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トピックス(日本)

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素敵なクリエイターさんたちのノートをまとめています。
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2021年4月の記事一覧

アイスクリームと脱走者/1

←前回/0.波多君 1.再会    九月のはじめ、大学前通りに面した居酒屋うまし家の店内は、深夜にもかかわらずムンとむし暑い。わたしはまだ夏休みのまっただ中、アルバイトにいそしんでいる。大学二年の夏は長い。 「あっつ。誰かクーラー切ったのかよ」 「なんでこんな暑いかなー。もう九月なのに」  うまし家はウマシカと読む。ウマシカ、馬鹿、つまりそんな由来だ。  着替えをすませたスタッフたちは、店長ご自慢の一枚板の桧でできたカウンターで、思い思いにくつろいでいた。  わた

アイスクリームと脱走者/0

#小説 #長編小説 #恋愛小説 #青春小説 #家族 #LGBTQ #ヒューマンドラマ #田舎 #大学生 #回避傾向 #日常 #14万5千字 #全62話 第50話まで無料です 0.波多君 「ミサトさんって、ブスだよね」と、波多君は言った。  わたしは一瞬なんと言われたのかよくわからず、それはたぶん、波多君の言い方が「ミサトさんって右利きだよね」くらい棘のないものだったから。  高校のお昼休みの時間のことで、その日は同じテニス部のユカと、テニスコートの倉庫前で待ち合わ

小さな自己主張・私のアリギエーリ

2月にスマートフォンの機種変更をしたとき、店頭で一緒に購入したスマホ・ケースに見覚えのある穴が空いていました。 あらっ、これはストラップ ホールかしら? 携帯電話時代は、皆さん わんさとストラップを吊るして楽しんでいましたね。 ストラップはその人らしさを見つける格好のアイテムでした。 電車に座っていた私の前で、肩幅ほどに足を踏ん張って立ちはだかるパンプス。キリリとスーツ姿の大人女子の手元にディズニーキャラクターを見つけると、何だかほんわかした気持ちになったものです。 久し

2年ぶりの鯉のぼり🎏〈ママに優しいニュース2〉

こんにちは、hachi☺︎です。 この記事は、ママが笑顔になるポジティブなニュースを紹介しています。 ポットキャストでも収録しているので、家事をしながらながら聴きも可能です。 お好みで楽しんでいただけたら嬉しいです。 2年ぶりの鯉のぼり🎏この記事は、朝日新聞デジタルに記載されています。 https://www.asahi.com/articles/ASP4X6R35P4XPTJB00G.html 滋賀県近江八幡市の白鳥川に、2021年4月21日に130匹の鯉のぼりが

飛べても飛べなくても

急に『魔女の宅急便』が見たくなった。 見たくなった、と言っても、見たくなるほど好きだったからとかでなく、内容もよく覚えていないけど、急に魔女の宅急便の歌を思い出したのだ。 それも「ルージュの伝言」ではなく挿入曲の「海の見える街」に、歌詞をつけたバージョンの『めぐる季節』 曲が気になったら、「どんな話だったっけ?」と、気になってレンタルしてきてしまった『魔女の宅急便』 疲れきっていた休日に、ぼーっとしながら見た。 13歳の女の子の魔女修行を描いている作品だけど、アイデ

「怖い」から広がる思考、想い

みなさん、こんにちは。綺羅です。 今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。 今日は買い物へ行ったのですが、どこから集まってきたのか、年末年始並みの人の多さで、本当に自粛という”看板”だけが、動いている状態を実感しました。 みなさんの中にも、心身共にお疲れの方もいらっしゃると思いますので、どうか無理をせずお過ごしください。 今日本当は、大好きなフォロワーさんのために描いた絵を載せるつもりでした。 ですが、最近自分の「怖い」に向き合う作業によってなのか、自分

初めまして。 改めまして。

ずっと誰かと話をすることに、どこか苦手意識があった。 二人での会話であれば話すことができたが、三人以上の場合、振られないとどこで会話に入っていけば良いのかわからなかった。時に振られて話そうとすると、思うように言葉が出てこなかったり、思ってもいないことを口走ってしまったりと、どもる自分がいて、誰かと時間を共有していることが申し訳なくなったりもした。 いつも自分と誰かの間には、何かしらの壁があるようで、真から誰かと通じ合うことはできないという孤独感がずっとどこかに在った。

北千住の片想い

毎年、夏が来るたび、思い出すことがある。 それは僕がまだ若い頃、将来の夢や展望を何も描けず、来る日も来る日もただ流されるまま漂い続けた日々。 伯父の紹介で就いた駅員の仕事もただ忙しいだけで、そこにやり甲斐や将来の夢など全く何も浮かんで来なかった。ただ目まぐるしい激務に神経すり減らし、疲れ果てては何をする気も起こらず、職場と一人暮らしの安アパートを往復する、そんな毎日だった。 そんな中で僕は漠然とこんなことを考えていた。 自分は何のために生きているんだろう?  自分が生きる

買い物のフシギ

例えば。 「今日はワンピースを買いたい。ロング丈で袖は半袖がいいな〜」 とショッピング街に到着。 とりあえずこの店に入ってみるか…と入ると、すぐ目の前のトルソーが来ているワンピースに目がいく。 「あっ、これいいやん!?半袖という条件は合っている。値段は…ちょっと予算オーバー。新作だからサイズは揃っている。 …でも来たばっかりやしな。 もうちょっと予算以内で可愛いのがないか、他の店も見てみよう…。」 数時間後。 結局、なんやかんやで1番最初に見たお店に戻るのだ。

白か黒かグレー

とにかく解決したいのだと思う。ふわっとゆるゆるとした状態を保つことがすごく苦手。これが白黒はっきりつけたがるというものの正体なのだと思う。中途半端でいることに耐えられない。どっちつかずなら早くどっちかに決めたい。 それなのに「こうだ」と決めつけられて自由を奪われることも苦手だから、制限を持たずにマイルール、マイペースに自分のあれこれを決めていたい。 中間のグレーグレーを選択できる人っていいなと思うことがある。 白か黒か、混ぜたらグレーになるのに、どちらもを選ぶことはできて

今日のYOGA。「新緑まぶしい木の下で。」

4/25 11:25。 介護中の祖母がお昼寝を始めた。 昼食を遅らせ ヨガをすることに。 静寂の中で「自分」へ 戻っていく感じがする。 呼吸の速度も 立っている軸も 意識も すべてが自分のそれに 戻っていくのがわかる。 認知症と左半身の麻痺がある祖母。 認知症の症状にくわえ、 身体の不自由さに苛立ちをおぼえ、 多くの時間、 赤ちゃんが泣いているかのように 声を上げている。 そんな彼女を 「泣かせない」「あやす」ことに 注力する日々の中では どうしても 呼吸

こだま

はじめまして 『はじめまして』 あなたは? 『わたし?』 ええ、あなた 『わたしはわたしです。あなたは?』 私も私です。 ……ややこしいなあ。ところで、ここ、どこですか? 『ここ?』 ここ。 『さあ?』 え? 『私にも、分かりません』 もしかして? 『もしかすると?』 あなたもその口ですか? 『その口?』 目が覚めたら、ここにいた的な 『ああ、その口です。気づいたらここに、的な。』 そうですか 『そうなんです』 *** どうしますか 『どうって、なにを?』 いや、だから、

恍惚の表情

雨に濡れる 草花の綺麗さが 心に沁み入るのは 雨粒に耐える姿を 思うからか ごくごくと美味しそうに 飲んでるかも知れないのに 日頃の水道水より 天然の雨水の方が 嬉しいのではないか 均一な水の粒より 大小混ざって 強くなったり弱くなったりを 繰り返されて 恍惚の表情に なっているのかも知れない 確かにそれは 草花本来の綺麗さとも言える

"誰かと一緒に生きる" に一歩近づいた私と、これから。

前よりも少し、自分が他人に対して優しくなったかもしれないと思うできごとがあった。 数ヶ月前に別れた元恋人と久しぶりに会って、近況報告を聞いていたときのこと。 彼は、仕事が想像以上に激務で、睡眠や食事もまともに取れない生活をしていること、業界や組織に対する不満や苛立ち、などを語ってくれた。 しばらく彼の話を聞いていて、あれ?と思うことがあった。 以前のわたしなら、こういう類の話を聞くと 「自分で選んだ道なのに、愚痴ばっかり言っていないで改善策を考えたらいいのに…」