雨が上がると、青く晴れ渡る空の向こうに“奇跡”を探した。
“虹は空からの贈り物”
マーヤは今年、あの “ウソみたいな大きさ”の、“恐いくらいに色鮮やかで”、“絵に描いたような完璧な虹”を見た日の話もしなかった。
“霧島”
“虹――”
“屋上から見上げると、目の前には空しかなくて”
“どこまでも真っ青に澄みきった大空に”
“僕たちはまるで夢を見てるような気持ちで”
“その虹が少しずつ薄くなっていくのを、二人でずっと見ていたんだ”
“これはね、虹のプリズム色”
“今でもはっきりと覚えてる”
マーヤは今年、あの“アザミの交差点”にも立ち寄らなかった。
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